Wed, March 11, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院人文社会系研究科のH先生への手紙 -神学研究の方法 20-

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H先生



比較宗教学の視点からいくつかの資料を熟読吟味しています。そうするうちに、旧約聖書、新約聖書、仏教経典等の記載内容には、いくつかの共通な表現があり、そのうちのひとつは、"40日"という日数です。たとえば、ユダヤ教の旧約聖書には、ノアの方舟について、40日間も大洪水が続いたこと、大洪水の40日後に、ノアは伝令のために鳩を放ったこと、モーセが山にこもって40日間も断食をしたこと、そして、キリスト教の新約聖書には、イエスが山にこもって40日間も断食をしたこと、さらに、仏教の経典には、釈迦が修行中に40日間も断食をしたこと等です。すべては、旧約聖書に基づく、後々のひとたちによる辻褄合わせの作文のように思われますが、いかがでしょうか。



桜井淳

Wed, March 11, 2009 stanford2008の投稿

【事務所報告】4月に開催される学術セミナー

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「第4回弘道館・偕楽園公園の歴史・自然探訪セミナー」開催案内-千波湖湖畔・桜山桜シーズンコース-


(1)主催 桜井淳水戸事務所(代表 桜井 淳)
(2)実施概要 水戸市には、市街地隣接公園としては、ニューヨーク市セントラルパークに次ぎ、世界第2位の面積を有する偕楽園公園(偕楽園・千波湖・千波公園・桜山公園からなる周囲7kmの複合公園)と江戸時代末期に開設された学問所の弘道館があり、観梅期・桜期・新緑期・紅葉期に、それらの歴史をたどり、7kmの自然探訪を行います。千波湖わきの桜川には、秋頃、太平洋から那珂川を経て、鮭がさかのぼります。水戸市在住30年(偕楽園公園は毎日の散歩コース)の桜井淳所長が学術文献(水戸市立博物館『千波湖の自然』(1987)、名越時正『水戸藩弘道館とその教育』(茨城県教師会、2007)、鈴木英一『水戸弘道館小史』(文眞堂、2003))を基にして歴史を語り、自然探訪の案内役を務めます。東京から特急で約1時間の水戸駅、歩きやすい服装と靴でご参加ください。


集合場所 水戸駅 10:00
10:00-12:00 弘道館(徳川斉昭が江戸末期開所の学問所)の展示品見学と歴史・自然探訪
12:30-13:00 千波湖(2万年前にできたとされる)の歴史・自然探訪
13:00-14:00 偕楽園(徳川斉昭が江戸末期開園)の歴史・自然探訪
14:00-14:30 桜山公園の歴史・自然探訪
14:30-15:30 徳川博物館入館
15:30-16:30 千波公園の歴史・自然探訪
16:30-18:00 自由討論

(3)担当者 桜井 淳と桜井淳水戸事務所スタッフ1名
(4)配布資料 桜井作成資料等
(5)応募資格 弘道館・偕楽園公園の歴史と自然に興味を持っている者。
(6)定員 20名
(7)実施日時場所 2009年4月4, 11日(土)
(8)申込先 桜井淳水戸事務所セミナー事務局
(9)参加費 10000円

Wed, March 11, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長による『ユダヤ教の精神構造』(東大出版会)の研究手法の構造分析及び換骨奪胎法の検討

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市川裕『ユダヤ教の精神構造』(東大出版会、2004)の私のとりあえずの書評については本欄にも記しておきました(バックナンバー参照)。その後、文献調査したところ、『一神教学際研究』(創刊号)に、その分野の研究者による5p.の書評が掲載され、大変高い評価をしていることが分かりました。それによると、ユダヤ教の本格的な研究学術書は、それが最初のようです。ユダヤ教の歴史は、非常に長く、日本にも多くの研究者がいると推察していましたが、そうではなく、初めての研究学術書であることに、非常に驚きました。そのため、改めて熟読吟味し、さまざまの視点(①フィールドワーク、②研究発表媒体(初出一覧)、③写真、④図・表、⑤文献、⑥比較宗教学、⑦聖書、⑧ユダヤ教、⑨人名索引・事項索引・聖書引照索引)から、換骨奪胎すべき研究手法を浮き上がらせてみたいと考えるようになりました。以下、項目別に検討してみます。


①フィールドワーク

1982-85年 イスラエルのエルサレム・ヘブライ大学タルムード学科特別生等(大学での勉学の他、そのうち1年間は、毎朝早朝、近くの会堂(シナゴーグ)で行われる朝の礼拝(シャハリート)に参加、そのほか、3年間に、イスラエル各地への調査の旅)


換骨奪胎その1 現地留学及び各種行事の体験が必須。


②研究発表媒体(初出一覧)

序「我らのラビ・モーセ」に倣いて 書き下ろし

第1章ユダヤ教の正当性 「唯一神教における正当性への思想的相克」、『宗教集団間の協調と葛藤』(佼成出版社、1989)

第2章法の宗教の成立 「制度知としてのタルムード-ユダヤ自治社会の法制-」、比較法史学会編『比較法史研究4 制度知の可能性』(未来社、1995)

第3章自由と戒律 「心の頑なさと神の戒律-律法はなぜ荒野で与えられるのか-」、谷口茂編『宗教史学論3 宗教における罪悪の諸問題』(山本書店、1991)

第4章自由と戒律偶像崇拝との闘い 「偶像崇拝とその克服-政治的決断の基礎として-」、脇本平也・柳川啓一編『現代宗教学2 宗教思想と言葉』(東大出版会、1992)

第5章自由と戒律神への愛 「恋愛詩の宗教的意義についての一考察-関唯と雅歌を手がかりとして-」、『栗原圭介博士壽記念東洋学論集』(及古書院、1995)

第6章罪と赦し 「罪の赦しと祖父の徳-ユダヤ教<スリーホート>の祈り-」、紀要『筑波大学地域研究6』(1988)

第7章神秘の力 「無限なるものへの希求-ユダヤ神秘主義の世界認識-」、『宗教と科学との相互関係に関する研究』、文部省科学研究費補助金総合A研究報告書(1995)

第8章自治の終焉 「ユダヤ人の法的自治とその宗教的基盤」、紀要『筑波大学地域研究8』(1990)

第9章聖書解釈の行方 「ユダヤ教聖典解釈の宗教学的意義」、市川裕・鎌田繁編『聖典と人間』(大明堂、1998)

第10章聖書と現代 「経典と現代」、『日本文学と仏教(6)経典』(岩波書店、1994)

おわりに 書き下ろし


換骨奪胎その2 学術論文誌・研究学術書への投稿が必須。


③写真

以下、市川裕氏撮影

イエス時代のエルサレムとエルサレム第二神殿の模型

現在のエルサレム旧市街の神殿の丘

第一次ユダヤ戦争の古戦場でゴラン高原にあるガラム遺跡の遠景

死海文書が発見されたクムラン第4洞窟

エルサレム第二神殿の礎石が今に残る西の壁(嘆きの壁)

ガリラヤ湖北岸のカペナウムに残るシナゴーグ遺跡

トーラーの巻物の内部

スープキッチン(ロンドンのイースト・エンド)

ロンドンのイース・トエンドにあるシナゴーグ「シャアル・ハッシャマイム」(天の門)

割礼開始前の儀式用具一式

割礼

終了後

マイモニデス像

マイモニデスの墓

ラシの部屋

聖地の絵地図(1696年)と出エジプトの工程

サンタ・カタリナ修道院

イスラエル南部のネゲブ砂漠

金曜日の市場の賑わい

安息日入り間近ののエルサレム

安息日を迎え入れるカバスト・シャバットの儀式

祈りの際に身に付ける小箱テフィリーン
ツファトにあるルーリアのシナゴーグ

悔い改めの祈りであるスリーホートの呼びかけ

ユダヤ暦新年の角笛(ショーファール)

ヘブロンの町とマクペラの洞窟

マクペラの洞窟の内部

ラヘル廟

エルサレムのダビデ廟

上ガリラヤ地方のメロン山にあるラビ・シモンのシナゴーグ址

ラビ・シモンの息子のラビ・エレアザルの廟

ツファトの墓地の遠景

アッコの海岸

アメリカン・パークアベェニューのシナゴーグ(保守派)

アメリカン・パークアベェニューのシナゴーグ


以下、関谷定夫氏撮影

トーラーの巻物の外観

喜捨(ツダカー)のための箱

テフィリーンの中身

ウクライナのウマンにあるラビ・ナハマン廟の門

ナハマン廟の野外祈祷所に集う巡礼者

屋内祈祷所


以下、学術書より引用

ラビ聖書(創世記の冒頭部分、ヘブライ語聖書全巻の初版本)

ミシュナ・カオフマン版(ベラホート篇の冒頭部分)

タルムード・ロム版(ベラホート篇の冒頭部分)

聖地の絵地図と出エジプトの工程

レンブラント作「モーセと十戒の石板」

出エジプトの体験

シュマアの祈り(スファラディ新版祷書)

シュマアの祈り(アシズュケナズィ新版祷書)

ヨーム・キップールの礼拝

レンブラント作「アブラハムとイサク」(1645年)

レンブラント作「イサクのいけにえ(アーケダト・イツハク)」(1655年)

十戒に似せたフランス革命の人権宣言(1791年)

モーゼス・メンデルスゾーン

イスラエル共和国の歴史教科書『初期シオニズム』の冒頭頁に掲載された欧州のユダヤ人解放地図

同表紙

アンジェリアのシナゴーグの内部


換骨奪胎その3 自身の撮影が不可欠だが文献からの引用も必須(写真は、硬い研究学術書に対し、文章から得られない直接的なイメージをわき起こしたり、雰囲気を和らげたり、勉学の意欲を掻き立てることに貢献しており、そのような演出も必須)。


④図・表

イスラエル・パレスチナ地図

地中海周辺地図

安息日の聖書朗読(創世記、出エジプト記、レヴィ記、民族記、申命記)


換骨奪胎その4 吟味した必要最小限が必須。


⑤文献

序「我らのラビ・モーセ」に倣いて 学術書2編

第1章ユダヤ教の正当性 学術書・学術論文20編(文献には注も入れてある、以下同様)

第2章法の宗教の成立 学術書・学術論文20編

第3章自由と戒律 学術書・学術論文21編

第4章自由と戒律偶像崇拝との闘い 学術書・学術論文13編

第5章自由と戒律神への愛 学術書・学術論文10編(ただし、そのうちひとつは、週刊英字新聞の「ジェルサレム・ポスト」国際版)

第6章罪と赦し 学術書・学術論文13編

第7章神秘の力 学術書・学術論文13編

第8章自治の終焉 学術書・学術論文49編(ただし、そのうちひとつは、NHKテレビ放映)

第9章近代との相克 学術書・学術論文20編

第10章聖書と現代 学術書・学術論文13編


換骨奪胎その5 研究学術書・学術論文の引用が必須。


⑥比較宗教学


「第1章ユダヤ教の正当性」において、「キリスト教の「聖書」が「新約」と「旧約」とから成り立っていることはよく知られたことである。では、なぜそうなっているのだろうか。旧いものがすたれてしまったのなら除いて島ってもよいではないか。否、新しいみのは旧いものの上に築き上げられるのだから、旧いものを抜きにしては、意味がよく伝わらないからである。それだけだろうか。・・・・・・特に比較するという意図もなく、3年近い間隔をおいて読んだ仏教とキリスト教の1冊の書が、ひとつのヒントを提示してくれたのである。法華経とエウセビオスの『教会史』である」(p.20)として、pp.20-28にかけての8p.ほど「法華教の論理」(五味、法華経における前提、第一の否定 二乗作仏、第二の否定 久遠実成の仏、法華経の弁証法への対応)を解説している。具体的な着眼点のひとつとして参考になります。


換骨奪胎その6 強い問題意識を持って具体的な問題を見つけることが必須。


⑦旧約聖書

⑧ユダヤ教

研究テーマの具体的な着目点は表(p.294)と聖書引照索引から読み取れるわかるように旧約聖書の解釈論にあります。たとえば、具体的に示せば、「それまでにイスラエルの民は神を十回試みたとされる。神はモーセに告げている。『彼らは私をこれで都合十回試みた。彼らは私の声に聞き従わなかった』(民14-22)。その十回とはそれぞれ何であったのか、また、それに対する神の反応はどうだったのかここで検討してみたい」(p.101)。

換骨奪胎その7と8 ヘブライ語で記された聖書(ユダヤ教は旧約聖書、キリスト教は旧約聖書と新約聖書)を熟読吟味することから問題を見つけ、解釈論を展開することが必須。

⑨人名索引・事項索引・聖書引照索引

人名索引74名、事項索引155項目、聖書引照索引(創世記6引用、出エジプト記27引用、レヴィ記2引用、民族記9引用、申命記6引用、サムエル記1引用、列王記上1引用、ホセア書1引用、詩篇3引用、-言4引用、ヨブ記1引用、雅記1引用、マタイ記1引用、ロマ記2引用)


換骨奪胎その9 ヘブライ語による出エジプト記の熟読吟味・引用が必須。



結論 この1冊から基本的な研究手法が読み取れるため、何度も繰り返して熟読吟味すれば、原著論文・解説論文がまとめられるようになります。ただし、確実な文献を引用し、確実な論理展開をして、確実な学術論文誌に投稿するか研究学術書としてまとめるようにすることです。中沢新一先生(多摩美大教授)や島田裕巳先生(在野の宗教学者兼東大先端研客員研究員)のような仕事のやり方がよいかどうか、慎重に対応しなければなりません。

Wed, March 11, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長が語った田母神俊雄氏のエッセー「日本は侵略国家であったのか」の感想-中学生に劣る認識-

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以下の文章のうち、「」でくくった青文字部分は、田母神俊雄氏のエッセー「日本は侵略国家であったのか」の引用文であり(ただし、全文を引用すると著作権に触れるため、文意を損なわないようにするために、段落内の一部のセンテンスを削除するようなことはせずに、比較的問題が少なくて議論の必要のない段落のみ全体を削除しました)、全体の表現と文意を把握したいひとは、原文全体を読んでください)、黒文字部分は私(桜井淳所長)の感想です。


まず、一般論のその1として、田母神俊雄氏の書いたものは、論文ではなく、エッセー(社会科学の分野では、査読を経ていないで、自由に主張するものをそのように位置づけています)です。分量も少なく、論証不足です。エッセーとしても、田母神氏は、社会科学の論文やエッセーのまとめ方を理解しておらず、全体の論理構成や確実な学術文献を多く示すことによる等の論証の仕方がまったく分かっていません。確実な文献を少なくとも100編くらい引用する必要があります。仮に、その内容が、日本の代表な月刊誌に投稿されたならば、おそらく、掲載される可能性は、ゼロでないにせよ(産経新聞社が発行している『正論』ならば、可能性は、なくはないでしょうが)、極めて低いと推察されます。原因は、田母神氏の歴史認識が、中学生のそれに劣るくらい不正確で偏見に満ちたものであるためです。もっと、考え方の異なる研究者との討論を重ね、もう少し客観性を高める必要があったように思えます。


一般論のその2として、日本のような民主主義国家では、誰に対しても、憲法で表現の自由が保証されているため、自己責任の範囲内で、何をしても自由です。ただし、組織に所属している場合には、その組織名や職位を肩書きに記そうが、そうしないにせよ、その組織の社会的位置づけや信頼性からして、自粛を迫られることは、多くの社会的不祥事や判例からも明らかです。よって、田母神氏が、件のエッセーを、自衛隊航空幕僚長の肩書きで発表しようと、個人の立場で発表しようと、所属している組織の社会的位置づけからして、当然、問題視されます。もちろん、田母神氏は、そのことを十分に認識していたでしょう。しかし、あえて、強行したのは、定年まじかで、たとえ、問題になったとしても、辞任を迫られる程度であるとの覚悟があったものと推察されます。いわゆる確信犯(実際にはもっと程度の低い愉快犯)です。やったことは、田母神氏の歴史観と価値観の表現ですから、たとえ、確信犯(実際にはもっと程度の低い愉快犯)であっても、個人の自由です。


ただし、致命的な問題は、政府が、中学生に劣る歴史認識しか持ち合わせていない人物を航空自衛隊の責任ある職位に指名したこと、田母神氏が所属組織の社会的位置づけを無視して暴走したことです。田母神氏が、定年退職後にそのようなことをしたのであれば、誰も何も問題視しなかったかもしれません。田母神氏は、そのことがよく分かっていたからこそ、あえて、自己主張が問題視され、自己主張の効果が最大限に発揮できるぎりぎりの在職期間を選択したのでしょう。田母神氏は、最初から、その結果も十分認識していたことでしょう。しかし、田母神氏は、自身の不勉強に起因する幼稚さをさらけ出すだけで、目的を達することができず、単なる負け犬として、社会から忘れ去られてしまいました。世の中ではそれを犬死と言います。


全体的に、木に竹を接ぐような論理展開であり、支離滅裂な主張で、読んでいてこちらが恥ずかしくなってしまいます。田母神氏が卒業した防衛大学校(教育基本法における大学ではなく、それに準ずるものです)では、主張内容のように偏った思想教育をしていたのでしょうか、多額の税金を使ってそのようなことをしていたとすれば、不信感が募ります。


日本は、民主国家であり、表現の自由も思想の自由も認められていますので、自己責任の範囲内で、何をしても自由です。私は、保守的思想の持ち主であろうが、革新的思想の持ち主であろうが、立場によらず、主張を尊重し、敬意を表します。しかし、主張は、歴史的に検証された史実(まだ、明確に実証されていない事項であれば、できるだけ客観的ないくつかの参考文献を示す必要があるでしょう)により、論理化されていなければなりません。田母神氏のエッセーには、以下に示すように、ザ年ながら、そのような論理構成になっていませんでした。


アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。


田母神氏は歴史を正しく理解できていません。日本は、相手国の了承なしに、日中戦争(1930年代後半から1940年代前半にかけての日本と中国の間の事変)や太平洋戦争(1940年代前半の日本と米国等連合軍の間の事変)を開始しました。歴史的な真実を無視した主張は暴論です。

この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936 年の第2 次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 年8 月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。


コミンテルンが国民党を動かしていたというのは、特定の思想を持つ研究者による推測であって、歴史的に証明されていません。歴史的に証明されていないことを主張の根拠にするのは、論文でも成立しませんが、たとえ、エッセーであっても成立しないでしょう。田母神氏は、自身の主張に都合の悪いことには目を伏せ、たとえ、歴史学から実証されていないことでも、都合のよいことだけ、拾い歩いているように映ります。

1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。


田母神氏は、張作霖列車爆破事件について、コミンテルンの仕業という説が極めて有力と主張していますが、歴史学で実証されたことでなく、いまのところ、特定の思想を持つ研究者による推測に過ぎません。張作霖列車爆破事件については、これまで、本人の自供から、首謀者が河本大作大佐であることが確認されており、「昭和天皇独白録」等の信頼すべき文献にも、そのことが記載されています。日中戦争が日本による侵略戦争であったことは、岸信介元首相によっても、証言されています。私はそのような映像を記憶しています。私も侵略戦争と位置づけています。歴史的に見れば、20世紀は、侵略と独立のための戦争の世紀でした。大国は、どこも、領土を拡大し、地下資源を獲得し、それによって、国内産業を興し、国民生活を豊かにするために、侵略戦争を行いました。そのため、日本だけがそのようなことをしていたわけではないことは、確かですが、留意しなければならないことは、あまりにも規模が大きいことです。規模の大きさを比較すれば、日本は、最悪であり、どのような根拠を挙げても、正当化できません。

 「我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7 番目に造られた。その後8番目が1931 年の大阪帝国大学、9 番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。


日本は、戦争中、朝鮮半島や中国等で、各種の社会資本を整備しましたが、戦争というものは、そもそも、破壊と殺人で成り立つ野蛮行為であって、たとえ、社会資本を整備して、現地の人たちのためになったとしても、現地のひとたちに与えたマイナスに比べれば、無視できるような割合に過ぎず、そのことを誇張して、貢献や正当性が示せるものではありません。もし、正当性を論証するのであれば、相手国に対し、実施行為のうちの何割が貢献だったのか示し、その数が過半数以上ならば、正当化できないこともありませんが、史実は、そのようになっていません。田母神氏の主張は、言い訳がましい筋違いの主張に過ぎず、実に、見苦しく映ります。
 
さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 00万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18 年5 月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940 年から1948 年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995 年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933 年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3 00人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。


米国謀略説は、特定の思想を持つ研究者による推測であって、まだ、歴史学で実証されていません。田母神氏には歴史的な真実とフィクションの区別がついていません。米国謀略説は、当時の政治的な背景や社会的な背景、さらに、断片的な証拠をつなぎ合わせれば、ありえないストーリーではありませんが、推測と歴史的真実は異なり、実証されたものだけが真実です。自己主張に都合のよい仮説を組み合わせれば、どのような主張も可能ですが、そのようなものは、この世の中では、暴論として無視されてしまいます。

東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。


この部分の記載内容は、田母神氏が最も主張したかったことと推測できます。田母神氏は、政府がいまのような歴史観に呪縛されて日本を侵略戦争遂行国家と位置づけていたのでは、士気高く、積極的に、隊員を指揮することができず、効果的な国家防衛ができないと言いたいのであろう。しかし、自己主張に都合のよい情報だけ羅列しただけで、はたして、自衛隊員の大部分が納得して追従するだろうか。私はそのようなことは絶対に起り得ないと確信しています。

自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポーで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。


田母神氏が、そのような主張をしても、言いっぱなしであって、何も論証できていません。きちんと論証する必要があるでしょう。侵略戦争であったことは、特定の考え方を持った研究者の主張レベルではなく、政府が正式に認めていることであって、それが間違っているというのであれば、それを崩す史実を示して、誰でも受け入れられるように、論証しなければなりません。しかし、そのようなことは、絶対に、できないでしょう。また、たとえ、東南アジア諸国の一部のひとたちが、関係者相手にそのようなリップサービスをしたとしても、そのことと世論は異なっており、中国を初めとして、東南アジアでの評価が高いとすることはできません。田母神氏が、あるいはその関係者が、それら各国で世論調査を実施し、調査対象者の過半数が賛意を示すのであれば、主張は成立しないこともありませんが、そのようなことは期待できず、現状においては、実に、空虚な話に留まっているように思えます。


日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。」


ひとつの側面だけ誇張し、日本を自画自賛しても、歴史の汚点を消し去ることはできず、そのような主張をすればするほど、現実からの逃避が浮き出てしまいます。この段落のまとめは、中学生のエッセーよりもレベルが低く、小学生並みの思考法に留まっていて、哀れでなりません。


【結論】

文化全体を評価すれば、過去も現在も、日本には、世界的に、優れたことが多くあることは、否定できません。ですから、よい点をアピールすることは、決して、悪いことではありませんが、もし、そうしたいのであれば、全体的な描写と全体に対する割合のような定量的な評価も必要になります。戦争にもルールがあり、建設的な面とそうでない面もあり、矛盾の塊です。確かに、社会資本の整備や人助け等もあったでしょう。しかし、そのことのみ強調し、過大評価すると、本質を見誤ります。日本を否定的に位置づける「反省史観」では、士気が萎縮し、自衛の気概が失われるというのであれば、そして、田母神氏が、本気でエッセーの内容を主張したいのであれば、ことは国家の方針の問題であるため、特定の思想を持った民間組織(元谷外志雄代表のアパグループ)主催の「第1回真の近現代史観」懸賞論文への応募程度ではなく(それは、特定の思想を持った代表とそれに同調する審査委員により構成され、趣味の会の会合程度でのバイアスされた褒賞劇で、特に、審査委員(委員長・渡部昇一上智大名誉教授、委員・小松崎和夫報知新聞種社長、委員・花岡信昭産経新聞客員編集委員、委員・中山泰秀衆院議員。特に、渡部昇一氏の歴史認識には、実証することなく、ただ、思いつくままに、保守史観を展開しているスポークスマンのような存在であり、仮に、そのような内容の原著論文が学会誌に投稿されたならば、絶対に、査読通過しないでしょう)の審査の客観性がゼロです)、まず、自衛隊(当時、小泉純一郎首相は、はっきりと、軍隊と表現していました)内に調査委員会を設置し、内部で徹底的に議論し、結論を政府に提出することにより、国会で議論してもらうというのが手順のように思えます。田母神氏はその基本的な手順を守っていません。よって、田母神氏のしたことは、"ひとりクーデター"に過ぎません。憲法九条の理念を厳守しながら、自衛隊だけで国が守れると田母神氏もまったく考えていないものと推察します。日米安全保障条約に則った米国の軍事力が日本防衛の生命線であることは、国民の誰ひとり否定していないものと推察されます。"日本賛歌論"を掲げ、士気高く構えても、国家防衛の本質からすれば、自衛隊のしていることは、たとえるならば、米国のしていることに対する"お猿の電車のお猿さん"程度の役割に過ぎません(米国が生命線を握っており、日本はそれらしき真似事をしているだけと言う意味です)。田母神氏は、米国脱却を図るため、ロシア(最初約30000発だったが削減後、推定約15000発)と中国(推定約200発)と北朝鮮(推定数発)の核兵器に対抗できるように、独自の核兵器製造配備の国家防衛が可能な軍隊の整備まで想定している。田母神氏は明確に"核武装論"を主張している。すべての"核兵器の段階的削減と最終的全廃の時代"の中で(遠藤哲也「核兵器なき世界に向けて-グローバル・ゼロ軍縮会議-」、日本原子力学会誌、Vol.51,No.3,pp.22-25(2009))、実に愚かな主張である。私には田母神氏の精神構造がまったく理解できません。売名行為による定年後の商売のためであれば、勝手にやってください。(2009.3.4)

Wed, March 04, 2009 stanford2008の投稿

【事務所報告】3月に開催される学術セミナー

テーマ:ブログ

「第3回弘道館・偕楽園公園の歴史・自然探訪セミナー」開催案内-偕楽園観梅シーズンコース-


(1)主催 桜井淳水戸事務所(代表 桜井 淳)
(2)実施概要 水戸市には、市街地隣接公園としては、ニューヨーク市セントラルパークに次ぎ、世界第2位の面積を有する偕楽園公園(偕楽園・千波湖・千波公園・桜山公園からなる周囲7kmの複合公園)と江戸時代末期に開設された学問所の弘道館があり、観梅期・桜期・新緑期・紅葉期に、それらの歴史をたどり、7kmの自然探訪を行います。千波湖わきの桜川には、秋頃、太平洋から那珂川を経て、鮭がさかのぼります。水戸市在住30年(偕楽園公園は毎日の散歩コース)の桜井淳所長が学術文献(水戸市立博物館『千波湖の自然』(1987)、名越時正『水戸藩弘道館とその教育』(茨城県教師会、2007)、鈴木英一『水戸弘道館小史』(文眞堂、2003))を基にして歴史を語り、自然探訪の案内役を務めます。東京から特急で約1時間の水戸駅、歩きやすい服装と靴でご参加ください。


集合場所 水戸駅 10:00
10:00-12:00 弘道館(徳川斉昭が江戸末期開所の学問所)の展示品見学と歴史・自然探訪
12:30-13:00 千波湖(2万年前にできたとされる)の歴史・自然探訪
13:00-14:00 偕楽園(徳川斉昭が江戸末期開園)の歴史・自然探訪
14:00-14:30 桜山公園の歴史・自然探訪
14:30-15:30 徳川博物館入館
15:30-16:30 千波公園の歴史・自然探訪
16:30-18:00 自由討論

(3)担当者 桜井 淳と桜井淳水戸事務所スタッフ1名
(4)配布資料 桜井作成資料等
(5)応募資格 弘道館・偕楽園公園の歴史と自然に興味を持っている者。
(6)定員 20名
(7)実施日時場所 2009年2月28日それから3月7, 14, 21, 28日(土)
(8)申込先 桜井淳水戸事務所セミナー事務局
(9)参加費 10000円



「第18回モンテカルロ法による中性子遮蔽安全解析セミナー」開催案内-WW法最適ウェイト下限値推定法-


(1)主催 モンテカルロシミュレーション研究会(代表 桜井 淳)
(2)実施概要

10:00-11:00 MCNP WWG理論(衝突確率調整法含む)
11:00-12:00 MCNP-4C2インストール及び最も簡単な鉄球体系での計算演習
13:00-15:00 FNS 14MeV中性子の鉄深層透過問題(1m)計算演習
15:00-16:00 核分裂中性子の鉄及びコンクリート深層透過問題(1m)計算演習
16:00-16:30 質疑応答

(3)計算演習担当者 桜井 淳
(4)テキスト 当日配布
(5)応募資格 パソコンでMCNPを利用した中性子・光子遮蔽計算をしたい者(大学院生歓迎)
(6)定員 5名(一対一の面接方式での指導を行います。)
(7)実施日時場所 2009年3月30日(月)、水戸市民会館3F小会議室(水戸市中央1-4-1) 水戸市役所隣接施設(水戸駅南口徒歩5分)
(8)申込先 桜井淳水戸事務所セミナー事務局

(9)参加費 10000円
(10)参加者報告事項 持参PCのOSと処理速度(何GHz)

(11)注意 将来、最先端の研究に利用する場合、セミナーで習得したインストール法により、最新版のMCNP-5を組織内で自身の責任でインストールして下さい。誰にでも簡単にできます。なお、計算コード利用には、管理機関の許可が必要ですので、RIST HPから利用手続きをしておいてください。



「第16回モンテカルロ法による核燃料サイクル施設の臨界安全セミナー」開催案内


(1)主催 モンテカルロシミュレーション研究会(代表 桜井 淳)
(2)実施概要

1日目(初歩的計算)
10:00-11:00 モンテカルロ法による臨界固有値計算に必要な基礎知識
11:00-12:00 MCNP-4C2インストール及び最も簡単な球体系での臨界固有値計算演習
13:00-14:00 JCO沈殿槽事故時U溶液体系及びその他の実施設臨界固有値計算演習
14:00-16:00 実施設模擬8種(Los Alamos Criticality Primerの演習問題)の溶液体系の入力作成及び臨界固有値計算演習
16:00-16:30 質疑応答
  
2日目(実際的実験解析)
10:00-16:00 各種TCA軽水炉燃料棒未臨界体系臨界固有値計算演習(指数実験値未臨界度0.63-0.999との比較)。TCA燃料棒配列体系17×17, 16×16, 14×14, 11×11, 8×8, 17×11, 17×5, 17×17-7×7, 17×17-12×12, 17×17-144, 17×17-206(詳細は、桜井・山本「指数実験及びモンテカルロ計算により評価された未臨界度の比較」、日本原子力学会誌, Vol.40, No.4, pp.52-59(1998) 参照)。
16:00-16:30 質疑応答

(3)計算演習担当者 桜井 淳
(4)テキスト 当日配布
(5)応募資格 パソコンでMCNPを利用した臨界計算をしたい者(大学院生歓迎)
(6)定員 5名(一対一の面接方式での指導を行います。)
(7)実施日時場所 2009年3月31日(火)、水戸市民会館3F小会議室(水戸市中央1-4-1) 水戸市役所隣接施設(水戸駅南口徒歩5分)
(8)申込先 桜井淳水戸事務所セミナー事務局

(9)参加費 30000円
(10)参加者報告事項 持参PCのOSと処理速度(何GHz)

(11)注意 将来、最先端の研究に利用する場合、セミナーで習得したインストール法により、最新版のMCNP-5を組織内で自身の責任でインストールして下さい。誰にでも簡単にできます。なお、計算コード利用には、管理機関の許可が必要ですので、RIST HPから利用手続きをしておいてください。

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