日本が世界に誇るビッグカンパニーであるトヨタの営業利益が2兆円を超えた。「トヨタの利益が1兆円」との発表を聞いてからわずか数年で倍増である。果たしてトヨタはどこまで伸びるのであろうか。
記者は、トヨタ生産方式を生み育てた元トヨタ副社長、故大野耐一氏から“カイゼン”の考え方・手法を直接学んだ1人である。“改善”の体験を通して「人づくり」と「改善魂」の観点から少し考察を試みたい。 20年前の冬、1部上場のある企業の管理者であった私は3人の同僚と共に名古屋のトヨタグループ会社へ行き、「トヨタ生産方式」を学んでくるように経営トップから厳命された。勤めていた会社は毎月赤字の連続で切羽つまっていた。われわれは会社を立て直す起爆剤になることを期待されていた。 幸いなことにそのころ、トヨタ方式を生み育てた大野氏がトヨタの副社長を退き、複数のトヨタ関連会社で相談役を務めながら、世界各地からトヨタ生産方式を求めて通ってくる者を「実践的な改善ができる人」として育てることに専念していた。「ものづくりは人づくり」が口癖であった大野氏から学んだことは多い。 私はいきなり自動車部品製造ラインに放り込まれた。講義や説明は一切なし。「あの……」と言いかける私の言葉を遮って「現場に立って見ること」のひと言。 私は途方に暮れた。いくらラインを見ても天下のトヨタグループの製造現場である。まったく「ムダ」など見えなかった。 1日目……2日目……3日目……大野氏の意を受けた担当者がやってきて「どうだ」という。さらに、注文が増えたので直ちに「人を増やさず生産性を20%上げよ」と言う。 「エーッ、どのようにして?」 私は絶句した。宿泊先に帰って考えたが、何も改善案が浮かんでこない。まったくの暗闇である。 「このまま逃げ帰るか……ダメだ、ダメだ」 眠らず、朝方まで考え込んだ。外は三河地方特有の大雪が深々と降っていた。 明くる朝、私はせめて「ヒントをくれませんか」と泣き言を言った。「だめだ、お前たちには大野先生から『徹底的に自分の頭で考え改善させよ』と言われている」 これが「大野流」だ。私は覚悟を決めた。朝からストップウオッチを手に持って現場に立った。現在の必要数(注文数)からいってタクトタイム(1個つくるために必要な時間)は18秒、しかし現状は22秒かかっている。不足分を負荷残業でカバーして生産している。現場に立ち詳細に観察を続けた。……すると、ある瞬間からフッと見えてきた。 私は心の中で叫んだ。「これがムダか!」 部品を取り出す際作業者の手が一瞬迷っている。「そうだ箱の角度が悪い」。機械と機械の間を作業者が移動するとき0.5秒かかっている。なるほど、機械と機械の間を詰めればよい。これで0.2秒改善できる。 こうしているうちに、様子を見ていた担当者がビデオを貸してくれた。少しムダを見つけられるようになったので、次は「ビデオ分析してもよい」とのことだ。決して初めから道具を与えないのも大野流である。 1週間もするとそのビデオは不要になった。自分たちの目で、現場で現物を見てムダをみつけられるようになった。1~2秒を短縮するために5~6件の改善を行った。必要な道具も自力でつくった。そして2週間後。タクトタイム18秒に対してサイクルタイム(作業者がものを1個つくるために要する時間)17秒を達成した。うれしかった。ほんとうにうれしかった。改善の醍醐味を味わった。 引き続き他のラインの改善を任された。射出成型の段取り替えであった。これも目標をクリアした。次は、ラインとラインのつなぎ目である店(半完成品置き場)の改善に取り組んだ。大野氏は週に2~3回、われわれの改善現場を見に来ていた。 ある日、「お前たちに見せておきたい」と言い、先に立ってずんずん歩いていった。「これじゃー、よーく見ておけ、これが今、世界で一番進んだトヨタ生産方式のラインだ」 それはU字型のラインで、見事に「要るものを要るときに要るだけ」(後工程が引き取る量だけ)つくっていた。私は固唾を飲んだ。「まるで生きものだ」。私は食い入るように観察し、その姿を頭に刻んだ。 そのとき突然、大野氏がそのラインの運搬工程(ローラーコンベヤー)を指さして、「ここをぶち切れ」と鬼の形相で叫んだ。現場の主任、技術者はあっけにとられていた。大野氏は常に現場でムダを見たとたん“改善の鬼”になるのである。 大野氏から工場の事務所においてもたびたび指導を受けた。 今でも鮮明に思い出す。「後工程引き取りとはなー」「なぜ世間は必要な物を必要なときに必要な量をつくらないのか」「ブラジルでもトヨタ生産方式で改善したぞ」。弟子の「鈴村がなー」「張(現トヨタ社会長)がなー」。とりわけ大野の意思を直接受け継いでいる弟子たちのことを語るとき、それはそれはうれしそうだった。 私はいつも緊張しながら、「大野氏の指導を直接お聞くときは今をおいてない」とひと言も聞き逃さないように耳をすましひざを乗り出した。大野氏の指導や振る舞いは私たち若造に対しても、一流会社の社長に対してもまったく同じであった。 それは大野氏自身の改善魂を後世に託そうとする気迫であり、若いわれわれに期待するまなざしだった。「現場では鬼、事務所では好々爺」――これが私の深層意識に刻まれた大野耐一像である。 そんなある日、事務所での懇談中、大野氏が突然「現場がいかに暇であるか、ムダの塊であるかを見せてやろう」と、いつもの調子で足早に先頭に立って事務所を出て行った。われわれは後を追った。着いた所は紡績工場だった。 数十台の紡績機械が稼働していた。「あれを見い」。大野が指さす方向に目をやると、そこには若い女性が1人ポツンと椅子に座っていた。大野は何も言わない。私は訳が分らないまましばらくの間、女性と十数台の機械を交互に黙って見詰めていた。と、そのとき、紡績機械の1台に赤いランプ(アンドン)が点灯し、停止した。座っていた女性は立ち上がり、その紡績機械の側に普通の速さで歩いて行き、糸の部分を取り扱った。 機械はすぐ回り始めた。女性は再び椅子に戻り座った。私は驚いた。なんとその女性は、われわれが仕事時間と思っている80%近くを座っているだけであった。大野氏は相変わらず何も言わなかったが、私は現場でそら恐ろしいまでの現実のムダを見た。「なるほどムダを省け」と百ぺん口で言っても分らない。だが、こうしてムダが誰の目で見ても明らかであれば、ムダを省こうとする知恵が生まれる。 エピソードが長くなった、結論を急ごう。 本年春、元北米トヨタ社長が関係したセクハラ事件が報道され、関係者を驚かせたことは記憶に新しい。また最近のトヨタでは、以前では考えられないほどリコール台数が増加している。記者はプリウスに乗っているが、エンジン始動時の不具合を訴えても「点検結果、まったく異常なし」と言うのみである。 トヨタ販売店で「大野耐一」の名を言ってもまったく知らない。記者はこうした現象から、最近のトヨタは世界に戦線が拡大するあまり、「改善人材」が圧倒的に不足しているのではと感じている。「驕る平家は久しからず」との言葉もあるが、このままでは50~100年後、トヨタの名は残っているだろうか。多分、「改善人材不足がアキレス腱である」ことを今、最も心配しているのは大野氏の直弟子とも言われる張富士夫トヨタ会長自身かもしれない。
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