2009年02月25日

オイラのお袋

私のお袋は、<博徒>で年がら年中、博打三昧の親父に代わってずっと一家の家計を切り盛りしてきた働き者です。
高校3年間、いつも深夜まで受験勉強をしていた私に毎晩欠かさず夜食を作ってくれました。夜、12時の時報が鳴るとお袋はお盆に夜食を乗せて私の部屋にやってくるのが習慣でした。
育ち盛りだからといって、いつも夜食はボリューム満点、栄養たっぷりの手作り料理でした。即席ラーメンも、肉と野菜を炒め、餡掛け状になったヤツをてんこ盛り、わざわざ夜中にトンカツを揚げて熱々の大盛カツ丼、甘辛い油揚げや竹輪の天麩羅と玉子が入った鍋焼きウドン…。
私が勉強を再開する12時半まで、夜食を食べながら雑談に花を咲かせたものです。この30分が当時の私にとってかけがえのない癒しの時間でした。
いつも深夜1時過ぎまで家事をしたり賭場に酒やツマミを出したり、翌朝、私が7時に起きると、数時間前まで賭場だった居間を綺麗にチリひとつなく掃除を済ませ、毎日メニューの異なる朝食が食卓の上に並んでいました。だから私は上京するまで朝食抜きの生活をした事はありません。
「いったい、お袋はいつ寝てるんだろう!?」
昼間は工場で働き、夜は夜で小料理屋を自分で経営したり、たまにはサイコロ振ったり…。賭場に集まるヤクザやチンピラもお袋には頭が上がりませんでした。
あまりに働き過ぎて一時はリウマチ(膠原病)になり入院したくらいです。しかし、気が付いてみると自力で(勿論、医師の治療を受けて薬を服用していましたが)完治させて、また働いて働いて…。

親父と一回り以上年下のお袋ですが、さすがに仕事は引退しました。
ところが今度は「趣味」に燃える毎日です。<歩け歩け会>に入り、月に1度はウォーキング旅行に出掛けています。あの音痴のお袋が<民謡会>に入会して…昨年は関東大会で入賞してしまいました。そうかといえば、大正琴も習っていてコンクールでメダルをもらい、先日は書道4段を取得したと電話がありました。書道を始めて3年にもかかわらずです。
年に1回は友人と海外旅行に出掛け、大型バイクを乗り回しています。バイクも車も免許を取ったのは40歳を過ぎてからです。
私も倅もお袋が大好きです。
とにかくお袋の手料理が食べたいのです!! 決して豪華な料理ではありませんが、キュウリやナスのお新香と味噌汁だけでも抜群に美味いのです。特に私たち親子の好物が甘い玉子焼きと筑前煮です。筑前煮というより野菜と肉のゴッタ煮なんですが、私たちには絶品です。
本当は毎月でも帰省したいのですが、私は故郷には良い思い出がありません。昔は周囲近所から<ヤクザの息子>と呼ばれ、今は<東京の物書きヤクザ>と呼ばれ…、まあ幼なじみで今はホンマモンで鳴らす梁川の<舎弟>ですから仕方がないのですが。挙げ句に親父が80近い癖にいまだに煩い煩い。お袋には会いたいけれど、正月にも帰らない生活です。
たまにお袋が遊びに来ます。すると必ず玉子焼きを作ってもらいます。実家から持ってきたお新香と、またまたお袋の味・豆腐と油揚げの味噌汁…最高のご馳走です。
お袋だけには一生かけても感謝しきれない大恩があるのです。もし、お袋がいなかったならば私は間違いなく本当のヤクザになって、今頃はヤッパで刺されて死んでいたでしょう。
お袋の話をし始めたらキリがありません。最高に出来た<母親>である事は言うまでもありません。

お袋、あ・い・し・て・る!!
いつまでも元気で、元気で、とりあえず元気で!

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(ハーレーダビットソンがお袋愛用のバイクです)

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(先日、お袋が遊びに来た時に作ってくれた玉子焼きと筑前煮です。この玉子焼きの焦げ具合が香ばしくて最高なんです)


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2009年02月11日

我が家のペットの乱!?

老犬のエルは最近、大人しく寝てばかり。
<家庭内野良猫>のクーも相変わらず人間様を無視し好き放題の毎日。
以前はエルを相手に遊ぼうとしたクーも、エルに無視され続けて今では互いが干渉せず、平和に生活していました…。
ところが、そこにオテンバ猫のミルjr.がやってきて、我が家の動物3匹の生活は大きな変化を余儀なくされました。全ての原因はミルです。
クーが姿を現すと執拗にミルはクーを追い掛けます。
鼾をかいて寝ているエルの回りをクンクンしてはチョッカイをやめないミル…。
ついに堪忍袋の緒が切れたエルとクーは連合を結び、ミル討伐に立ち上がりました。しかし老犬エル、熟年クーに対し、元気一杯のミルは「やっと遊んでくれた」とばかりにエルとクーに真正面から<反撃>。

こうして、クーは少しずつではあるものの私たちの前をうろつくようになり、人生(犬生?)に達観したはずのエルも、再び私に甘え始めました。
賑やかですが、大変なのは週に2、3回やってくる家政婦さん。そして明け方に寝る私です。彼ら犬猫の<乱闘>は、夜明けを合図に始まるからです。

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(とにかくオテンバなミルです)


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(家政婦さんに捕まって逃げたいクー。ふてぶてしい顔はさすが、家庭内野良猫)


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(老けてなどいられなくなったエル)

でもね、エル、クー、そしてミルjr…みんな<あ・い・し・て・る>。




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2009年01月31日

不肖・私の仕事部屋!?

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(不肖・K・KOJIMAの仕事部屋!?)



私は受験勉強時代のトラウマか? それとも腰を傷めたからか? 椅子に腰掛けて机に向かい原稿を書くといった姿勢、あり方を体と心が受け付けない人間になってしまいました。
以来、執筆活動はbedroomに腹這いになり、PC(以前はワープロ)に向かうのが習性です。これだと胸の下に枕を敷き、常に背筋運動状態になる為、むしろ腰への負担が増すという声もありますが、関係ありません。
何故なら、この体勢でなければ最早原稿の執筆が不可能になってしまったからです。
…という訳で、4畳半足らずながらも私の<仕事部屋>のはずの個室には、<仕事机>などありません。小さな小さなテーブルが、コーヒーや灰皿を置く為にあるだけです。
いまや資料関係の<資料室兼書庫兼物置>と化してしまいました。この現象が急激に進んだのは2004ー2006年に取り掛かった私とyocchanの共著「大山倍達正伝」の制作時でした。500点を優に超える資料との格闘はあまりに凄まじく、いわば現在の仕事部屋は「大山倍達正伝」制作時の闘いの残骸と言っても過言ではないでしょう。
現在、この部屋は資料を探す時か、独り静かにタバコを吹かしながら物思いに浸る空間に成り果てています。
写真に見えるギターは高校時代から愛用してきたYAMAHAのフォークギター。小さめな黒いケースはフォークギターの名ブランド・Martin社がかつて限定販売したtravel用ギター。貧乏性の私には清水の舞台から飛び降りる覚悟で買いました。
しかし、殆どいまはギターを弾く事はありません。勘が鈍ったのも理由ですが、この数年本格的に稽古している、ある格技の影響で特に左の指と手首が慢性的に痛く固まった状態で、ギターの弦を押さえるどころの騒ぎではないのです。
ところで「大山倍達正伝」の共著者であるyocchanはとっくの昔に、私と同量以上あった資料群を綺麗に整理し尽くし、またその時の経験を生かし、現在執筆中の「大山倍達の遺言」関係の資料は実に合理的かつconpactにまとめています。
どうせならば仕事部屋を2つにしないで一緒にやれば実に効率的なのに…。
だから早く一緒になろう。
あ・い・し・て・る!
なんて最後はいつもの通りお決まりの婉曲的で卑怯なproporseになってしまいました。

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(書庫とはいってもマンガも何でもバラバラです)


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(黒いケースが私のお宝・Martinのギターです)




(了)

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2009年01月22日

超貴重な大山総裁との2shot写真!!

道場生時代はともかく、私が編集記者として、またprivateでも大山(倍達)総裁と親しくさせて頂くようになったのは1987年前後からでした。
「空手百科事典」(空手全科)制作を依頼されたのが1989年の春です。この頃から数カ月に1回、千葉県一宮市の旅館にお供するようになりました。

この写真は総裁の定宿だった旅館・一ノ宮館ロビーでのスナップです。あんなに年がら年中一緒にいたのに、まさか総裁が突然のように早世するとは夢にも思わず、2人だけの写真はこの1葉しかないのが残念です…。
1994年3月、総裁と最期に会った日も、「小島、また一ノ宮に行こうや」でした。それが叶わぬまま、総裁は逝ってしまいました。

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(たしか9月の残暑が厳しい日でした。暑がりの総裁と、この後、一緒に風呂に入り、更に暑いサウナで汗を流した記憶があります)




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2009年01月21日

もっと貴重な…高校時代のお写真!?

高校3年生といえば…197?年。正確には覚えていない程の昔です。高校最後の文化祭、folksongーclubに入っていた私のonstageです。

自分が作詞・作曲したoriginalーsongを中心に、井上陽水やNSPなどのcoverを約10曲唄いました。最後には仲間が演奏に加わって陽水の<夢の中へ>の大合奏となりました。

憧れていたT女子高のAさんに聴いて欲しくて一生懸命でした。でもAさんが観客席にいたかどうかは今だに…つまり永遠の謎です。

ちなみに、このLIVEで初めて友人のcap(帽子)を被ってから、私は今でもずっとcapを愛用しています。

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(私にとって一世一代の晴舞台でした。やはり歌はカラオケではなくギターやピアノで唄うものですね)




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