大阪人気質を語るうえで欠かせないキーワード、「いらち」。とかく大阪の人はせっかちと言われがちだ。それを裏付けるデータがある。なんと大阪人の歩く速さは秒速1・60メートルで、日本一どころか世界有数だというのだ。エスカレーターに乗っても「動く歩道」の上でも、とにかく歩く、歩く。でも、こうしたいらちぶりが、浪速の街の活気を生み出してきたのも事実なのだ。(福富正大)
国際交通安全学会が昭和54年に行った調査によると、道を歩く速さは都会になるほど増す傾向にあり、秒速1・60メートルの大阪市が堂々の第1位だった。東京は1・56メートルで僅差の2位。名古屋市は1・48メートル、福岡市は1・35メートルだった。浪速っ子が博多っ子と同時に歩き始めたら、1分で15メートル引き離してしまう計算だ。
確かに、大阪人の「速く移動する」ことへの情熱を物語るエピソードは事欠かない。
先ほどの調査には、赤信号に対する歩行者の対応を調べたものもある。信号が青に変わるまで待つのは、東京ではほぼ半数の47・3%。ところが大阪ではわずか10・5%なのだという。だからこそ昭和38年、大阪駅前と難波駅前に信号の待ち時間を表示する「カウントダウン式信号機」が日本で初めて設置されたのだ。
そして、日本初の「動く歩道」も大阪。昭和42年、阪急梅田駅が現在の位置へ北に200メートル移動したのがきっかけだった。ところが、せっかくスウェーデンから輸入した「ムービングウオーク」に、なぜか故障が相次ぐ。どうやら想定外に利用者が次々と歩道上を歩くため、ゴム部品が傷んだのが原因のひとつらしい。
確かに現在でも、動く歩道の右側に立ち止まる人のかたわらを、歩く人たちが次々と追い抜いていく。かと思えば込み合う動く歩道にあえて乗らず、その脇の通路を歩く人のほうがさらに速かったりもする。
この動く歩道やエスカレーターで急ぐ人のために片側をあける習慣も、どうやら大阪がルーツのようだ。阪急電鉄が左側をあけるようにアナウンスしたのが、昭和45年の大阪万博を機に各地に広まったという。
ただし近年、さしもの大阪人の歩く速さも、やや衰えたようだ。博報堂生活総合研究所が平成14年に若い女性限定で行った調査だと、秒速1・33メートル。東京の1・29メートルを上回ってはいるが、四半世紀で2割近くスピードが落ちたことになる。
『大阪学』などの著書で知られる帝塚山学院大名誉教授、大谷晃一さんは「大阪は商人の町。早い者勝ちの競争社会だから、皆いらちになる。速く歩くからこそ、大阪らしいんですな」と話している。
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