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'09.02.22 (日)

どちらが 「人を躓かせる行為」 をしたのか

罪のいざないが来るのは避けられない。しかし、それをもたらす人は不幸である。その人にとっては、この小さな者の一人に罪を犯させるよりはむしろ、首にひきうすをはめられ、海に投げ込まれるほうがましである。(ルカ 17:1-2)

たまには批判的な記事も書く。(たまには?)
特にスキャンダル好きというのでもないが、下のようなものを拾った。

問う。
より本質的な部分で 「人を躓かせる行為」 を為したのは、
この青年なのか、それとも聖職者たちなのか。
司教から「
騒ぎ立てるのは信仰心が足りない」 と "指導" され、
今やおそらく信仰そのものさえ失おうとしているこの青年なのか、
それともこれらの姿を晒している聖職者たちなのか。
「愛」 と 「平和」、「一致」 と 「信仰」 という美名によって物事を隠蔽し、
うやむやにし、「指導」 の名のもとに真摯な者を弾圧し、排除する人達よ。
ここに主がおられたら、あるいは洗者聖ヨハネがおられたら、
何と言うだろうか。「わが良き牧者よ」 か。「わが友よ」 か。
「まむしの末裔」 「呪われたる者よ」 ではないのか。

★ 赤太字による強調はすべて管理人 ★

写真は愛人と仲良く手を繋いであるく、現在カトリック府中教会の主任司祭であるマウ神父。たまたま僕が町田のフレッシュネスバーガーで夕飯を食べていた時に前を通ったので証拠として写真を撮ったのだ。

四年前、この司祭は献金箱のお金を数える前に幾らかネコババし続けたとのことで信徒から非難された。バザーの売上金やく七十万円は会計報告もなく、どこかに寄付 (神父談) された。まぁこれも横取りされたのだ。悪事はこれだけでなく、前述したような女性問題も。女性はまかない婦として雇用されていたが、たびたび神父の部屋から朝帰りする姿が目撃されていた。
こんな人はもはや神父ではない。藤が丘教会の有志は横浜教区の梅村司教に状況改善を訴えに行った。が、司教は有志の苦労をねぎらいもしないで 「騒ぎ立てるのは信仰心が足りない」 と逆に責め、全ての信徒活動を停止させた。
信じられないかもしれないが、これがカトリック横浜教区なのだ。

この事件により教会を離れた人は数知れず、僕もその一人だ。
来年、僕は多分●●県に居る。そこで再び信仰心が戻ることを期待している。

2007年の暮れの頃の記事のようだ。
マウ神父とは、ミラノ外国宣教会のマウリツィオ・ビッフィ神父のことらしい。

女性関係 (の濃厚な疑惑) といい、その司祭を指導すべき立場にある長上の体質といい、コメント欄で誰かも言っていたが、BOACスチュワーデス殺害事件を連想させるに十分なものだ。

私も、「司祭も人間。"魔が差した" 程度の間違いは犯すことがあり得る」 と思っている。しかし、上の内容がもし本当だとしたら、それは 「魔が差した」 程度のものではあり得ない。確信的な反逆である。しかも、確信的であるくせに公然と表明することをしないすごぶる卑怯な反逆である。

また、上の長上の姿がもし本当だとしたら、これもお話にならない。私としてはむしろこっちの方が気になる (だから太字強調にする)。こんなことでは、私達の教会にはいかなるセキュリティもないということだからだ。一番目のドアの鍵が壊れていると思ったら、二番目のドアの鍵も壊れている。泥棒さん入り放題、ということになる。(信者であれば、この 「泥棒さん」 という言葉が何を意味するか分かるだろう。)

別の記事。あえて大幅に転載させて頂く。

カトリック藤が丘教会のM神父について。

 カトリック藤が丘教会のM神父が四月から東京教区の府中教会に異動することがきまった。しかし結局使い込んだ100万円以上のお金に対しては納得のいく説明はしないままだ。「信者間のトラブル解決のため (そんな事実はない) 」 → 「匿名性のあるボランティア団体に寄付した (領収書なし) 」 と、ころころ変わる説明のみを残していった。何度書面にて説明を求めても返答なし、教会ではミサが終わると事務所に引きこもって外に出てこないという臆病な子供みたいな神父だった。多分自分のやったことに責任が持てなかったのだろう。周りにをイエスマンで固め、事情を知らない高校生以下の信者としか交流を持とうとしなかった。嫌いな信者には挨拶もせず、時には睨みつけるという霊性の低い神父だった。
 こんなことをしていては信者が離れていくのが当然のことで、藤が丘教会にM神父が赴任してから教会の維持費を払う人は全体の三割ほどになり、1200万円ほど教会の収入が減った。目に見えて教会に通う信者が少なくなったというのにM神父は 「1800人 (100人増えた) になった」 と見栄を張っているのが面白い。ご自分に人徳があるとでも思っていたのだろう。
 教会内で作った愛人とも堂々とデートを繰り返し、その姿は数多くの信者に目撃されていて、写真まで撮られる有様だった。M神父はわざわざ節制・貞潔の誓いを破るために神父になったのだろうか。M神父に接して、自分もM神父みたいになりたいと感じた信者はいるのだろうか。

 M神父が府中教会に移ったからといって問題が解決したわけではない。M神父によって傷つけられた信者はたくさんいるし、また府中教会で同じことを繰り返すだろうからだ。ただカトリック藤が丘教会の信徒活動をすべて停止して事件の沈静化を謀った横浜教区のU司教のもとを去り、東京教区の司教の下で働くことになるため、大手を振って悪事をすることはできなくなるだろう。
 今心配なのは府中教会にてまたパワーハラスメントが行われることだ。M神父によって逆に信仰心を失う人がこれ以上増えないことを切に祈る。

なお、この記事の後半に、補足 「U司教に提出した資料」 として、当時の藤が丘教会が抱えていた問題を詳細に訴えた文章が掲示されている。読んでみるとヒドイものだ。確かに私は現場にいたのではない。到底、状況を正確には把握し得ない。しかし、この文章を読む限り、まんざら嘘や誇張とも思えない。またもちろん、何らかの 「妄想」 の入った人のものとは更に思えない。文章には人が現われる。失礼な語を使うことを許して頂きたいが、この人の文章はどう見ても 「まとも」 な人のものである。(まあ、前提として私が 「まとも」 ならば。)

その下のコメント欄で、管理人さん自身がこう書いている。

状況改善を梅村司教に訴えに行った後、梅村司教はカトリック藤が丘教会にミサを立てに来ました。ミサ後の集会では 「ボアソノ神父 (教会を建てた神父) は教会という建物は作ったが、信徒の信仰心を育てなかった」 と暴言を吐き、弁護士を前に立たせて名誉毀損の事について話させました。これ以上騒ぎ立てると神父とその愛人から訴えられますよ、と暗に示したかったようです。

おお、こわ。

翌日の記事。

やっと肩の荷が降りた。

 というのは 「カトリック教会のM神父について」 という記事をようやく書けたからだ。何度も書こうとしたが、どうしても書いている内に怒りが収まらなくなってしまい、結局書くのをやめていた。なんとか怒りを押さえて書いたけれど、それでも結構とげとげしい文章になってしまった。人を赦すことがこんなにも難しいことだとは知らなかった。

 M神父の不正に声を上げた人は多かれ少なかれ神父とその周りのイエスマンによって嫌がらせを受けた。僕も例外ではなく、神父のイエスマンその1の典礼委員長に僕の聖書朗読日を勝手に 「朗読者:未定」 とされ、「あなたが朗読するのは典礼上ふさわしくないから小聖堂で祈ってなさい」 と言われたりだとか、神父の熱狂的ファンの信者にじとーっと蛇のように睨まれたりだとかした。気持ち悪いよ。
 中でも一番気持ち悪いと感じたのがM神父に心酔しきっていた大学生の男の子だ。M神父のしたことについて何か言おうものなら 「そんなことは聞きたくないです!」 と語気荒く会話を打ち切った。多分、今期のワールドユースディには彼のような若者がM神父の推薦をうけて藤が丘教会から参加するのだろう。信仰心豊かな若者として。

 実を言うと僕はもう1年近く祈りもしていないし、ミサにも参加していない。怒りが邪魔をしていたのだ。二年近くかけて作った自分の居場所を奪われた怒り。
 最初は無理に押さえつけようとしていたが、駄目だった。そのうち諦め、怒るに任せることにした。
 ひどい時は一日中、怒っていた。怒ることで何とか前に進む気力を保持していたのかもしれない。

 もうそろそろ、いいんじゃないかな。多分、写真* のような春先の穏やかな日に僕は怒りと和解するだろう。そしたらどこかの教会のミサに行けると思う。藤が丘以外にも教会はあることだし。

* 同ブログに掲載の写真のこと

心から共感する。
しかし、管理人さんは若い人のようだ。可哀想だと思う。

次は、同じ管理人さんのもののような気がするが (未確認)、「信徒活動停止処分の解除を待ち望んでます」 という驚くべき副題の付いたブログのコメント欄から。

 私はマウ神父と梅村司教の件で、すっかり教会から遠のいてしまいました。小笠原神父には期待をしてたのですが、教会を立て直すにはもっと時間が必要なのかもしれません。またはもう二度と元に戻らないかもしれませんね。

 愛のない教会には行かない方がいいと私も思います。無理して行くよりかはひっそりと祈っていた方が主の御心に叶うのではないでしょうか。

共感する。(必ずしも 「賛成」 はしないとしても。)

ちなみに、コメント欄において、まるで悲しむ人を狙う新興宗教であるかのように、管理人さんを成相神父様のところに誘っておいた (「成相教信者」 ではないつもりだが)。私自身は、諸事情によってなかなか関東にまで出掛けて行くことはできないが、お勧めしないではいられない。

何故ならば、このようなことは、単に個々の司祭において私達が当たりが悪かった、たまたま不運だった、ということを決して意味しないからだ。これは、ある時期を境として進んだ教会全体の変質の問題であり、その流れの中のものであり、その結果である。だから、この今私達に必要なのは、問題を常に個別ものとして扱い漠然たるものにしてしまう司祭ではなくて、何よりも教会全体のこの変質のことをハッキリシッカリと語ることのできる司祭なのだ。

個人名を出しましたが、私の個人名 (本名) はこちら

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