日本損保で初めてインドに駐在
家の鍵を持たない生活

<<連載第256回>>

株式会社損保ジャパン
船舶営業部長
 浅田 勝 氏

―― お聞きしたところ米国の大学での経験があるとのことですが、どんなことをされていたんですか?

浅田 金融関係が中心でしたが、日本語で聞いても難しいのに、英語が全くダメで、特にリスニングが苦手でしたので、ついていくのは大変でした。いずれにしても、忘却のかなたで今の仕事には直接役立っているとはいえませんが(笑)。

―― その後、ニューデリーに駐在されたこともあるんですね。なぜインドに駐在を?!

浅田 社内の人間が、留学先が「インディアナ」大学だったから「インド」駐在に選ばれたんだろうとシャレを言っていましたが、多分まったく関係ないでしょうね(笑)。当時インドの保険市場が民間ならびに外資に解放される動きがでてきたので駐在員を派遣することになったようです。現地では駐在員事務所の開設と、市場開放に関する調査などを担当しました。日本損保では最初のインド駐在員でしたので戸惑うことも多かったです。5年間の駐在期間中、なんどか、日本ではないようなひどい下痢には見舞われたり、お手伝いさんがチフスになったりのアクシデントがありましたが、無事帰ってきました(笑)。

―― うわ〜、結構大変でしたね(笑)。

浅田 
いいこともありましたよ。有名なタジマハルやアジャンタ・エローラの仏教遺跡も見学しましたし、ジャイプールやウダイプールなどの美しい都市にも行ってみました。よくご存知の方も多いかと思いますがインドは多様性の国だと思います。人種、宗教、文化、コミュニティもさまざまで、「モザイク模様」という言葉があてはまるんじゃないでしょうか?担当地域にはパキスタンもあって、イスラム教では、「全ては神の思し召し」。取引先の現地のお客さんに、(冗談とは思いますが)真顔で「保険料を払えないのも神の思し召し通り」と言われたこともあり、大変驚きました。懐かしい思い出ですね。

―― インドへはご家族と一緒に行かれたんですか?

浅田 いいえ、長女の学校の都合で単身赴任でした。インドに行った時は、下の子供が2歳で、6歳になるまで別々に住んでいたので、一時帰国で家に戻ると、子供が「知らないおじさんが来た」という感じで家内の後ろに隠れていましたよ(笑)。

―― アハハ!それはお父さん、悲しいですね(笑)。お子さんは今、おいくつですか?

浅田 子供は女の子が2人いますが、上が23歳、下が14歳です。下の子は年が離れているので、長女がずいぶん面倒見てくれたようです。


―― 帰国後、四国へ赴任されましたね?

浅田 今治に5年おりました。海運、造船のメッカでの経験は本当に貴重なものでした。地元のお客様には本当にお世話になりました。さまざまな晴れがましいお祝いの場や地元のお祭り、登山などにも参加させていただき一生の思い出となる濃い経験でした。残念ながら、才能がないところに、心がけもいけなかったんでしょうが、ゴルフはうまくなりませんでした。

―― 人生最大のピンチはありますか?

浅田 ピンチというほどのものではないのですが、1996年4月にニューデリーの駐在が決まった時、当時は現地に駐在事務所はなくて、"事務所はあなたが作るんだ"と言われた時には驚きました。それも、辞令が出てすぐ赴任ならすっきりしますが、いつ免許がおりるかわからない中で何度もインドに足を運んで催促することとなり、事務所の免許が出たら即赴任だよという段取りになったんです。今は、笑い話ですが、半年以上、自分で催促しながら免許が出るのを待っていたのですが、家族も含めて複雑な気持ちでしたね。

―― 聞き忘れてましたが、会社のPRがありましたら是非お話ください。

浅田 当社は、10月1日に創業120年を迎えました。長い歴史の中で節目の年を迎えられたのもご支援いただいた皆様のおかげであり厚くお礼申し上げます。船舶部門は東京のほか神戸、広島、福岡、今治に専門の拠点を置き、地元密着を目指した営業に力を入れています。今日、当社船舶部門があるのも船主さんはじめ関連の皆様方の支えのお陰です。心から感謝しています。今後もお客様第一のサービスを胸に、皆様のお役に立っていきたいと思います。

―― そもそも、なぜ就職の時、保険会社を選んだんですか?

浅田 ずいぶん前の話聞きますね(笑)。尊敬していた学生時代のクラブの先輩がこの会社に入り、「いい会社だよ」と薦められて決めたんです。ゼミも会社も、全部その先輩について行ったんです。主体性がありませんかね(笑)?

―― 学生時代はどんなクラブに入っていたんですか?

浅田 意外にも(?)美術部です。

―― へ〜!美術部ってことは絵を描いたりするんですか?

浅田 私がやっていたのは陶芸です。金沢出身なのですが、焼き物の街でもあり、自分で陶器を作ってみたいなと思いましてね。

―― 渋いですね。

浅田 そんなたいそうなもんじゃないんですよ。美術部と言っても、私はみんなで飲んだり騒いだりするのに参加するのがメインでした。その意味では、すごく楽しい学生時代でしたね。

―― ということは、もしかして、現在の趣味も陶芸とか!?

浅田 今はもう陶芸はやっていないんです。最近は、休みに電車に乗って、ブラリと町を散歩したりすることですかね。先日来、上野、亀有、柴又、三ノ輪橋と下町を歩いてみましたが、いろいろ発見が出来てとても新鮮です。でも、つい、食べ物屋に寄ったりして、運動面での効果はあまりないです。

―― 生活信条などありますか?

浅田 コミュニケーションを重視するようにしています。会社では、昨年来、部員全員との面接を行っています。相手は自分を映す鏡と言うように、自分から気持ちよくコミュニケーションを取れば、その気持ちは相手にも伝わりますからね。 スーパーのレジをしている機嫌の悪そうなオバサンでも、こっちがニッコリすれば、微笑み返してくれますからね(笑) 。

―― あはは、確かにそうかもしれませんね(笑)。

浅田 それから、家族が居てこそ、自分がいるのだなぁ〜と実感しています。何しろ、長い間、単身赴任で家を離れていましたし、日本に戻ってきてからも、お付き合いで夜は遅い事が多いですからね。少しでも家族との時間を大切にしよう(?)と思っているので、鍵を持って出かけずに、家族が寝てしまう前に、帰るよう努力してるんですよ。でも、現実との乖離は厳しく、遅くなると終電に乗り遅れる心境です。

―― えっ、家の鍵を持ってないんですか?

浅田 まあなんというか、昔失くして取り上げられたというか(笑)。早く帰るように努力するので、いいかと(笑)

―― 何か自慢話はありませんか?

浅田 ないよ〜、自慢できることなんて!唯一の自慢はこのお腹回りかな(笑)?

―― いや〜、その自慢されても困ります(笑)。健康法は?

浅田 見ての通り、すっかりお腹周りも立派になり、周囲のお父さんをすこし安心させているのではと(笑)。実は自分では結構悩んでます

―― それでは、海運界の若者に何か一言お願いします。

浅田 海運界の若い世代の方たちの新しい発想力や行動力にはいつも感心しています。私の方がいろいろと教えていただいていますね。 社員に対しては、保険会社は紙と人の商売ですが、現場、現物がきわめて重要、第一線、現場へできるだけ出向き、自分の目で見ておいでと常々言っています

【プロフィール】 (あさだ まさる)
1958年生まれ 石川県出身。 1981年4月 安田火災海上保険(株)に入社。96年ニューデリー駐在、02年合併に伴い(株)損害保険ジャパン今治支社長を経て、2007年4月に船舶営業部長、現在に至る 。