注:重要な修正があったので書き直しました。村上さんは「エルサレム・ポスト」が引用した以上に踏み込んだ発言をしていました。
表題を見てお気づきの方もいらっしゃるかもしれません。エルサレム賞の授賞式での記念講演で、村上春樹さんが使った比喩です。
ガザ地区への攻撃に対する抗議の渦巻く中、イスラエルの文学賞の受賞が決まった村上さんに対しては、各方面から批判や要望が出されていたようです。「賞を受け取れば、イスラエル政府に加担することになる」とか、「パレスチナへの連帯を示すために辞退してほしい」とか。
僕もまた、イスラエルのガザへの攻撃はやりすぎであり非道だと考えていましたし、村上さんは好きな作家なので、この件には注目していました。
以下は、講演の一部より拙訳。正確な順序はわかりません。テキストは基本的に「エルサレム・ポスト」に基づいていますが、青字部分はTBS、緑の字はJapan Today web版、黄色の字は「中国新聞」、紫の字はAP通信からです。
どうやら「エルサレム・ポスト」はイスラエルに都合の悪い表現を省略する傾向があるみたい。考えてみれば、あたりまえの話ですね。迂闊でした。
"Novelists aren't the only ones who tell lies - politicians do (sorry, Mr. President) - and diplomats, too. But something distinguishes the novelists from the others. We aren't prosecuted for our lies: we are praised. And the bigger the lie, the more praise we get."
「嘘をつくのは小説家だけじゃありません。政治家も――失礼、大統領閣下――外交官も嘘をつきます。でも小説家は、他の人たちとは少し違っています。私たちは嘘をついたことで追及を受けるのではなく、賞賛されるんです。しかも、その嘘が大きければ大きいほど、賞賛も大きくなります」
"The difference between our lies and their lies is that our lies help bring out the truth. It's hard to grasp the truth in its entirety - so we transfer it to the fictional realm. But first, we have to clarify where the truth lies within ourselves.
「私たちの嘘と彼らの嘘との違いは、私たちの嘘は真実を明るみに出すためのものだ、ということです。真実をそっくりそのままの形で把握するのは難しいことです。だから僕たちはそれをフィクションの世界に変換するんです。でもまず手始めに、自分たち自身の中のどこに真実が潜んでいるかを明らかにしなければなりません」
"Today, I will tell the truth. There are only a few days a year when I do not engage in telling lies. Today is one of them."
「今日は、真実をお話しようと思います。僕が嘘をつくことに携わらないのは年に数日だけなんですが、今日はそのうちの一日です」
"When I was asked to accept this award, I was warned from coming here because of the fighting in Gaza. I asked myself: Is visiting Israel the proper thing to do? Will I be supporting one side?"
「受賞の申し出を受けたとき、ガザでの戦闘のことで、ここに来ないようにという警告も受けました。僕は自問自答しました。イスラエルに行くのは適切なことだろうか? 当事者の一方を支持することにならないだろうか?」
"and that I endorsed the policy of a nation that chose to anguish by its overwhelming military power"
「そして、圧倒的な軍事力によって人々を苦しめることを選んだ国家の政策を是認することになってしまわないだろうかと」
"I gave it some thought. And I decided to come. Like most novelists, I like to do exactly the opposite of what I'm told. It's in my nature as a novelist. Novelists can't trust anything they haven't seen with their own eyes or touched with their own hands, so I chose to see, I chose to speak here rather than say nothing. So here is what I have come to say"
「僕は考えて、そして来ることに決めました。たいていの小説家と同じように、僕も言われたのと正反対のことをするのが好きなんです。やれやれ、小説家としての性みたいなものですね。小説家というのは、自分の目で見て、自分の手で触れたものしか信じないんです。だから僕は、自分で見ることを選びました。黙りこくっているよりも、ここへ来て話すことを選びました。僕が話したかったのは、こんなことです」
"It is something I keep in my mind, always keep in my mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall, rather it is carved into the wall of my mind. It goes something like this-"
「僕には、心に留めていることが一つあります。小説を書くとき、そのことをいつも心に留めているのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはありませんが、僕の心の壁には刻まれています。こういったようなことです――」
"If there is a hard, high wall and an egg that breaks against it, no matter how right the wall or how wrong the egg, I will stand on the side of the egg.
「たとえばそこに硬くて高い壁があって、一個の卵がそこにぶつかって行くとしたら、たとえ壁がどんなに正しくても、卵がどんなに間違っていたとしても、僕は卵の側に立ちます」
壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか。
"Why? Because each of us is an egg, a unique soul enclosed in a fragile egg. Each of us is confronting a high wall. The high wall is the system" which forces us to do the things we would not ordinarily see fit to do as individuals. "
「なぜか? 僕ら一人ひとりが一個の卵だからです。壊れやすい殻に入った、唯一無二の魂だからです。僕らはみんな高い壁に立ち向かっています。壁とはつまり、個人としてまっとうとは言いがたい行為を僕らに無理強いしようとするシステムのことです」
"sometimes takes on a life of its own and it begins to kill us and cause us to kill others coldly, efficiently and systematically."
「(システム)はしばしば一人歩きをはじめ、私たちを殺したり、私たちが他人を冷たく、効率的に、システマティックに殺すように仕向けたりします」
"Each of us possesses a tangible living soul. The system has no such thing. We must not allow the system to exploit us"
「私たちひとりひとりには、有形の生きた魂があります。システムにはそんなものはありません。システムが私たちを思うままにすることを許してはならないのです。
"I have only one purpose in writing novels. That is to draw out the unique divinity of the individual. To gratify uniqueness. To keep the system from tangling us. So - I write stories of life, love. Make people laugh and cry."
「僕が小説を書く目的はひとつしかありません。個人の持つ独自の神性を引き出すことです。独自性を満足させ、システムにからめ取られないようにすることです。だから――僕は、生命の物語を、愛の物語を、人を笑わせ、泣かせる物語を書くのです」
"To all appearances, we have no hope...the wall is too high and too strong...If we have any hope of victory at all, it will have to come from our utter uniqueness"
「目に見える限りでは、私たちには希望が無いように思えます。壁はあまりに高く、あまりに強い。もし私たちに勝利への何らかの希望があるとしたら、それは私たちの完全なる独自性から来るものでなければならないでしょう」
"We must not let the system control us - create who we are. It is we who created the system."
「システムが私たちをコントロールしたり、私たちを何者かに作り上げたりすることのないようにしなければなりません。私たちこそが、システムを作ったのですから」
"I am grateful to you, Israelis, for reading my books. I hope we are sharing something meaningful. You are the biggest reason why I am here."
「イスラエルの皆さん、僕の本を読んでくださったことに感謝します。私たちが意義のある何かを共有できていることを望んでいます。あなたたちこそ、僕がここへ来た最大の理由です」
壁と卵、という比喩は、以前にも村上さんがどこかで使っていたように思います。壁はシステム、卵は個人、ということなら、この「システム」にはイスラエル当局のみならず、パレスチナの強硬派も含まれていると解釈できるかもしれません。村上さんのスタンスからして、そう取るべきでしょう。彼らもまた実質上一個の国家であり、システムですから。
壁はまた、村上さんの小説「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を思わせ、イスラエルがパレスチナ人を隔離するために築いた分離壁も思わせます。
いずれにせよ、結果的に、村上さんは辞退よりもずっと効果的な方法で紛争への抗議、イスラエルへの抗議の意思を示すことが出来たと思います。英語でのスピーチの堂々とした様子も格好良かったです。さすがでした。