H先生
聖書は、毎年、世界で、約4億冊弱も刊行されており、2377言語で表現されている史上最大の永遠のベストセラーです。それは、分かりやすく言えば、膨大な文献集であり、関心のあるひとでも新約聖書(新約の約とは神との約束・契約の意)の特に重要な部分の概要くらいしか読んでおらず、46冊からなる旧約聖書と27冊からなる新約聖書をすべて熟読しているひとは、その道の研究者のみで、旧約聖書をヘブライ語で、新約聖書をギリシャ語とヘブライ語で吟味しているひとは、その中でも少ないものと推察されます。私は、これまで、すべて熟読してきたわけではなく、いわんや、ヘブライ語とギリシャ語では読んでおらず、これからの作業になります。かなりの覚悟が必要になるものと思われますが、じっくりと腰を落ち着け、挑まなければなりません。体系は、いまさら書く必要はありませんが、問題を整理するために、改めて、ここに示しておきます。
旧約聖書の構成(いくつかの資料から引用)
(1)モーセ五書(モーセが記したとされる五書からなり、ユダヤ教の基本的な聖典となっている部分です。天地創造からモーセらがカナンの手前までやってくる旅の様子が描かれています。)
1-1創世記
1-2出エジプト記
1-3レビ記
1-4民数記
1-5申命記
(2)歴史書(カナン進攻からダビデ・ソロモンによるイスラエル王国の黄金時代、そして、バビロン捕囚からエルサレム帰還までの歴史が描かれています。)
2-1ヨシュア記
2-2土師記
2-3ルツ記
2-4サムエル記(上)
2-5サムエル記(下)
2-6列王記(上)
2-7列王記(下)
2-8歴代誌(上)
2-9歴代誌(下)
2-10エズラ記
2-11ネヘミヤ記
(3)知恵文学(明確には神との契約が見られない文献群です。人間そのものに関心を向け、人生のアドバイスや処世訓、愛や悲しみの歌等が収められいます。)
3-1ヨブ記
3-2詩編
3-3言
3-4コヘレトの言葉
3-5雅歌
3-6エステル記
3-7ダニエル記
3-8哀歌
(4)預言書(歴代の預言者が語った神の意思と預言者たちの行動、そして、苦悩が生々しく描かれています。)
4-1イザヤ書
4-2エレミヤ書
4-3エゼキエル書
4-4ホセア書
4-5ヨエル書
4-6アモス書
4-7オバデア書
4-8ヨナ書
4-9ミカ書
4-10ナホム書
4-11ハバクク書
4-12ゼファニア書
4-13ハガイ書
4-14ゼガリア書
4-15マラキ書
新約聖書の構成(いくつかの資料から引用)
(1)福音書(イエスの言葉と行動を、その死にいたるまで叙述する四つの文献群です。元来ひとつであるべきイエスの救い(福音)を異なる複数の視点から表現しています。)
1-1マタイ福音書
1-2マルコ福音書
1-3ルカ福音書
1-4ヨハネ福音書
(2)使徒言行録(前半で主としてペテロ、後半でパウロの人生を描くことで、イエス死後に行われた弟子達の伝道の様子を示した文献です。)
2-1使徒言行録
(3)パウロの書簡(パウロの伝道の生涯の中で記された書簡の文献です。)
3-1ローマの信徒への手紙
3-2コリントの信徒への手紙1
3-3コリントの信徒への手紙2
3-4ガラテヤの信徒への手紙
3-5エフェソの信徒への手紙
3-6フィリピの信徒への手紙
3-7コロサイの信徒への手紙
3-8サトリニケの信徒への手紙1
3-9サトリニケの信徒への手紙2
3-10テモテへの手紙1
3-11テモテへの手紙2
3-12テトスへの手紙
3-13フィレモンへの手紙
(4)公同書簡(12弟子が記したとされる書簡の文献ですが、実際には、1世紀末に記されたもので、必ずしも弟子が記したものではないとされています。)
4-1ヘブライ人への手紙
4-2ヤコブの手紙
4-3ペテロの手紙1
4-4ペテロの手紙2
4-5ヨハネの手紙1
4-6ヨハネの手紙2
4-7ヨハネの手紙3
4-8ユダの手紙
(5)ヨハネの黙示録(新約聖書唯一の預言書で、人類滅亡と最後の審判、さして、キリストの再臨を描いた内容になっています。)
5-1ヨハネの黙示録
ところで、昨晩、待望の梅原猛『梅原猛の授業-仏になろう-』(朝日新聞社、2006)を読んでみました。ずっと読みたいと思っていたのですが、入手する機会がなく、ついつい、遅れてしまいました。内容は、2005.4-8まで、一般聴衆を対象にした朝日カルチャセンター京都で実施したレクチャです。分かりやすく、大変面白い内容です。梅原先生は、仏教を学ぶということは、「仏になること」だと結論していますが、この仏とは、死ぬことではなくて、勉強して、修行して、如来や菩薩のように、釈迦、つまり仏様の認識に近づくことを意味しています(p.13)。先生にお会いした時にお話したように、それは、私の認識と同じです。私は、梅原先生が仏教界や日本宗教学会で、学問的にどのように評価されているのか知りません。たとえば、『謎の十字架』のように、仮説が目立ちますが、それは、あくまで、いまだに検証されていない単なる仮説なのでしょうか。梅原先生の著書は、学術書には分類されないような、言いっぱなしの、いわゆる世の中でいうところのエッセーと言うことでしょうか。むしろ先生にその評価をおうかがいしたいところです。いずれにせよ、梅原先生は、一般にも分かるように、大変興味深い視点から仏教を解説していることは、否定のしようもありません。著作集20冊も読んでみようと考えています。そして、梅原先生のように、神学や仏教を自由自在に、語ってみたいと念願しています。「十善戒について」(pp.78-105)や「六波羅蜜について」(pp.108-133)を読んでみると、仏教も聖書も同じようなことを論じており、それは、人間の好ましい言動や苦悩からの脱却を諭しているということではないでしょうか。
桜井淳