徹底して山形に密着したフリーペーパー

モンテディオ山形 監督 小林 伸二 氏

2008年10月24日
小林 伸二(こばやし・しんじ)1960年(昭和35年)生まれ。長崎県出身。大阪商業大卒業後、マツダサッカークラブ(現在のサンフレッチェ広島)でプレー。90年の引退後、同チーム・ユースの監督になり、Jユースカップ優勝へと導く。その手腕が認められ2001年6月に当時J2だった大分トリニータの監督に就任、翌02年に大分はJ2優勝・J1昇格を果たす。04年からは当時J1のセレッソ大阪の監督を務め、05年は最終節まで優勝争いを繰り広げた。08年から現職。48歳。
モンテディオ山形 監督 小林 伸二 氏

残り5試合に全力
  必ずJ1に昇格します

――19日の岐阜戦も制して2位を死守、快進撃ですね。  

チーム内で切磋琢磨

 「以前からいる選手と新しく入った選手、また若手とベテランがうまくかみ合っています。チーム内で競争が生まれ総力戦の態勢で、前半戦を振り返って試合に出場していない選手は1人か2人じゃないかな。こうした切磋琢磨が2位という結果につながっていると思います」

守備力、決定力不足を解消

 「監督を引き受ける直前にビデオ等で(モンテを)分析したところ、バックラインの背後を突かれて簡単に点を許してしまったり、縦パスを入れてスピードのある直線の動きが少ないという印象があった。練習やミーティング、実戦を通してこのあたりの矯正は特に意識しています」
 「守備に関して、過去に対戦してモンテっていえば『我慢強い』というイメージがあったのに、なんで淡白になったんだろうとは思いましたね」

 ――「我慢強い」といえば「おしん」に代表される山形の県民性ですけど、今のメンバー構成をみても全30人の選手の中で山形出身者は2人だけ。それでも地域カラーって出るんですか。

山形色のモンテディオ

 「出るんですよ、これが。選手が県外出身者であっても、フロントとかサポーターは地元の人たちだし、その人たちの色に自然と染まっていってチームカラーというものが生まれる。これは全国どこのJチームも同じ」
 「我慢強かったモンテがあっさり点を許す淡白なチームになっちゃったのは、どこかにモチベーションの低下みたいなのがあったのかな」

――そんなモンテが2位! 突出した選手はいないし、待遇だって決してよくないのに、県外出身者が山形のために快進撃を続けてる。サッカー音痴のボクでも胸にこみ上げるものがあって、ウルウルしちゃうんだけど、山形の人って本当にノリが悪くて(苦笑)

ホームに足運んで

 「確かに、もう少しホームで観客動員数が増えればとは思いますけど(苦笑)。J2に参加したいチームは全国に多数あるわけだし、J1に昇格すれば『山形』を全国にアピールできる絶好のチャンスなんだし」
 「大勢の観客から選手はパワーをもらうし、だからホームでの試合は有利になる。大分でも経験しましたが、J1に上がれば地域は変わります」

――最後に山形へのメッセージを。

 「必ずJ1に昇格します! 応援よろしくお願いします」