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2009年1月29日 (木)

機長は英雄にあらず

Newyork5

1月15 日に ニューヨーク の ラ ・ガーディア ( La Guardia ) 空港を離陸した US エアー 1549 便の エアバス 320 型機が、離陸 3 分後に高度約 3,000 フィート ( 900 メートル )で鳥の群れに突っ込み両方の エンジン が停止したために、川幅約 1,000 メートル の  ハドソン川に不時着水し、全員無事に救助されました。

この事故に関しては丁度 オバマ 大統領の就任式の時期に重なったために、英雄を好む アメリカ 人気質に迎合した マスコミ が機長を英雄と褒め称えましたが、金野内蔵氏によれば、機長としてはあれ以外に取るべき方法がなく、ハドソン川以外に安全に降りる場所が無かったからでした。

[ 橋の無い川 ]

東京でいえば羽田と成田、大阪では伊丹空港と関空の関係にあるのが、ニューヨークの北東側にあり市内に近く、主に国内線用で事故機が離陸した ラ ・ガーディア 空港と、40 キロ 南東にある国際線用の ケネディー( JFK ) 空港です。

マンハッタンの衛星写真をよく見て下さい、( 写真は クリック で拡大 ) 。東側には イースト ・リバー があり 6 本の橋がありますが、西側の ハドソン川は 「 住井すゑ 」 が部落差別を題材にして書いた有名な長編小説 ( 7巻 ) の題名と同じ、 橋のない川 なのです。

Intore なぜ橋がないのか、その理由は大型貨物船が川を遡行するからであり、マンハッタンの西岸には埠頭 ( ふとう、Pier、ピアー、桟橋 ) がずらりと並んでいます。ピアー 89 には退役した航空母艦の イントレピッド が海空宇宙博物館として係留展示されています。

写真は係留された空母から見た市内の様子ですが、もし ハドソン川がなければ、事故機は市街地の ビル 群に突入せざるを得ない状況でした。

対岸との交通用に自動車は上流にある1 本の橋と、下流では川の下を通る 2 本の トンネル があり、隣りの ニュージャージー州と通じ、人は フェリー ・ボートで渡ります。つまり幸運なことに 20 キロ以上にわたり邪魔者の橋が無かったことでした。

同じ距離を東京の隅田川にとれば、河口の レインボ- ・ ブリッジを含めて 20 本の橋があり、荒川 ( 放水路 ) では 19 本になります。大阪の淀川でも河口から数えると 15 本くらいありますが、ジェット機による不時着水の妨げになることは確実です。

不時着水は技術的に難しいのか?。金野内蔵氏に尋ねると、洋上を低高度で飛び回る対潜水艦哨戒機の機長をしていたので、実際に着水したことはないがそれなりの知識はあるそうです。海には 「うねり」 がある場合が多く、大きな 「うねり」 の場合にはその 「 峰 」 か 「 谷間 」 に沿って機体を着水させますが、川には 「うねり」 が無いので、滑走路に降りるのと同じことだそうです。

それに陸上への不時着とは大きく異なり、地上の人や建物への危険がなく、機体に火災発生の心配がまったく無いのだそうです。

しかも機体の構造上、全員が脱出するまでの十分な時間、水に浮くように作られているはずで、今回は約 1 時間浮かんでいました。

パイロット と チュワーデス 毎年 1 回は緊急脱出訓練を受けているので、緊急時には慣れているはずです。「 英雄 」 を称える会に出席した、サレンバーガー機長は 「 われわれ乗組員は、訓練していたことをただ実践しただけです 」 と語りましたが、そのとおりでした。

Rescue 150 名の乗客と 5 名の乗員全員が フェリー・ボート に無事に救助されたのは、「 橋の無い川 」 と、ハドソン川を運航するフェリーの航路に当たるという幸運のせいであり、機長の行為は英雄には値せず、誰もがしたであろうことを 単によくやった、ウエル・ダン ( Well-done ) の部類でした。

不時着水についてもっと知りたい人は、ここをクリック

[ 英雄に類する人のこと ]

昭和 39 年 (1964年 ) 2月18日、雪の降る朝のこと、日東航空の大阪伊丹空港発徳島行きの マラ-ド 水陸両用飛行機が、離陸直後に エンジン故障により陸上に不時着しました。

その際に京都出身で ミス 京都にも選ばれた スチュワーデス の麻畠美代子さんが、 7 名の乗客を助け一度は機外に脱出したものの、1 名の乗客が機内に取り残されていることに気付き、救助するために機内に入った直後に、漏れた ガソリン に引火して機体が爆発炎上し、乗客 1 名と共に殉職しました。

Miyohado 21 才の若さで殉職した彼女を讚えるために、神戸にある六甲山上、凌雲台近くの ドライブ・ウエーの傍に観音像が建立されましたが、美代子から名前をとって 「 みよし観音 」 と呼ばれています。像は右手を大空に差しのべていますが、建立当時、女優の吉永小百合さんらが 「 みよし観音賛歌 」 を寄せ、建立 15 周年には観音像の側に、「 みよし観音賛歌 」 の歌碑を建立しました。

「 自らの命のかけがえに、人に尽くすことほど崇高な行為はない。この行いの内にこそ、人間の真の勇気と、美しさと、尊さがある。紅蓮の炎に消えた一人の若い娘が、身を以て明らかにしたものはそれだった。」 ( 石碑の詞、石原慎太郎 )

毎年8月1 日に 「大空の護り祈年祭」 が行われているそうですが、無事でいれば今年は 66 才になり、孫達に囲まれて しあわせな人生を送ることができたかも知れません。 同業者のひとりとして、ご冥福を心から祈る次第です ( 合掌 ) 。

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コメント

[英雄に類する人のこと ]
良い話を聞かせてもらいました。

管理人さんが ブログ の終了宣言をしてから (?)、 1ヶ月振りの記事を読ませてもらいましたが、やはり元 パイロット の視点からの 事故の説明は、 マスコミ からの情報とはひと味違い、なるほどそうなのかと納得しました。

これからも、時々お願いしたいものです。

TVに初めて登場した機長の短いインタビューを最近見て再び感嘆しました。

お元気そうで何よりです^^
ブログ終了のお知らせより、少々寂しい感じでしたが、こういう時冷静な物言いをして頂けるのは知己を深める意味でも大変有りがたいです。

さて、今回のこの機長様。ご拝読させて頂いた限りでは至極真っ当な判断をされた。それに尽きると思いますが、このような判断を出来る人間が、仮に「日航機墜落事故」の様な局面に遭遇した場合はどのような判断を摂るのか。

それが「人間のすること」へ対する限界と言うのは個人の資質に大きく左右される・・・と言うのであれば。

遅きに逸する、過去は戻らないにしても、「マトモな判断」が出来る人間ならばあのような惨事は起きなかったのではないか?と。


つくづく思ってしまいます。

520 名の死者を出した御巣鷹山、日航機墜落事故の 「 T 」 機長とは、海上自衛隊八戸基地でほぼ同じ時期に、機種は違ったものの、勤務したことがあり顔は知っていましたが、彼は 4~5 才 年下でした。

死者を ムチ打つことになり、支障があるので詳しくは述べませんが、その当時の彼は 「 優秀な部類の パイロット ではなかった 」 、ことだけ申しておきます。

「誰もがしたであろうこと」といいますか、他に選択肢がなく「誰もが試みたこと」だと思います。
しかし、誰もが試みてもうまくいくとは思いません。
推力のない状態で、着水するなどという芸当はとても出来る自信はありません。
サレンバーガー機長は私にとっての英雄です。

当たり前のことを当たり前にこなすのは、運もありますが、日頃の鍛錬なくして出来るものではありません。

推力がない状態の飛行を操縦するのに、どんな日常の 「 鍛錬 」 が必要なのでしょうか、私には分かりません。 シミュレーターで全 エンジン・フレームアウト の訓練をした話を、航空界で聞いたことがありません。

着水するまで失速させずに飛行する以外に、方法が無かったはずですし、安全に ディッチングする自信など、事故機の機長に限らず、どの機長でも無いと思いますよ。

緊急性が大きく異なりますが、30 年以上前に 326 人の乗客を乗せた 3 発機の エンジン が飛行中 2 発停止したために、羽田に緊急着陸した出来事がありました。

機長ならそれくらいできて当然のこととして、会社からお褒めにもあずかりませんでした。

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