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2009-02-13 22:10:22 stanford2008の投稿

桜井淳所長の最近の講演内容-高レベル廃棄物地下貯蔵所の安全性をめぐって米国と日本の動向-

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【講演要旨】原研に勤務していた頃、安全性工学特別研究棟内の研究室の窓の外を見ると、眼下の約500m先に、日本原電の東海第二発電所があり、また、異なる職場では、目の前、約20mのところに、炉心核計算を担当していた材料試験炉の原子炉格納容器壁が見え、水戸郊外に住むようになると、約25km北東に、放射性ガス放出源となる東海第二発電所や原研の研究炉、さらに、動燃の核燃料再処理工場、さらに、水戸から約25km南東に、原研の材料試験炉と動燃の「常陽」があるといったように、日常生活の中に原子力が入り込んでおり、それだけ原子力の安全に麻痺していたかと言えば、そうではなく、かえって、問題点が人一倍良く見えるようになり、原子力施設の地元で生活しているひとたちの意識の低さだけが哀れに感じつつ、どうすることもできず、ただ、時間の流れるまま、時を過ごしてきましたが、確かに、原子力発電所や核燃料再処理工場には、発生確率は低いかもしれませんが、致命的な影響をもたらすリスクの大きな社会問題を生じるような事象から逃れることはできず、ふたつの施設とは、やや異なった事象ではあるものの、これから世界や日本のどこかに建設されるであろう高レベル廃棄物地下貯蔵所についても同様のことが言え、それにもかかわらず、約2年前、高知県の太平洋に面した小さな漁村である東洋町の田嶋裕起町長が、財政難で学校や道路の整備もできないことを理由に、歴史的問題に対応しようとしていたにもかかわらず、住民の意思確認もせず、基本的な民主主義さえ機能させず、調査費の約15億円に目がくらみ、国による高レベル廃棄物地下貯蔵所の建設地調査に応募し、地元だけでなく、全国的な社会問題となり、東洋町では、町長選をやり直し、当然にも、田嶋裕起が落選するというごく当然の結果になりましたが、田嶋裕起の誤りは、手順を踏んで、住民の意思を確認しなかったことであり、歴史的問題を単独で対応するには、あまりにも知識と認識に乏しく、町長としての資質に欠けていたと言えます。
2009-02-13 17:45:45 stanford2008の投稿

桜井淳所長の最近の講演内容-発注から四半世紀も経過した高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の無責任-

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【講演要旨】動燃によって、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」が発注されたのは、1984年のことであり、臨界になったのは、それからちょうど10年後の1994年4月5日のことであったため、それまでのことは、比較的順調な進捗状況でしたが、性能試験中の1995年に原子炉ニ次系冷却配管からの液体ナトリウム漏れ・火災事故によって、状況は一変してしまい、事故から13年間も停止したままの状態になっており、その最大の原因は、事故時の動燃の社会対応が不適切であったために、地方自治体の不信感をまねき、事故に直接関係した部位の修理のみならず、原子炉システム全体の見直しや改修工事まで実施したにもかかわらず、地方自治体からは、すぐには運転同意が得られず、動燃からサイクル機構、さらに、4年前の原研とサイクル機構との組織統合による独立行政法人原子力機構になって後、やっと、一昨年になって、初めて顕著な進展が見られ、昨年には、原子炉を再起動して、性能試験を実施することになっていたものの、燃料の組成変化(半減期約14.89年のしきい反応でない中性子核分裂断面積を有するプルトニウム241のアメリシウム241への崩壊にともなう核種変換による臨界確保性への不確実性)、昨年末には、冷却系配管の周辺に設置されていた百数十個の液体ナトリウム漏洩検出器の不作動、さらには、野外施設の放射性ガス排気筒の金属減肉部の発見とそれに対する補修等、いったい、停止していた13年間に、何をしていたのか、組織の注意力と技術力を根源的に疑われるようなことばかり、繰り返しており、この先も何が発生するか、予測困難であり、組織の信頼性と相まって、まったく、期待できそうもありません。
2009-02-12 23:13:58 stanford2008の投稿

桜井淳所長の最近の講演内容-オバマ政権のエネルギー政策で冷え込む世界の原子力"風前の灯"-

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【講演要旨】オバマ政権の「国家エネルギー政策」は、まだ、公表されていないものの、これまでのオバマ大統領の講演内容からして、民主党が歴史的に進めてきたエネルギー政策や原子力政策を踏襲したものであり、原子力利用については、高レベル廃棄物の地下貯蔵の安全性への疑問から、具体的には、エネルギー省がネバダ州のヤッカマウンテンの地下空間に建設している高レベル廃棄物貯蔵所(軽水炉の使用済み燃料集合体を取り出し可能なような形にするために放射線遮蔽容器に収納して貯蔵)の長期間貯蔵にともなう地下水の浸入や地質の安定等の不確定性のため、積極的に推進する根拠に乏しく、新再処理技術や高レベル廃棄物貯蔵所の実用化には、完全中止とまでは行かないものの、より長期的観点から研究開発するが、当分は、太陽エネルギーや風力エネルギー、現実的には、風力発電所の建設を進め(風力発電機1基電気出力5MWであるため、200基で100万kW級原子力発電所1基分に匹敵し、米国ならば、サイトや風量にも恵まれているため、風力発電機1000基や2000基の建設運転は、比較的容易です)、直面するエネルギー需要だけでなく、中長期的視点からも積極的に推進していくというもので、原子力には冷たく、これまでの"原子力ルネッサンス"は、まさに、"風前の灯"となり、無力化するものと推察されます。
2009-02-12 22:45:47 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院人文社会系研究科のH先生への質問 -神学研究の方法 9-

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H先生



キリスト教の信者には、あえて分類すれば、正統派のカトリック派、それからそれとは異なった考え方を持つプロテスタント派(その中でも数多くの派に分かれています)が存在しており、世界のキリスト教の信者のうち約10億名が前者に属し、約5億名が後者に属していると推定されています。日本でもおそらく同じくらいの割合でしょう。日本は、神道・仏教の国であり、キリスト教の信者は、ほんの一握りに過ぎませんが、信者の数は、全体で約200万名で、前者に属するものは、約120-150万名、後者に属する者は、約50-80万名でしょう。私は、最近の様子はよく知りませんが、傾向からしたら、どちらが伸びているのでしょうか。神に対する考え方において、根源的に、一体何が異なっているのでしょうか。



桜井淳

2009-02-11 19:29:11 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院人文社会系研究科のH先生への質問 -神学研究の方法 8-

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H先生



文学や映画にはさまざまな形で神や預言者が描かれてきました。これまで観た映画で特に強く印象に残っているのは「十戒」(モーセ役は米俳優チャールトン・ヘストン)と「ベンハー-キリスト誕生の物語-」(ベンハー役は米俳優チャールトン・ヘストン)です。前者は、20歳台後半に弟と一緒に有楽町で、後者は16歳の高校1年生の時に友人数人と観ました。ただし、その時に一度だけしか観なかったわけではなく、前者については、気になったので、3年前に2回目を、後者については、時々観ており、すでに、十数回も観ています。特に、後者は、アンケート調査に拠れば、男性が、歴史的に、ナンバーワンに挙げる映画であり、まったくそのとおりで、大変重要なテーマ、すなわち、一般的なテーマとして、愛や信頼、スペクタクル、イエスの描き方等がすばらしく、イエスの描き方では、右に出るものがないくらいすばらしい出来栄えです。なお、後者の監督は、「ローマの休日」の監督のウィリアム・ワイラーです。


前者の内容は旧約聖書の内容に忠実に描かれています。すなわち、エジプトで奴隷として働いていたヘブライ人(ユダヤも人)の人口が増え過ぎたため、エジプト王ファラオは、ヘブライ人に子供が生まれたら、躊躇することなく、殺すように命じました。あるヘブライ人の家に子供(名前はモーセ)が生まれ、両親は、殺さずに、パピルスで編んだかごに入れ、出生の経緯を記した手紙を添えて、ナイル河に流しました。偶然にも、そのかごは、王家のひとりに拾われ、その赤ん坊は、手厚く育てられましたが、自身の出生の秘密を知り、ある争いに巻き込まれ、その過程でヘブライ人を助けるために、エジプト人を殺してしまい、ファラオの追っ手から逃れるため、多くのヘブライ人を連れて、シナイ半島のミディアンで羊飼いをしながら生き、やがてその土地で知り合ったツイポラという女性と結婚し、生活していました。ある日、激しい紫色の閃光に包まれ、神ヤハウェから「十戒」」(①あなたには私をおいて他に神があってはならない、②あなたはいかなる像も造ってはならない、③あなたの神の名をみだりに唱えてはならない、④安息日を心にと留めこれを聖別せよ、⑤あなたの父母を敬え、⑥殺してはならない、⑦姦淫してはならない、⑧盗んではならない、⑨隣人に関して偽証してはならない、⑩隣人の家を欲してはならない)を授かり(「モーセの十戒」とも呼ぶ)、預言者となり、40年間もシナイ半島をさまよい、パレスチナ近くの約束の地カナンを目指します。途中、ファラオの追っ手に追い詰められましたが、海がふたつに割れ、陸路が現れ、そこからすべてのヘブライ人を逃しました。モーセはカナンにたどり着く前に亡くなりました。


後者は、4時間の放映時間うち、イエスに触れた映像は、約30分しかなく、あまり語らないことによる神秘さと効果がみごとに引き出されており、すばらしい表現法です(イエスは、みすぼらしく、弱々しく、目立たず、決して顔が分かるようにせず、後ろからか、横からか、前の場合には遠景にして、絶対に顔の顔立ちや表情が分からないように表現しています)。新約聖書に実に忠実にていねいに描かれています。なお、主人公のベンハーは、ユダヤの豪商の息子という設定です。エルサレムに現れたナザレの大工ヨゼフ(いまの大工ではなく、家具職人)と妊婦マリアが検問に合うところから始まり、イエスの誕生へ。ベンハーは、宿敵の陰謀に遭い、囚われの身になり、囚人として歩いている時、ひとりの痩せたヒゲの弱々しい人物が水を差し出し(実はこの人物がイエスだったのです)、その時、ベンハーはその人物の顔を見て、「もしやあなたは・・・・・・」と、見張りの兵士は、その水を足で蹴り、こぼしてしまいます。時は過ぎ、ベンハーは、らい病で死の谷に隔離されていた母と妹を助け出し、街に出ると、見張りの兵士にせかされ、犯罪者として、十字架を背負った多くの人たちの中に、やはり十字架(本当は、十字架でなく、T字架でした)を背負って処刑場に向かおうとしている痩せて弱々しいヒゲの人物に出会い(実はこの人物がイエスだったのです)、いつか手にした器と同じもので水をやろうと近づき、「あの時の・・・・・・」と、しかし、この時も、見張りの兵士は、水を蹴飛ばし、水はこぼれ、一滴も飲めませんでした。ベンハーは、回りのひとたちに、「あの方が一体何をしたというのだ」と、しかし、誰もが、「何もしていない」と。イエスは、ひとびとに向かい、「あのひとたちは何も知らない、どのような罪を犯したかさえ、私は、すべての罪を背負い死ぬ、死ぬために生まれたのだ」と。そして、イエスは処刑されました。稲妻・落雷・豪雨が続き、天地が清められ、すると、ベンハーの母と妹の病気も直り、感動的な最後の場面へと進みます。その時にはイエスは34歳か36歳でした(本当は、紀元前の4年か6年に生まれたとされていますが、いまでも、断定されていません)。この映画では、イエスは、弱々しい何の神秘性もないひとりの人間のように描かれています。見事な描き方です。イエスからキリストへの物語です。イエスは、神であり、預言者です。イエス誕生の物語ではなく、キリスト誕生の物語です。昔は、その違いが分かりませんでしたが、いまではよく分かるようになりました。


先生 ! 神学も仏教も人間救済の学問でしょう ! 少なくとも私自身は、確実に、救済されていますから・・・・・・。



桜井淳

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