韓国に媚びる日本人

朝鮮日報 2004/04/21 18:39

「30年連続で韓国に修学旅行」 日本智辯学院の藤田照理事長

 「40年近く韓国を支配した日本の過去の過ちを生徒たちに見せ、謝罪するために来ました」

 21日午後、ソウル・景福宮(キョンボックン)の民俗博物館入り口。制服を着た約650人余の日本人高校生が博物館に入るために並んでいた。蒸し暑い気候の中、多少疲れた表情を見せている高校生らの前で、スポーツ刈りスタイルの白髪の男性が説明をしていた。

 この男性の名前は藤田照(73)さん。ここを訪れた高校生たちが通う日本智辯学院の理事長をしている藤田さんは、韓国を訪問した理由についてこのように説明した。

 藤田さんは「修学旅行がてら、75年から現在まで30年間毎年韓国を訪問しています」とし、「私と一緒に韓国に来た生徒たちが今では1万5000人以上になります」と話した。

 藤田さんが最初に生徒たちと訪韓した目的は日本の文化の源流を探すためだった。藤田さんは「智辯学院のある奈良地方の古代文化とされている大和文化は韓国から始まった」とし、「子どもたちにこのような事実を教え、大和文化の根を探すために韓国を訪問し始めた」と話した。

 文化的な理由から始まった韓国行きに“謝罪”の意が加わったのは約10年前。訪問を繰り返しているうちに知り合いになった韓国人たちから、1910年から36年間、日本の植民地統治のもとで韓国人が受けた苦痛がどのようなものだったかを生々しく聞かされたからだ。

 藤田さんは植民地支配を受けた韓国人たちの話をひとつひとつ聞きながら、日本の幼い生徒たちにもこのような教育が必要だと感じた。一時、生徒と教職員の間から修学旅行地を変えようという意見も挙がったが、藤田さんは更に韓国行きを固執した。

 この30年間の韓国の変化を実感するのは何かという質問に、藤田さんは「麦飯」だと答えた。

 藤田さんは「1975年頃までは韓国のどの食堂に行ってもご飯に麦飯が交ざっていたため、生徒たちに大変不評だった。しかし今では麦飯など見つけることも難しくなった」と話した。また、「90年前後は4月に韓国に行くと催涙弾ガスで目を開けることもできなかった」とし、「まるで60年代の日本の大学を見ているようで、生徒たちにもうひとつの教育の場となった」と回想した。

 今月19日、釜山(プサン)経由で訪韓した藤田さんは、生徒たちと慶州(キョンジュ)、非武装地帯などをまわった後、22日に観光公社から「韓国修学旅行30周年」を記念する感謝牌を贈呈されることになっている。

ハン・ジェヒョン記者 rookie@chosun.com

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