2005年05月03日

特集「在日朝鮮人」 「強制連行」をどう捉えるか

「強制連行」をどう捉えるか


在日朝鮮人を語る上で「強制連行」の議論は避けてと通れない
在日朝鮮人から反射的にイメージされる「強制連行」であるが
一口に「強制連行」といっても研究者によって
範囲が異なり意見が割れているし言葉自体が政治的造語であるとする意見もある
前回は極度の貧困により自由募集・官斡旋時期に自らの意思で渡日したものがいると述べたが
今回は異なる反例を述べていき、「強制連行」をどう捉えるべきかを述べていきたい


■「自由募集」「官斡旋」時期のずなさんな実態 

<自由募集>
朝鮮人労働者を雇用しようとする事業主が募集の申請を行い、
朝鮮総督府による労働者の募集地域とその人員を決定、認可を受けて、労働者を集める。

<官斡旋>
朝鮮総督府の作成決定した「朝鮮人内地移入斡旋要綱」に基づいて実施された。
労働者を雇用しようとする事業主ないしその代行を行う関係団体が申請を行い、
朝鮮総督府が募集地域人員を認可決定する。
朝鮮総督府およびその地方行政機関と警察官憲、朝鮮労務協会などが協力して労働者を選定し送出を行う。

<徴用>
国民徴用令適用により
日本政府が国民職業能力申告令にもとづき登録を行った者のなかから選んだ者に対して
徴用令書を発令交付して行った。
これを拒否した場合は罰則が下された。

「自由募集」「官斡旋」の動員にはずさんな実態があった

三菱鉱業直島精錬所労務係石堂忠右衛門氏の
「第一次朝鮮人労務者募集誌」に当時の実態詳細に記されている
自由募集時には朝鮮総督府による割り当て人数に満たないことを理由に
警察が圧力をかけて渡日を強要したり、
官斡旋時にも警察部長を訪問し協力を要請し、
非協力的であればそこの責任者を糾弾したり、
「高等係」を各面に派遣して供出を督励するなどし、
駐在所の署長と面長が対象者の家を直々に訪問したり、
または警官の命令書を対象者に送付するしたりしている。
自由募集では総督府の許可を得た業者が人員募集をするのであって、
形式上警察や行政機関が介入することはなかったとされているが、
この資料は自由募集の段階から警官や行政機関の職員が直接的に関与していたことを示す資料でもある。

また住友歌志内炭鉱「半島鉱員募集関係書類」では
(朝鮮に出張した労働者募集担当の住友社員が歌志内に残る労務課長宛に提出した現地報告書)
自由募集時期の企業と役所の癒着ぶりを知ることができ、
期日内に目標人数を集める約束するかわり報酬を要求した実態などが証言されている。

内務省嘱託小暮泰用から内務省管理局長竹内徳治に提出された「復命書」でも、
朝鮮人への暴行や家宅捜査など無理やり内地へ送出された朝鮮人労務者の実態を証言しており、
動員の行き詰まりから一層「徴用」したほうがましでは無いかという意見すら出ていることも記載されている。

他にも様々な資料があるが上記はいずれも日本側が作成したとされる資料である。
募集人数の数値目標を達成する見返りとしての報酬金や出世のために
一部「強制的」「暴力的」な募集がなされていたことが原文に詳細に記してある。


国民徴用令が朝鮮人に適用されたのは1944年9月からとされ、
1945年3月に釜山−下関間の連絡船の運航は止まったとされるので、
約7ヶ月間が徴用期間と考えられる
また1944年8月以降には女子勤労挺身令を適用して朝鮮人女性を日本の工場で就労させた。
法的に罰則が科せられたため「徴用」=「強制」と考えるのが一般的である。

「わずか7ヶ月の期間しか徴用は行われておらず、徴用は少人数であり大部分は募集や官斡旋だ」

という意見があるが、
国民徴用令で連れてこられた朝鮮人が少人数だから問題なかったかといえば必ずしもそうではない。
国民徴用令の規定では適用を受けた労働者は職場で病気をしたり怪我をしたり死亡した場合には、
家族や遺族の生活が困難にならないよう保護せよとされている。
逆に言えば国民徴用令以外の労働者は国家によって保護や救援しないということであり、
一般労働者は完全に区別されていた、
国民徴用令は日本はいち早く適用されていたが台湾や朝鮮は後年である。
しかし、朝鮮適用以前に自由募集や官斡旋により国内労度不足の解消政策から、
実質的動員がなされているにもかかわらずその者達の多くが国家補償の対象外であったことは、
しばしば現在でも訴訟問題を引き起こしている要因となっている。

また
「当時朝鮮は日本なのだから当然。日本人も強制的に労働を強いられていた」

という意見があるが、
まさに宗主国的な立場から物言いであって、
両国が平等であって始めて「当然」といえるのではないか。
日本人にとって祖国は日本であり祖国に忠義を尽くすのは当時の当然の心理かもしれないが、
朝鮮人にとって祖国は朝鮮であり日本ではないのである。
にもかかわらず、時として忠義が強要されることがあっても応じてきたわけであり、
自ら志願し奉公を志した者もいるわけである。
全てにおいて日本人と平等な処遇を受られなかったにもかかわらずである。
それを朝鮮=日本ゆえに「当然」と簡単に結論づけることはあまりに短絡的である。


■現在の在日朝鮮人は「強制連行」被害者か

「歴史編」で140万人が帰還したと述べたように、
諸説あるが大部分が本国に帰還したと考えるのは一般的である。
また「強制連行」という解釈によって全く異なる。
「徴用」のみを「強制連行」と解釈すれば大部分は帰還したと見るのが妥当であるが、
併合以来の支配下におけるすべての渡日が「強制連行」とするならば、
現在の在日50万人の子孫を含め数多く存在するであろう。
従って現在における在日朝鮮人が、
「強制連行」被害者で有るとか無いとか決め付けることはここではできないし、
むしろ、戦後の在日朝鮮人と日本人が「強制連行」をどのように扱ってきたのかが重要であって、
その際にまたこの問題を述べていきたいと思う。

■まとめ 「強制連行」極論の誤り

前回・今回の資料を提示したように、

貧困から抜け出すために自らの意思で日本へ来た者もいれば、
警察や役所に誘導されたり暴力的に無理やり来た者もいる。ということなのである。

「強制連行」を巡って上記二種に対する証言や資料が多数が存在するということが事実なのであり、
「強制連行」など全くないとする意見や、
全てが「強制連行」だとする意見はあまりに一方的すぎると私は考える
当時の時代背景を考えてほしい、現在のように国際法上も人権が保障されていない、しかも戦時国家において、利益をめぐって加害・被害は十分起こりうるわけであり、実際に証拠となりうる事例もある。に
もかかわらず、事実を証明するという方向性から軌道がずれ、極端な思想性による「有った論」「無かった論」が、被害者意識むやみに煽ったり人権侵害のカムフラージュに使用されることこそ、この問題を履き違えている証拠なのである。
「強制連行」問題はこのような極論によって片付けることはできない問題なのである。


次回は「戦後の在日」に関して述べます
「強制連行」に関してはその後再度触れていきたいとおもいます

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北朝鮮に行った母が住居でもビックリしたそうですが、 食事もそうとう酷かったそうです。 当然配給制ですが主食は何だと思います? 日本なら米でしょ。 粟(アワ)とトウモロコシをすりつぶした物がご飯の代わり。   鳥の餌じゃねぇか!   麦なんて1年に
食事もホントひどいです【これって波乱万丈?】at 2005年05月03日 19:34