2005年04月26日

特集「在日朝鮮人」 歴史編

特集「在日朝鮮人」 歴史編
コリアタウン
2ちゃんねるなど掲示板等の書き込みを見ていると
在日朝鮮人に対する偏見や差別発言は顕著に見られる
ネット上では「在日朝鮮人」に対する風当たりは厳しい
そして、北朝鮮問題や外国人参政権の問題等に
「強制連行」「従軍慰安婦」といった歴史問題や
南北朝鮮と日本の対立要因に深く関わっている民族集団であり
東アジア情勢を語る上で言及を避けられない大きなテーマである
今回は特集と題し「在日朝鮮人」を長期に渡り検証していきたい

1.在日朝鮮人の歴史と定義
<戦前>
1910年の日韓併合後、朝鮮半島から日本への渡航の自由、朝鮮人の日本居住が許可される
三.一運動(朝鮮独立闘争)後旅行証明制度が制定(朝鮮人が渡航する場合証明を必要する制度)
後に総督府により廃止・復活を繰り返しつつも関東大震災復興事業などにより年々渡航者は増加
1928年時点で28万人を超えた
1932年桜田門外において韓人愛国団により昭和天皇に手榴弾を投げつける事件(桜田門事件)
上海の天長節祝賀行事にも同様の事件が起こるなどした為
内地朝鮮人は警戒対象となり内地に渡航する朝鮮人全員身分証明書を朝鮮内所轄警察署
もしくは駐在所で交付を所持させる制度が実施される(朝鮮人内地渡航制限)
一定の制限が有りつつも年々増加の一途をたどる
1939年朝鮮民事令が改正され朝鮮人の創氏改名が始まる
同年「朝鮮人内地移送計画」開始、当初移送は自由募集により行われ
厚生省と朝鮮総督府の許可を受けた事業主が指定された地域で募集され
日本国内に在住していた朝鮮人は約100万人越える
その後日本は対米参戦し労働者不足が懸念された為、官斡旋による募集が始まる
これは朝鮮総督府が自ら朝鮮人労働者を集め就職先を斡旋する方法で行われた
その後これまで国内では施行されていた国家総動員法に基づく国内徴用令が
1944年9月より朝鮮にも適用され翌年の3月の下関-釜山の運行停止までの7ヶ月間に渡り徴用され
終戦までに約200万人※1に大増加した

<戦後>
1945年8月から翌年の3月まで、占領軍の命令により持ち帰り荷物制限230キロまで
財産持ち帰り制限一人当たり1000円、運賃無料という条件で
日本内地で暮らしていた140万人が帰還した。
残り50万人以上の朝鮮人は様々な理由により留まる(在日1世誕生)
朝鮮人帰国さなか1945年「在日本朝鮮人連盟(朝連)」
「在日本朝鮮人居留民団(民団)」が設立されるが
1949年9月GHQ の指令のもとに日本政府は団体等規正令を朝連に適用
反民主主義的暴力団体として解散させた。
1947年外国人登録令(ポツダム勅令第207号)が公布され
在日朝鮮人を外国人とみなし管理対象とした一方で民族学校の否定や課税
食糧配給など日本人として扱われるなど曖昧な対象とされた。
1952年サンフランシスコ講和条約締結、
朝鮮人及び台湾人は日本国籍を正式に喪失した。
そして外国人登録令に代わり同年外国人登録法が施行され、
「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に
基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律」(法律126号)により、
戦前からの居住者と1952年4月28日までに生まれたその子供には
別の法律ができるまで引き続き在留資格なしで在留できるとし、
1952年4月29日以降に生まれた者は特定在留者とされ、
法務大臣によって3年以内の指定期間しか在留できないとされた。
1950年朝鮮戦争が勃発し1953年一時休戦となり、
様々な在日内部抗争を経て1955年「在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)」設立された。
朝鮮総連は1956年に日本政府に在日朝鮮人の帰国を要請し、
1959年北朝鮮帰還協定調印がされ帰国事業の開始され約9万人が北朝鮮へと渡った。
1965年日韓条約締結さ在日韓国人の法的地位協によって韓国籍をもつものには協定永住権※2が与えられる。
在日三世以降は法的処遇を決めず協定発行後25年に要請があれば両国間で協議するとされた。
1970年国籍条項による行政差別の撤廃を掲げ行政差別撤廃闘争が日本各地で繰り広げられ
1980年外国人登録法指紋押捺義務に反対運動が勃発する
1982年難民条約の批准により法律126号該当者の子として、
申請期間外に日本で生れた者も国籍に関係な特例永住権を認めた。
82年1月からは韓国籍,朝鮮籍をとわず、戦前からの居住者に限り特例永住権が認められたが、
その子孫に対する永住権の規定はまだ不確定であった。
1991年「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法(入管特例法)※3」制定
1945年9月2日以前から引き続き日本に在留する者およびその子孫の在留資格を「特別永住者※4」とした。
これにより長年に渡る法改正を経て在日の在留資格が一本化された。

<今日>
今日の在日朝鮮人の数は約50万人以上とされる
90年代以降も在日朝鮮人と日本人の関係の溝から事件もおきているが
2000年代には日韓ワールドカップや韓流ブームなど友好的な動きがあり差別意識は一般的には薄れた
しかしながら北朝鮮の拉致問題やそれに絡んだ朝鮮総連への反発や自由主義史観の影響などにより
インターネット上の一部では根強い反感がもたれている

※1-100万人の増加区分−
・自らの意思で職を求めてきた個別渡航者とその間出生した者-約70万人
・鉱工業・土木事業の応募に応じて渡航した者(官斡旋募集)
 国民徴用令による徴用労務者合わせて-約30万人

※2-協定永住の条件-
1.1945年8月15日以前から引き続き日本に居住していた者
2.その直系卑属であって1945年8月16日から1971年1月17日までに生まれ、引き続き日本に居住している者
3.上記に当てはまるもので永住を許可された者の子どもとして1971年1月16日以後に生れた者

※3-日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法-
http://www.houko.com/00/01/H03/071.HTM 参照

※4-特別永住権と普通の永住権と違い-
・特別永住権所持者の子供は無条件で特別永住権を与えられる
・政府機関などにより、永住権を剥奪できない
・実質的に日本政府の保護下にある
・日本への帰化が簡単
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※上記に示している数値に関しては
 様々な説があり具体的値は控えさせて頂いた
 他の歴史記述に関しては
 史学研究上定説とされる事項を客観的に述べたつもりであり
 何ら一方の思想性に基づかない事を付け加えたい

次回予告
特集「在日朝鮮人」なぜ日本にきたのか編 
を予定します(変更する場合もあります)


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