自由主義史観研究会 広報スタッフ紹介


◆上 原   卓/事務局長

かつて或る市の指導主事をしていた時、正義の化身のような顔をしながら先人を貶める歴史授業を行なう教師達がいるのを見て慄然としました。平成7年、藤岡教授が真っ当な歴史教育の実践を目指す本会を創設された時、私は欣喜雀躍して会員になりました。


◆飯 嶋 七 生/機関誌『歴史と教育』編集長

日本の祭事・政事(マツリゴト)専攻。生涯一歴史学徒として研究分野外への越境を固く自戒してきたが、目に余る杜撰な史料批判、結論ありきの恣意的な史料解釈を看過できず、〈やむにやまれぬ大和魂〉により破戒。「熱狂と偏見」から歴史学を解放したい。


◆木村日向子/
日本語・英語サイト総合制作担当

『教科書が教えない歴史』を読んで感激。WEB制作者としてお手伝いさせてくださいと願い出ました。先生方のご指導のもと、サイト特集等を作りながら歴史の勉強をしています。反日風潮にイラつくばかりだったのが、スタッフになり精神的に安定…癒された〜♪

◆野口 ひかる/英語サイト・ブログ執筆監修担当

英米で長く生活し、ふとした折に「日本」を意識いたしました。帰国後「南京事件」の真相を訴えてこられた先生方の講演に接する機会があり、深く感銘を受けました。ネットを介して英語世界の「南京のウソ」を明るみに出さなければ、日本の恥では?


◆篠 原 寿 一/取材レポート執筆担当

NPO法人新現役ネット「教育を考える懇談会」代表。コンピューター会社を定年退職後、専門学校教員をして現場の荒廃を実感。藤岡代表の獅子奮迅のご活躍を拝見し、歴史教育は素人ですが、自身の経験を活かして教育再生のお役に立てればとお手伝いしています。

歴史研究や授業づくりの成果を会員以外の方々にも知っていただくため、私達は日々奮闘中。自虐史観や反日思想への鬱憤晴らしの会話も楽しみつつ、仕事やプライベートに支障をきたさない範疇で努力を積み重ねています。一緒に会報・サイトの制作等に参加しませんか?自由主義史観研究会では、常時ボランティア・スタッフを募っています。staff@jiyuu-shikan.org まで木村宛てに、ご興味がおありの方は、お気軽にお問い合わせください
 

制作後記
特集『敵兵を救助せよ!』


フォール卿が工藤艦長を称える式典への出席のために来日が決まり、以前も『武士を教える』特集で駆逐艦「雷」の救助劇についてはご紹介したが、この機会にもう少し詳しく取り上げようということに。この戦争秘話に初めて触れる皆様も、既にご存じの皆様も、工藤艦長やフォール卿、そして当事者であった日英両海軍の兵隊さんへの想いをめぐらし、健在だった日本人の武士道精神と、それに対して敬意を表してくれた英国人の心意気にどうぞ御感涙を。

今回の特集の最大の目玉は、当会の諸先生方による3バージョン(小・中・高)の授業案。「自分は教師じゃないから関係ない」などと言わずに、実際に授業を受ける感覚で楽しくお読みいただきたい。

私は小学校の低学年時代をアメリカで過ごし、現地の小学校に通っていた。アメリカの歴史の授業にはヒーローがわんさか登場する。電気を発見したフランクリン、米大陸を探検した開拓の先駆者ブーン、奴隷解放を実現したリンカーン…歴史人物総ヒーロー状態というほどの盛況ぶり。初代大統領のワシントンなどは就任後の政策よりも、軍人時代の武勇伝が教室では取り上げられていたものだった。何代目かの大統領の奥さんなどは、家が火事になった際に国旗だけは持って避難したというただそれだけで、ファースト・レディの鑑として殿堂入り。「そんなことで?」と、振り返ってみればマンマと乗せられた気分にもなるけれど、
子供は政治や思想云々の話より、こうした単純明快なエピソードに胸を躍らせるもの。

一方、小学4年生で帰国してから歴史の授業を受けてみて、ヒーロー不在の日本史に少なからず驚いた記憶が。勿論、超人的な能力を持っていたとされる聖徳太子の伝説や、国づくりに情熱を傾けていらした坂本龍馬はいた。しかし、彼らの場合は政治的な背景が複雑過ぎて、私のようにおバカだった子供には少々理解しづらく、もっとスカーッ!とする活躍をした単純明快な英雄がいないものかと感じていた。

それから、?十年…工藤艦長こそ正しく、当時の私が求めていた気分爽快で素直に尊敬できる歴史人物だなと、小学生時代を想起しながら今回の特集をまとめた。中学・高校へと進んで、大人や社会全体の矛盾と醜さを目の当たりにするより先に、小学校の段階で人間の善の部分を確信させてくれる、工藤艦長のようなロールモデルと出会うことは、実はとても大切ではないかと思う。

皆様のお子さん達は、教室で工藤艦長との出会いを果たせましたか?そうでない場合は、『敵兵を救助せよ!』授業案を参考に、親御さんに是非とも工藤艦長を紹介してあげてもらいたい。
                            (木村日向子)
 


サイト担当のつぶやき
欧米コンプレックスを踏破した日本フィギュア


関川夏央氏の『秋の舞姫』(谷口ジロー・画/漫画です)という作品の中で、西洋人女性の容姿を称賛する青年に対し、‘そうした西洋への憧憬がこれからの日本をダメにしてくだろう’…というような台詞を、森鴎外がつぶやく場面がある。実在の鴎外が本当にそう思っていたかは不明だが、欧米人の見てくれへの憧れが、女性を中心とした日本人の美的価値観を侵食してきたことは明白だ。欧米人よりもアジア人は美しくない・格好悪いと思い込んでいる日本人は、残念ながら未だに少なくはない。ファッションとしては楽しくて良いと思うが、例えば茶髪やカラーコンタクトが流行る根底にはそうしたコンプレックスがまだ潜んでいるような気がしてしまう。また、見苦しくも文法やイントネーションの間違った英語をやたらと歌詞に入れては、‘イケている’と勘違いしているJ‐POPSの歌曲を耳にする度に、やっぱり日本の西洋に対するコンプレックスは病的だなと落胆する。

昭和40年代生まれの自分も類に漏れず、幼少からハリウッド映画の麗しい女優さんやブリティッシュ・ロックの格好良いミュージシャンに憧れながら育ち、美しさとは緩やかな金髪、青い眼、そして長い脚だと完全に思い込んでいた時期があった。そんな私には、少女時代にテレビでフィギュア・スケートの大会を見る度に、深く落ち込んでいた記憶が今でも鮮明に残っている。スタイルの良い欧米人選手が華麗に銀盤を舞う姿に比べて、日本人選手は大きなお尻を大根足で支えながら、BGMの軽やかさを損なう重ったるい滑りしかできていないように見えたからだ
。フィギュア選手権での日本人の優勝は夢のまた夢で、10位以内にでも入れば立派というような状況。そんな中、1992年のアルベールビル五輪で伊藤みどりが女子選手で史上初のトリプル・アクセルに成功し、銀メダルに輝いた時は当然嬉しかった。だが、彼女がその難度の高い技に挑戦したのも、‘日本人は表現力や芸術性では勝てないから’という裏事情があってのことだと知り、何だか悲しい気分にもなった。

技で勝てても、美しさで日本人が欧米人に勝つことは不可能なのか?

一昔前のフィギュア・ファンならば、カタリナ・ヴィットの演技に陶酔する一方で、自国からは彼女のような選手が永遠に出ることはないだろうという辛い想いを噛みしめていたことと思う。しかし、ヴィットの時代から約30年経て、当時では誰にも想像できなかった喜ばしい変化が起こっている。今最も世界中から最も注目を集めているトップ・スケーターと言えば、昨年の世界選手権で優勝した浅田真央中野友加里安藤美姫も、ここ数年は表彰台の常連だ。男子では高橋大輔世界最高のステップ技を持つと評され、日本男児の凛々しさで他国選手を完全に凌駕している。全米チャンピオンに輝いたことのある長洲未来も、アメリカ代表だが、両親はともに生粋の日本人だ。先日、11月末に開催されたNHK杯女子シングル部門では一昨年同様、表彰台を日本人選手が独占する快挙が再び達成された
。彼女達は伊藤みどり同様に高度なテクニックを持っているだけでなく、表現力や芸術性も全盛期のヴィットを既に超えている。欧米人のダイナミックな華やかさとはまた違う、叙情的で落ち着きのある細やかな魅せ方は東洋ならではのもの。今となっては欧米人選手でなく、日本人選手の演技を見てフィギュアを始める子供達が圧倒的に多いはずだ。そして、おそらくこれは日本国内に限った現象ではないだろう。

フィギュアに限らず、今やスポーツ全般においては、日本人特有の欧米コンプレックスがほぼ克服されたように感じている。国内選手達の活躍は、他のジャンルでも他民族に引けを取らない、日本人の美しさと格好良さを再発見する契機となるだろう。フィギュアの国際大会の会場で常に多くの日の丸が誇らしげに掲げられているのは、西洋美の呪縛から解放される時を、実は日本人が心待ちにしていたことを示しているかのようだ。  (木村日向子)