(s0648)

「朝鮮通信使」

『海遊録』
「また行くこと十里にして、白い姫垣の隠映するを望む。伏見城である。城は、秀吉が居たとき、その離宮別□となっていた。閭里の繁盛は、この賊奴のいた時よりも滅らないというが、遠いために直接目で見ることはできなかった。
 倭の言によれば、淀江の岸に晋州島と名づける島がある。壬辰年に、晋州人を俘獲してきて、ここの居らしめた。いまその一村には、他種はないという。人にその当時を回想させ、毛髪の竦然とするを覚えさせる。
 ここより、村廬が道をはさみ、あるいは瓦葺き、あるいは茅葺き、木皮葺き、木片葺きなどの家がつらなって、絶えることがない。その樹は、橘または柚が多い。左右の原畝は五穀が生え、土地は肥沃にして力農し、秋熟しているが、いまだ収穫はおわっていない。稲は疇に満ち、稲色はみな白く、木綿はもっとも美しく、爛漫として雲の如くである。刈った稲は、それぞれ田中に二つの大竿を立て、その高さ丈余、禾を束ねてこれを岐ち、横竿に倒さにかけ、その穂はすべて下に垂らし、曝してもって乾かす。摘みとった綿は、これを竹篝に盛り、分載して帰る。藍輿の中に坐して農野を眺めながら、慨然として馬少游の言を憶う。
 行くこといまだ倭京に及ばざること二十里、日すでに暮れた。路をはさんで左右に大竿を植え、竿には盆の如き燈を懸け、そのなかに燭を点じて晃朗瑩耀、かくの如きが五歩ごとに一体となっている。夜が昼の如く明るい。(中略)
 余はすでに倭語を聞きなれていて、ときどき理解しうる言葉がある。そこで、頻々として倭人を喚び、飲茶や喫煙を索め、道里を問う。倭人はたちまち大いに歓び、それに応じてくれる」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)