2006年10月02日

迎恩門と独立門

迎恩門



丙子胡乱で清に敗れて以降、「大清皇帝功徳碑」に刻まれる様に
清の皇帝の臣下であり、冊封国であった朝鮮の歴代王が、
皇帝の使者を三跪九叩頭の礼によって迎えた門である

そして清の使節が来ると、朝鮮国王は自ら高官を引き連れて迎恩門まで歓迎に赴き、
地面にひざまずいて使節に敬意を表し、宴会を催して接待しなければならなかった。
王太子は慕華館(現:独立館)で使節に酌の礼をするのが最大の役目だった。

独立館(慕華館)




日清戦争で日本が勝利し、1895年の下関条約により、
李氏朝鮮は清の冊封体制より離脱する事になる

第一条
 清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、
 独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。


こうして大韓帝国が成立する。
1897年、朝鮮内の開化派が迎恩門を取り崩し、独立の記念として
新たに独立門を同じ場所に建てたのである

独立門



写真でも迎恩門の石台座が確認できる


さて、韓国の唯一の国定歴史教科書でこれらの事をどの様に表記しているかik_19

1270年から1895年までの625年にわたる属国をうやむやにし

 下関条約により独立した

慕華館(現:独立館)は、反日活動の資料館

 慕華館(現:独立館)は、清国の接待に使った

独立門にいたっては、日本からの独立記念と思っている


 独立門は、清国からの独立記念に建てた

1910(明治43)年、日本の韓国併合以降ばかり問題にして
625年の属国時代には目を背けるのだろうか


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