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保導連盟事件

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保導連盟事件
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各種表記
ハングル 보도연맹 사건
漢字 保導聯盟事件
平仮名
(日本語読み仮名)
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片仮名
(現地語読み仮名)
ポドヨンメンサコン
ラテン文字転写 {{{latin}}}
ラテン文字表記: bodo'ienmaiq sagen

保導連盟事件ほどうれんめいじけん)とは、1950年の夏、朝鮮戦争で敗走していた韓国軍が、共産主義からの転向者やその家族の統制組織「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯など、少なくとも20万人あまりを大量虐殺した事件である。朝鮮戦争前後民間人虐殺真相糾明と名誉回復のための汎国民委員会の研究では60万人から120万人が虐殺されたとしている[1]

目次

概要

日本の敗戦時、朝鮮の抗日勢力においては民族主義者の潮流が衰退し、共産主義者が各地で主流を占めていた。反共主義者李承晩率いる大韓民国政府は、ストライキや武装闘争を挑む南朝鮮労働党を中心とする共産勢力に対して大弾圧を行い、1948年12月1日国家保安法を制定。1949年6月5日、要監視対象者の教化と統制をおこなう思想保護観察団体「国民保導連盟」を組織し、翌年にかけて末端組織を全国に拡大した。

「大韓民国絶対支持」「北傀政権絶対反対」「共産主義排撃粉砕」「南北労党暴露粉砕」を綱領に掲げるこの組織には、転向した党員が登録されたほか、抵抗を続ける党員の家族や単なる同調者に対しても登録すれば共産主義者として処罰しないとして加盟が勧められた。保導連盟に登録すると食料配給がスムーズに行われたため、思想とは無関係に食べ物目当てに登録した人々も多かったといい、警察や体制に協力する民間団体が左翼取り締まりの成績を上げるために関係のない人を登録することもあったともいう。

しかし、1950年6月25日北朝鮮が侵攻してくると、韓国軍、警察は釜山にまで後退しながら、保導連盟に登録していた韓国人を危険分子と見なして大田刑務所などで大虐殺を行った。韓国当局は彼らが北朝鮮軍に呼応して反乱することを恐れたと弁明した。また、ソウルに侵攻した北朝鮮にとっても、保導連盟員は党を捨てて敵の体制に協力した者にほかならず、追及・粛清の対象となった。韓国、北朝鮮双方からの虐殺を逃れようとした人々は日本へ避難あるいは密入国し、そのまま在日コリアンとなった者も数多い。

この事件は韓国現代史最大のタブーとも言われ、軍事政権下はもちろんのこと、その後も口に出すのも憚られると言われてきた[2]李承晩以来の独裁的・軍事的政権を批判する立場からは、体制によって隠匿されてきた権力犯罪の一環として糾明の対象となり、盧武鉉政権による「過去史」清算事業の対象の一つとなった。この流れを受けて、2004年には、保導連盟署名者の凄惨な処刑が重要な場面で描かれている韓国映画ブラザーフッド』が公開された。また、2008年1月24日、盧武鉉大統領は保導連盟事件の犠牲者追悼式に送ったメッセージで、国家権力の不法行為に対して包括的な形で謝罪を表明した[3]

2008年9月6日、TBSテレビ『報道特集』にて日本のテレビでは初めて大々的に保導連盟事件がとりあげられた。虐殺に加担した者や生還者が、共産主義者狩りの名の下で、イデオロギーとは全く関係のない者や2歳児までもが虐殺の対象となったことを証言した。また虐殺の場となったコバルト鉱山での遺骨の発掘調査の様子が放送され、犠牲者数20万人とも言われる虐殺の一端が明らかとなった。さらに韓国での街頭インタビューで、一般的に韓国人が本事件のことを知らない事なども放送された。 このなかで真相究明を求める運動家が「保守派である李明博政権は真相究明を望んでいない」と発言をしているとおり、李明博政権のもとで真相究明がどこまで進むのかが懸念となっている。 尚、韓国の4大紙、朝鮮日報は 2007/03/15 の社説で「過去史委員会による壮大な予算の無駄遣い」と題し、 保導連盟事件の調査にあたる「真実・和解のための過去史整理委員会」(委員長・宋基寅(ソン・ギン)を指し 「趣味程度に過去の歴史を書き直したいのなら、何も国民の税金にたからずに「過去史書き換え同好会」の会員たちで募金活動でも行って、必要経費をまかなうべきだろう。」と述べ、真相究明への否定的な社説を発表している。[4]


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外部リンク

関連項目




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