rx178様のところで見つけたoza002様のNAVERでの投稿をちょっと補足する形で紹介します。 日本は歴史教育で韓国・北朝鮮に「悪いことだけしかしてない」かのように贖罪意識を植え付けるように教えてます。 韓国(北朝鮮)は歴史教育で「日帝36年の史上最悪の植民地政策」と日本を非難します。また、当時の李朝時代を天下泰平の世だったと捏造し、「日本は朝鮮の近代化の道を阻害した。」「韓日合併がなければもっと発展していたはずだ。」と大真面目に子供に教え込んでます。 しかし、そもそも侵略されたり支配されたりしないための近代化なのに、支配されたから近代化できなかったと言うのでは順序が逆だと思います。 清国も日清戦争の敗北で洋務運動の破綻が明らかになりましたが、それを「日清戦争で負けてなければ洋務運動は成功していた」というようなものです。順序が違うと思います。
歴史にIFはつきものですが、冷静に当時の日韓併合に至った日本と半島、そして当時の世界情勢を分析する必要もあると思います。 |
迎恩門 |
清皇帝から受けた恩に、感謝して迎えるために作った門。 ここで朝鮮王は、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏し、清の使者を迎えた。 |
三田渡碑(土下座碑) |
清の太宗が要求したのが、九叩三拝(頭を地にこすりつけて、土下座して謝罪)という屈辱的な礼。 太宗は、朝鮮王朝がこれを忘れないようにと、わざわざ、モンゴル語、満州語、漢語の碑文を作って、その場所に建てさせた。 (文禄慶長の役の後始末がつきかけたのも束の間・・) |
大国清の属国高麗国旗 |
3日天下の金玉均 |
とも倒れになる。」
福沢諭吉
さすが『学問のすすめ』の福沢諭吉。 伊藤公がインフレを整備したのに対し、学問の普及を促進した。 |
「近代ハングルの父」福沢諭吉 |
下関条約 |
・清国は朝鮮の独立を認める。 |
・遼東半島、台湾、澎湖島を日本へ割譲する。 (注:遼東半島は、後に三国干渉により放棄させられる。) |
・2億両(テール)の賠償金を日本へ支払う。 |
・日本人は各開市場・開港場において、製造業に従事できる。 |
・片務的最恵国待遇を日本に与える。 |
大韓帝国 編
日本に独立させてもらった朝鮮は
国名が李氏朝鮮から大韓帝国にかわった。
独立して迎恩門が壊され独立門が作られた。
迎恩門
独立門
現在の独立門
だが、朝鮮の独立国としての行動はそれまでとなった
大国ロシアの圧力により
日本には三国干渉を迫られ
(遼東半島を清に返すこと)
三国干渉→大国ロシアとフランス・イギリスによるアジア蔑視の当時だからできた常識外れの恫喝的内政干渉
日本がそれに屈することをみるや否や
今度はロシアに事大しロシアの属国になろうとした。
高宗(国王)の妃閔妃らは大国ロシアに接近して
( 韓国政府をロシア公使館内に置くという事大っぷり!)
日本を牽制しようとし、親日派を追放した(1895.7)。
高宗(国王)の妃 閔妃
その後、日本公使・三浦悟楼らが閔妃を暗殺した。
当然、非難されるべきではあるが・・・ |
日本大使館を襲ったから、閔妃事件が起こった |
明成皇后 とはどのような人物であったのだろうか ? |
閔妃の経歴(閔妃美化ドラマを見ている韓国人へ) |
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ポーツマス条約 |
・日本の朝鮮における優越権を認める |
・日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤兵する |
・ロシアは樺太島の北緯50度以南の領土を日本へ譲渡する |
・ロシアは東清鉄道の内、旅順−長春間の南満州支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。 |
・ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する |
・ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える |
「ロシアの植民地になっていたら」親日派教授の意見 ↓ すぐに言論弾圧されましたが・・・ |
1905年2月22日は島根県が竹島を編入した年ですが、100年後の2005年に「竹島の日」を制定したことに韓国が猛抗議しているのは皆さんご存知の通りだと思います。竹島や欝陵島は無人島で現在の島根県や鳥取県の漁民の方たちがアザラシ漁の基地などとして実効支配してきた場所ですから自然な成り行きだと思いますが、韓国ではこの年(1905年)は日本の保護国となり、外交権を奪われた屈辱の年だから無効だ!!反対だ!!というほとんど感情的な理由としか思えない抗議をしてます。(竹島が日本の領土だという明確な説明はコチラを見てください。)そもそも日本は大韓帝国の外交権なんて奪ってません。日本の保護国となる以前、大韓帝国政府はロシア公使館の中にあり、ロシアに事大してたのです。ポーツマス条約を見てください。ロシアから朝鮮の優越権を委譲されただけです。それに竹島編入は2月22日であり、大韓帝国を保護国としたのは同年10月です。時系列からおかしいです。韓国(北朝鮮)が朝鮮半島を太古より独立国であり李氏朝鮮時代を「東洋の理想国」だったと歴史を捏造する限り、このような齟齬はこの先も絶対解決しないでしょう。 今でもノムヒョンは中国・ロシアにつこうか、日本・アメリカにつこうか優柔不断な動きを見せてますね。歴史は繰り返すということでしょうか? |
朝鮮併合 反対派 | 朝鮮併合 賛成派 |
初代朝鮮統監 伊藤博文 第二代朝鮮統監 曽祢荒助 (日露戦争時の大蔵大臣) |
山県有朋 寺内正毅陸軍大臣 |
かくの如き陰険な手段を似て
日本保護権を拒否せんとするよりは むしろ日本に対して 堂々と宣戦を布告せらるるのは 捷径なるにしかず (上記の要約) こんな陰険な方法で日本を拒否するなら 日本に宣戦布告して来い。 |
「明治日本の対韓政策」(著:深谷博治)から、伊藤博文の言葉を抜き出してみよう。 |
「韓国人の誰が、自ら、その独立を主張したのだろうか?そして、韓国人の誰が、自ら、韓国の独立を承認したのだろうか?あるならば聞きたい。韓国人は、数千年来、固有の独立を有していたと主張するが、私はこれを認めることは出来ない。」
「日本は出来るだけ、韓国を独立させようとしてきた。しかし韓国は遂に独立できなかった。そのため、日本は、日清・日露の二大戦役を開く羽目となった。その結果として、日本は韓国を保護国とした。これを日本の侵略だと言うなら言うがいい。日本は自衛上、本当にやむを得ず韓国を保護国としたのである。」 「そして、世界の大勢を見るがよい。どんな大国も、今日まで一国で世界の平和を維持できる物ではない。僅かに、地域ごとに平和を維持しつつあるだけだ。これは、つまり、同盟国の必要な所以であって、もし一衣帯水(距離が近い事を示す)の韓国に外国勢力が影響力を行使するような自体になれば、日本はその独立を危うくするものである。日本は、絶対に韓国が日本に背くことを許すことができない。」 「しかし、日本は非文明的、非人道的な行為をしてまでも韓国を滅ぼそうとするものではない。韓国の発展は大いに日本の望むところであって、韓国自身が国力を身につけ、発展するためならば、韓国は自由に行動してよい。ただ、ここに一つの条件がある。すなわち、韓国は日本と提携するべきであるということだ。日章旗と巴字旗(韓国旗)が並び立てば、それで日本は満足である。日本は何を苦しんで韓国を滅ぼすことがあるだろうか?」 「自分は、本当に日韓の友好を深めるために、誠心誠意尽くそうとしている。しかし、日清・日露の両大戦の際に、韓国は一体何をしたのか?陰謀以外の何をしたというのか?戦争中は傍観者に徹していたではないか?君たち(韓国人)は、日本が、突然やってきて韓国を滅ぼそうとしていると思うのは、一体どのような根拠に基づくものか聞いてみたい。」 「日本は韓国の陰謀を断ち切るため、韓国の外交権を日本に譲れと主張した。だが、日本は韓国を併合する必要はない。併合は甚だ厄介である。韓国は自治を要する。しかも日本の指導監督が無ければ、健全な自治を遂行し難いと考える。」 |
朝鮮併合 反対派 | ⇒ | 朝鮮併合 賛成派 |
(安重根が暗殺) (1910年に曽祢統監は胃ガンで倒れ、 同年解任) |
山県有朋 (伊藤亡き後、最長老として 軍政両界に権勢を振う) 寺内正毅陸軍大臣 (第三代朝鮮統監に任命される) |
「朝鮮銀行」 多田井喜生 2002年 PHP新書 | ||
明治42(1909)年10月26日、伊藤博文は、ハルビン駅頭で韓国人の独立運動家の安重根にピストルで暗殺された。『馬鹿な奴じゃ』これが伊藤の最後の言葉になった。捕えられて旅順に送られた安は、検察官の訊問に対して、『人の国を取り、人の命を取らんとする者あるを、袖手傍観するということは罪悪でありますから、その罪悪を除いたのです』と陳述した。 伊藤遭難の報せを聞いたドイツ人医学者エルビン・ベルツは、「伊藤博文をしのぶ」と題した一文をすぐドイツの新聞に発表した。ベルツは東京医学校に招かれて明治9年に来日して肺臓ジストマを発見し、宮内省御用掛として明治天皇の侍医をつとめ、明治38年に帰国していた。 『伊藤が、人もあろうに韓国人に暗殺されたことは、かれが日本における韓国人の最上の知己であっただけに、いっそう悲劇である。日露戦争の後、日本が韓国に干渉の手を差しのべたとき、思いがけない抵抗に突きあたった。暴動と日本人殺害は、いつ果てるともみえなかった。そこで東京の軍部と新聞は、思い切った処置と、武力による圧制を要求した。しかし伊藤は、穏便な出方を支持したのである。かれは、腐敗し切っていた韓国の国家制度に有益な改革を加えることにより、日本の統治下にある方が優っていることを、韓国民に悟らせることができると信じていた。……ヨーロッパでは、韓国における日本側の過酷な仕打ちについてのみ聞かされているが、学校を建てたり、合理的な農業や養蚕を教えたり、鉄道や道路や港湾を設けたり、勤勉で熟練した日本の職工や農夫の手本を示したりして、日本側の挙げた業績については、何も知らされていない。しかし筆者は、3回この韓国を訪れて、親しくその事実を確かめたのである。……いつか韓国民自身が、恐らくこの暗殺を悔やむことだろう。――だが、日本にとっては、伊藤博文は掛替えがない。その老練無比の政治家を、国家は失い、無二の信頼すべき顧問を、天皇は失った』
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国債報償期成会と安重根 | ||||
安重根と断指血盟 | ||||
伊藤公を暗殺した理由らしいです。 | ||||
一体どこから独立するつもりだったんですか? | ||||
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世界が日韓併合をどのように捕らえたか。 |
日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度こそ、韓国を中国からの呪縛から解放しようとしているようだ。韓国国民に平和と繁栄と文明開化をもたらすことによって、力の弱い隣国韓国を安定した独立国にしようと考えている。こうした日本の動機は韓国知識層で
ある官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異存はないと思われる。 1 904年10月4日 ロンドンタイムズ紙 「十二月八日− 日本が米英に宣戦布告した1941年、昭和十六年十二月八日 大東亜戦争勃発の 日(後世、太平洋戦争と呼称されている) 1910年、日本が韓国を併合したのは(韓国の)新皇帝が 「請願」したからであっ た。パールハーバー以前は、日韓関係について語る歴史家は、日本が欧米列強から 教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、といってほめるのだ。トリート教授によれば、日本は「一つ一つの手続きを外交的に正しく積み上げていた。そして、・・・宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成したのである。」 事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」手段を踏んでいなかった。 アメリカの鏡・日本ー ヘレ ン・ミアーズ 朝鮮の王室と政府は腐敗堕落しきっており、、頑迷な朋党は、人民の財を略奪して い る.その上、人民はあまりにも愚昧である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力 を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地になるだろう。 伊藤博文総監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。 アメリカ人の朝鮮外交顧問 ドーハム・スティーブンソン |
↑南大門の前に新たな門が立てられ、その上に大韓帝国の旗と日本の国旗が。門にも日本の併合を強力に推し進めた一進会の文字。 |
「韓日合邦を要求する声明書」一進会 |
日本は日清戦争で韓国を独立させてくれた。 日露戦争でロシアに食べられる寸前の韓国を救ってくれた。 それなのに韓国はこれを感謝しなかった。 あの国に着き、この国に着き・・・結局は外交権を奪われる事になった。 しかし、これは我々が自ら招いた事態である。 丁未条約を締結する事になったのも、やはりハーグ事件を起こした我々に責任がある。 伊藤博文が韓国の国民を見守ってくれ、皇太子を導いて韓国の為に尽くしてくれた事は忘れられない。 それなのに暗殺事件が起こってしまった。 今後、どんな危険が到来するのかわからない。 これもまた韓国人が自ら招いた事態である。 (中略) だから劣等国民として保護されるよりも、日本と合邦し大帝国を作ろう。 世界の1等国民として日本人と全く同じ待遇を受けながら暮らしてみよう。 ※1909年 12月4日「韓日合邦を要求する声明書」一進会(百万の朝鮮人会員) |
当時の朝鮮の外交官 李成玉 の言葉 |
現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、 とても独立国家としての体面を保つ事はできない。 亡国は必至である。 亡国を救う道は併合しかない。 そして併合相手は日本しかない。 欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、 日本は違う。 日本人は日本流の道徳を 振り回してうるさく小言を言うのは気に入らないが、 これは朝鮮人を同類視しているからである。 そして日本は朝鮮を導き、 世界人類の文明に参加させてくれる 唯一の適任者である。 それ以外に我が朝鮮民族が、 豚の境遇から脱して、 人間としての幸福が受けられる道はない。 |
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