2009年2月8日(日)
埃
このブログの主題は2009年1月29日の【花風社 浅見淳子】にあります。お仲間に是非こんな話があると電話を入れて下さい。
目が老眼になりすっかりそのケは無くなったが、
昔は、鏡を見ると先ず鏡より、その表面の汚れが気になって鏡を見るどころでは無かった。
表面の汚れを無視しようと思っても、5ミリ手前のガラスの表面に目が行ってしまって、顔を注視出来ないのだ。
だから、髭を剃る前にガラス磨きだ。
ところが、風呂の鏡は石鹸の残滓があって、なかなか綺麗にならない。
さらに、水滴、湯気で曇る。
今度は、石鹸で薄い油膜を作り水滴が付かない様にする。
勿論、石鹸自体がじゃまになるようではいけない。本当の薄膜を作らなければいけない。
湯気も水滴も形成されなくなったところで、ようやくひげ剃りだ。
だから、ひげ剃りは面倒でしょうがない。こんな苦労をしていることを妻は知らないのだ。
鏡に係わらず、コピーのガラスもそうだ。
会社のコピーなんかは、いくら磨いても、ガラスに傷があったりして、心ゆくまで綺麗に磨き立てたコピー機と言うのは難しかったが、
今は、自宅で自分のコピー機だ。
ピッッカピカに磨き立てて、一点の曇りもなく点も無いコピーに仕上げ、図面を出力させてうっとりする。
そんなもんなんだ。
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