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ハワイ州

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ハワイ州
State of Hawaii
Moku‘āina ‘o Hawai‘i
ハワイ州の旗 ハワイ州の印
州旗 (州章)
州の愛称: アロハ・ステート
The Aloha State
ハワイ州の位置
州都 ホノルル
最大の都市 ホノルル
州知事 リンダ・リングル
Linda Lingle
公用語 ハワイ語英語
面積
 - 総計
 - 陸地
 - 水域
全米第43位
28,311 km²
16,635 km²
11,676 km² (41.2%)
人口2003年
 - 総計
 - 人口密度
全米第42位
1,257,608
44.42人/km²
合衆国加入
 - 順番
 - 加入年月日

50番目
1959年8月21日
緯度 北緯18°55' - 29°
経度 西経154°40' - 162°
東西の幅 N/A km
南北の長さ 2,450 km
標高
 -最高標高
 -平均標高
 -最低標高

4,205 m
925 m
0 m
略称 (ISO 3166-2) US-HI
ウェブサイト ハワイ州政府

ハワイ州(Hawai‘i HI。ハゥワァイイー[1]は、太平洋に位置するハワイ諸島にあるアメリカ合衆国の州である。漢字では布哇と書く。

ハワイ島マウイ島オアフ島カウアイ島など主要な8つの島(うちニイハウ島は個人所有)と100以上の小島からなる諸島が丸ごとハワイ州に属している。州都はオアフ島のホノルル市。ちなみに、一年間に約8cm日本国に向かって移動している[2]

目次

歴史

先史時代

ハワイ諸島へ人類が移民してきたのは、4世紀から8世紀頃(史料が乏しくはっきりわかってはいない)で、南方のテ・ヘヌア・エナナ(マルケサス諸島)からと考えられている。この際に使用されたと考えられているのが、双胴の航海カヌーと、スター・ナヴィゲーションと呼ばれる、リモート・オセアニア海域で広く用いられた航法技術である。ちなみにハワイへの移民がテ・ヘヌア・エナナから行われたとの説はビショップ博物館所属の日本人研究者、篠遠喜彦博士の釣り針編年研究が基礎となっている。

ハワイ王国時代

アメリカによる併合

  • 1893年:アメリカ人農場主らが海兵隊の支援を得てクーデターを起こし、王政を打倒して「臨時政府」を樹立。この時、日本は邦人保護を理由に軍艦2隻をハワイに派遣し、ホノルル軍港に停泊させてクーデター勢力を威嚇した。「臨時政府」はアメリカに併合を求めるが、就任直後のクリーブランド大統領はこれを渋る。
  • 1894年7月4日:アメリカによる併合に時間が掛かると判断した臨時政府は、新憲法を発布しハワイ共和国を宣言した。大統領はサンフォード・ドール
  • 1895年1月16日:ハワイ人王政派が武装蜂起したが短期間で鎮圧される。この武装蜂起を支援したとしてリリウオカラニ女王が逮捕・幽閉される。
  • 1895年1月22日:リリウオカラニ女王廃位(ハワイ王国滅亡)。
  • 1898年:アメリカ合衆国、ハワイ共和国を併合、ハワイ準州(米自治領)となる。
  • 1941年12月7日(日本時間12月8日):に、大日本帝国海軍による真珠湾攻撃が行われ、アメリカと日本との間で開戦した。
    • 開戦後間もなくアメリカ全土に住む日系アメリカ人と日本人は強制収容所に収容されたが、ハワイに住む日系アメリカ人および日本人は、日本人会会長や僧侶など、日系人社会を代表する一部の人々を除き強制収容所に収容されなかった。これは当時、ハワイが正式な州でなかったこと、アメリカ本土から離れていること、そして何より、当時の人口の4割程度を占める日系人および日本人を強制収容すれば、ハワイの社会や経済活動が崩壊しかねないという事実が影響したようである。
    • ハワイで生まれ育ち、合衆国の市民権を持つ日系アメリカ人の若者の多くは、自ら進んで志願兵となることで祖国に対する忠誠心を示そうとした。彼らハワイの日系人だけで組織された陸軍第100大隊は、後にアメリカ本土の日系人部隊と合流し442連隊となり、欧州戦線において多くの犠牲と引き換えに目覚ましい戦果を上げた。彼らの献身的で勇敢な戦いはすべてのアメリカ人に深い感銘を与え、ハワイのみならず戦後のアメリカ社会における日系人の地位向上に大きく貢献した。
    • なお、日本軍による上陸と占領を恐れ、戦時中を通じてハワイのみで流通する特別なドル紙幣が使われた。
  • 1959年:アメリカ50番目の州に昇格し、本格的なリゾート開発が始まる。

地理

詳細はハワイ諸島を参照

ハワイ州は四周を海によって囲まれている唯一のアメリカ合衆国の州である。アメリカ合衆国の最南端部に位置しているのに加え、ハワイ州は熱帯地方に位置している。ハワイ州はアラスカ州とならび、アメリカ合衆国本土以外に位置する2つの州のうちの1つであり、北米大陸上に位置しない唯一の州である。また、50州をアメリカ合衆国の国土の定義とした場合、ハワイ州はアメリカ合衆国の最南端部である(本土のみで考えた場合、フロリダ州en:Ballast_Key)。

州の陸地面積は、キラウエア火山から流動性の高い溶岩が流れ出ているため、その面積は増加し続けている。ハワイ諸島は8つの島々環礁によって構成されており、その延長は距離 2,400 km(1500 マイル)にわたって伸びている。諸島のうち、8つの大きな島は"主要な島々(main islands)"と考えられていて諸島の南東部に位置している。これらの島々は北西部から南東部順に、ニイハウ島カウアイ島オアフ島モロカイ島ラナイ島マウイ島カホオラウェ島並びにハワイ島である。

ハワイ諸島の島々は、海底火山によってつくられた。現在ハワイ島がある地点には、ホットスポットと呼ばれる火山活動の一つが太古から存在する。これはマントルの活動の結果として太平洋プレートよりも深い地中の一定の場所に存在し続け、直上の海底に向けて噴火活動を繰り返している。太平洋プレートは太平洋の中央海嶺である東太平洋海膨から日本列島千島列島の方へ向けて移動し続けているため、太平洋プレート上(=海上)から見ると「かつてホットスポットの直上に出来たが、太平洋プレートの移動に連れて位置がずれて活動が停止した火山島」が北西へ向けて列をなしているのがわかる。北西に移動するにつれ、海底に沈みこみハワイ海山群及び天皇海山群となり、カムチャツカ半島の根元に至る。その海山と島の列の、最も新しい島々が、ハワイ諸島である。

交通

陸上

  • 主要な州間高速道路オアフ島のみにH-1、H-2、H-3、及び2005年より州道78号線(通称:Moanalua Freeway)が高速道路に昇格してH-201となり、合計4路線となった。
  • 公共交通機関は、オアフ島ほぼ全域をカバーするThe Busがあるほか、本数は少ないが、マウイ島ハワイ島カウアイ島の一部にコミュニティバス路線が存在している。
  • 鉄道はオアフ島の非営利団体・ハワイ鉄道協会の運行する鉄道(エヴァ~カヘ・ポイント)やマウイ島のさとうきび列車(Sugarcane Train)など、観光用にわずかに残されているのみで、公共交通機関としての用はなしていない。オアフ島の西部が新興住宅地として急速に発展してきているのに対して、州間高速道路やバスのみでは慢性的な渋滞を引き起こしていることから、以前からモノレールを敷設する計画はあるものの、資金等の問題があり実現の目処は立っていないのが現状である。

航空

定期民間旅客便が就航している州内の空港(特記しない限りハワイアン航空go!の定期便が就航)

船舶

2007年より、カウアイ島、オアフ島、マウイ島、ハワイ島の4島間を結ぶハワイ・スーパーフェリーが就航予定となっている。ただし、モロカイ島には通勤専用のフェリーが運行していた。

国立公園

国立公園局(National Park Service)の管理及び保護下に置かれている地域は:

人口動勢

人口推移
国勢調査 人口  %±
1900年 154,001人 -
1910年 191,874人 24.6%
1920年 255,881人 33.4%
1930年 368,300人 43.9%
1940年 422,770人 14.8%
1950年 499,794人 18.2%
1960年 632,772人 26.6%
1970年 769,913人 21.7%
1980年 964,691人 25.3%
1990年 1,108,229人 14.9%
2000年 1,211,537人 9.3%

2005年現在、ハワイ州は前年より、13,070人、または1.0%増加し2000年より、63,657人、または5.3%増加した、人口1,275,194人と見込まれている。これは48,111人(出生96,028人、死亡47,917人)と前回の国勢調査からの自然増並びに州内への移住者16,956人の増加が含まれる。アメリカ合衆国外からの移住は30,068人増加する事となり、合衆国内部の移住者は13,112人減少する事になる。ハワイ州の人口重心(Center of population)はオアフ島及びモロカイ島間となっている[1]

民族構成

日系アメリカ人

アジア系の住民のなかでも特に日系人が多く、出身国(民族)別では最多である。その影響もあってか、他の49州と異なり、仏教徒の比率が高く、寺院神社も州内各所に点在する。また、オアフ島北東地域には、人口は少ないがモルモン教信者のコミュニティも存在する。

最初の日系移民は1885年2月9日にハワイに到着した。現在日系人は1世から5世までいるといわれている。3世以降の日系人の殆どは日本語が話せないが、単語のみを知っていることが多い。

また、ハワイは日本人にとって人気の観光地であり、旅行会社などハワイ在住の日本人駐在員も多く、その数は約2万人と言われている(実際はもっといると思われる)。日本にとって馴染み深い州であり、ワイキキ周辺では日本語もかなり通じる。一般的にアメリカ国内の公的な場所での表記は英語、ついでスペイン語であるが、ワイキキ周辺では英語についで日本語となっている。ワイキキ周辺では、日系人以外でも日本語を理解できるものが多い。しかし聞き取りはできても話せないか、話せても(上手ではないから)使いたがらないという者も多い。ネイバー・アイランドと呼ばれる、オアフ以外の島では、都市部の日系人コミュニティを除き、日本語は殆ど通じないと考えた方が良い。

ハワイ先住民

純粋な先住ハワイアン(Native Hawaiians)は現在かなり減少している。先住ハワイアンと言われる民族は、約10万人程度である。しかし、これらの人々の中でも純血と言える人は稀である。現在広く用いられているのは、1920年に成立した「ハワイ人住宅寄託法」で示された「キャプテン・クック来航以前にこの島々に住んでいた人々の血を50%以上引いていること」という定義である。

ちなみに、ハワイの伝統的な私立学校であるカメハメハ・スクールズは、先住ハワイアンの血を引く者のみしか入学できないというのが条件である。ただしこの入学規定は2005年9月の連邦巡回控訴裁判所において違法との判決を受け、現在も係争中である[3]

この背景として、カメハメハ・スクールズはカメハメハ1世の直系の子孫であるバーニス・パウアヒ・ビショップが、遺言によって設立した私立学校であり、公的な助成金を一切受けておらず、また彼女の遺言によって先住ハワイアンの教育を旨とすべきことが示されているという歴史がある。

カメハメハ・スクールズは2006年11月には上級審で逆転勝訴したが、敗訴した白人少年側は「カメハメハ・スクールズが入学を許可しなかったことで生じた学習の遅れに対する損害賠償」を求めて反訴する意志を示していると伝えられる。

ポリネシア人である彼らが伝統的に用いた言語がオーストロネシア語族に属するハワイ語である。英語とともに公用語であるが、母語とする話者は少ない。

政治と法律

州知事はリンダ・リングル2002年 - )。ハワイが州となって以来40年以上民主党系知事が続いたが、初の共和党知事、また、初の女性知事となった。

住民構成は、アジア系住民が多い州である。内訳は、日系約20万人、フィリピン系約17万人などとなっている。そのため、州議会にもその住民構成は反映され、日系移民も多く活躍している。

法律面では、州法で人種差別を禁止しており、アメリカの中でもアジア系を含めた非白人系の移民が多いことが窺い知れる。また、自然保護に関する法律は多いが、それを現実のものとするための資金が不足しているのも事実である。以前よりカジノ構想が議会で持ち上がり、資金不足の解消を試みるが、何度も可決されずに終わっている。現在の州法では一切のギャンブルが禁止されており、宝くじも販売されていない。そのためか、ハワイ州民の観光旅行先としてラスベガスは常に一番人気である。

地方行政

ハワイ州には次の5郡が置かれている。

祝日

現在アメリカ合衆国の版図となっている地域では唯一、西洋人にも認知された王朝が成立していたこと、また現在の50州の中で最後に立州されたことという歴史的背景もあり、連邦政府が定める祝日(アメリカ合衆国祝日の項目参照)とは別に、下記の祝日が州独自に定められている。

  • クヒオ王子誕生日(Prince Kuhio Jonah Kalanianaole Day) - 通称クヒオ・デー(3月26日
  • グッド・フライデー(Good Friday) - (イースター
  • カメハメハ一世誕生日(King Kamehameha I Day) - 通称カメハメハ・デー(6月11日
  • 合衆国編入記念日(Admission(Statehood) Day) - 通称アドミッション(ステートフッド)・デー(8月第3金曜)

なお、アドミッション・デーが祝日とされる代わりに、連邦の祝日であるコロンブス・デー(10月第2月曜)を、ハワイ州政府では祝日とみなしていない。

経済

主な会社など

かつてハワイ州の経済は「ビッグ・ファイブ」(Big Five)と呼ばれる、以下に挙げる大手砂糖会社を筆頭とする複合企業群によって支えられていた。これらの企業群は20世紀初頭に台頭し、1960年代に至るまでハワイ州の政治・経済を牛耳ってきた。しかし、1970年代に入り砂糖のプランテーションが次々に閉鎖されると、これらビッグ・ファイブの傘下にあった企業は他州の企業に買収・合併されていった。

また、以下の企業もハワイ州に本拠を置いている。

主な産業など

軍需、観光農業が3本柱であるが、農業についてはかつての隆盛からすると寂れたと言って過言ではない。但し、パイナップル生産については、かつてラナイ島単独で全米の生産量の90%、全世界生産量の75%を産出していたほどであり、ハワイ島のコナコーヒー(全米50州唯一のコーヒー産地)と並ぶ代表的産物である。

軍需については、州内に数多くの軍事基地を抱え、軍や関連産業による経済への影響は計り知れない。

観光については、年間7,379,635人、うちアメリカ国内からが5,255,098人、国外からは2,124,537人、そのうち日本からは年間1,522,356人(いずれも2005年。州政府統計)が訪れる、国際的観光地であり、軍需と並びハワイ州の経済の屋台骨と言っても過言ではない。

離島であり、工業製品のほとんど、また燃料の全てを米本土からの輸入に頼る経済構造になっているため、平均物価は州単位では全米一高く、全米平均のおよそ1.5倍に相当する(2位はニュージャージー州の1.25倍)が、その一方で、平均年収は全米平均とほぼ同程度であるため、可処分所得は全米平均以下と言える。

教育

主要記事:Hawai'i Department of Education

大学・短期大学

芸術・文化

詳細はw:Culture of Hawaiiを参照

音楽

ハワイの音楽は伝統音楽やポップスなど豊かに発展してきた中、20世紀に創始された土着音楽として、ハワイアン・ポップスがある。この音楽はスティールギターや、西洋の機能和声など、本来のハワイの伝統音楽とは殆ど無関係であるが、現在ではハワイを代表する芸能の一つとして広く愛好されている。また古代から継承された芸能としてフラがある。多神教だった古代のハワイ人が祭祀として、またハワイアンは文字を持たないため、歴史の口頭伝承の一環として行っていた歌と踊りである。古代の形式に近いフラ・カヒコ(古典フラ)と、ハワイアン等の現代のポップ音楽を大幅に取り入れたフラ・アウアナ(現代フラ)に分けられる。フラ・アウアナはウクレレなどの演奏にあわせて踊られるが、フラ・カヒコにおいては歌あるいは太鼓などの打楽器のみを用いる。毎年4月には、ハワイ島のヒロで、「フラのオリンピック」とも呼ばれる競技会、メリー・モナーク・フェスティバル(Merry Monarch Festival)が行われる。

ハワイ独特の楽器として知られるウクレレは、19世紀ポルトガル移民が持ち込んだ楽器が原型と言われている。それにちなんでポルトガル人がハワイの移民局に移民登録を行った1879年8月23日にちなみ8月23日をウクレレの日と定めている。名前のウクとはノミ、レレとは跳ねるの意味である。

州歌は『ハワイ・ポノイ』。他に『ハワイ・アロハ』も広く愛されており、1976年に行われたホクレア号の最初のタヒチ航海では、出航の儀式でこの歌が歌われた。

アロハシャツ

アロハシャツの由来については諸説あるが、日系人が持ち込んだ和服の布地を転用したのが由来という説も有力である。なお、ハワイではアロハシャツは男性の正装とみなされ、州議会や公式の場でもアロハシャツ着用という姿をしばしば目にし、オフィス街であってもスーツ姿はさほど多くはない。ちなみに観光ガイドによれば、ハワイ内においてある程度格式あるレストランでも、アロハシャツ着用であれば正装として認められることが記されている(これは観光客がラフな服装でフォーマルな場所であるレストランで食事をすることを戒めた内容でもある)。

食文化

食文化については、白人以外の移民も極めて多い州らしく、各国からの移民が持ち込んだ多様な食文化が見られる。大皿に様々なオカズを並べて食べるミックスプレート(プレートランチ)は、プランテーション農業時代に、各地の移民が持ち寄った食べ物をみなで分け合った名残である。生魚の切り身を使ったポキと呼ばれる料理がハワイ名物として知られる他、「パシフィック・リム・クイジーヌ」と呼ばれる、フランス料理の技法や日本料理の技法をもとに地元の食材を調理した料理も考案され、人気を集めている。

特に人数の多かった日本人が持ち込んだ和食の影響は大きく、"Bento(弁当)" "Shoyu(醤油)" "Teriyaki(照り焼き)" "Musubi(むすび)"(おにぎりの意)など、日本語がそのまま現地語化したものも数多くある。ハワイに日本食が息づいていることは、終戦直後にララ物資を経由して、日本へ醤油や味噌が贈られたことからも伺い知れる。

近年では伝統的なポリネシアの食文化も健康の面から見直されており、ポイと呼ばれるタロイモのペーストがあちこちで売られている。

海洋文化

サーフィンはハワイが発祥の地とされており、古くはデューク・カハナモク、近年ではアンディ・アイアンズなどの名サーファーを輩出している。またハワイは1980年代以降、リモート・オセアニア海域各地で盛んになった航海カヌー文化復興運動でも主導的な役割を果たした。特に1975年に建造された航海カヌーホクレア」と、航法器具を一切使用しない推測航法技術を復活させたナイノア・トンプソンの活躍は広く知られている。

ロミロミ

古代ハワイアンの医療として発達、現代のリラクゼーションとしてアンティ・マーガレットがはじめて世に紹介したロミロミは世界的にも有名。

劇場

  • ハワイ・シアター

美術館・博物館

オーケストラなど

  • ホノルルシンフォニー

スポーツチーム

立地的に、4大プロスポーツ(NFLNBAMLBNHL)のチームが存在した事は一度もない。 但し毎年2月、NFLが、オールスターゲームに相当するプロボウルを、スーパーボウルの翌週にアロハ・スタジアムで行っている。

なおメジャースポーツではないが、NFLのオフシーズンに行われるアリーナフットボールのプロチーム、ハワイ・アイランダーズがある。

大学スポーツ界では、州内ではハワイ大学が最有力であり、全米ランク2位になった事のあるバレーボールチームや、全米ベスト25に入ったことのあるアメリカン・フットボールチームが有名である。

また以前、オアフ島北東部にあるブリガムヤング大学ハワイ校には、2004年日本人として初めてNBAでプレーした田臥勇太が在籍していた。

日本との関わり

日系人が多いこと、アメリカ国外からの観光客数国別1位であること、またかつては大相撲の力士(高見山大五郎小錦八十吉曙太郎武蔵丸光洋)を輩出したことなどもあり、経済的、文化的にも日本とのつながりは強い。また、KZOO・K-Japan(KORL)という在留者・旅行者向けのラジオ局、新聞「ハワイ報知」(静岡放送の子会社、読売系のスポーツ報知とは無関係)も存在する。テレビ放送はキクテレビで日本の番組が一部放送されるほか、地元のケーブルテレビを通じてNGN(Nippon Gorlden Network)を受信することでテレビジャパンをはじめとする日本の放送が視聴できる。

日本の特撮番組である『人造人間キカイダー』、『キカイダー01』は1973年にハワイで初放送されて以来、現在も大変な人気を持つ。2002年4月12日にはハワイ州知事によって4月12日が「ジェネレーション・キカイダーDAY」に制定され、2007年5月19日にはマウイ島市長によって5月19日が「キカイダー・ブラザーズDAY」に制定されるなど大きな話題となった。

かつては日本プロ野球チームのキャンプ地になる事も多かったが、現在州内でキャンプを行うチームはない。これに代わり、2005年には、JリーグJ2ザスパ草津横浜FCがキャンプを行った。

日本の姉妹都市

ハワイと日本の姉妹都市
日本 州内
福岡県 ハワイ州 1981年
沖縄県 ハワイ州 1985年
鳥取県湯梨浜町(旧:羽合町 ハワイ州 1996年
広島県 ハワイ州 1997年
愛媛県 ハワイ州 2003年
沖縄県名護市 ハワイ州ヒロ市 1986年
愛媛県宇和島市 ホノルル市 2004年
沖縄県那覇市 ホノルル市
広島県広島市 ホノルル市 1959年
東京都八丈島 マウイ島
東京都大島町 ヒロ(ハワイ島)
兵庫県洲本市 ハワイ郡 2000年
山口県大島郡周防大島町 カウアイ島(姉妹島) 1963年
滋賀県守山市 カウアイ島 1975年

その他

州の象徴など

  • 州の鳥 - ネネ
  • 州の木 - ククイ
  • 州の魚 - フムフム・ヌクヌク・アプアア(過去公認され、一旦非公認となっていたが、2006年再度州の魚として公認された)
  • 州のモットー - 「大地の生命は正義によって保持される」(ハワイ語:Ua mau ke ea o ka aina I ka pono)(英語:The life of the land is perpetuated in righteousness)

同州出身の有名人

フォトギャラリー

  1. ^ 先住ハワイアンの発音により近い表記として「ハワイイ(Hawai'i)」と表記することもある
  2. ^ プレートテクトニクスに伴う太平洋プレートの移動によるものとされる
  3. ^ この判決には先住ハワイアンのみならずハワイ社会全体から広範な反発が起きている。

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
政府
日本政府
観光



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