2009年02月04日

無題

 泡坂先生が亡くなられました。
 私にとって泡坂先生は、憧れの人でありました。精緻巧緻にして技に臭みがなく、あくまでも軽妙洒脱。奥行きはあるのにそれを自慢げに広げることがない。文章は上手く、読みやすい。なんとかその技を盗み取れないものかと、拙い筆を振りまわしてきました。
 泡坂作品と出会ったのは、創元推理文庫の『亜愛一郎』シリーズが最初でした。思えば幸せな邂逅をしたものです。とにかくどの短篇を取っても、趣向が凝らされた、一読忘れがたいものばかりでした。短篇集というとどうしても一篇か二篇は「まあ中にはこんなものもあるさ」と思ってしまうものが含まれがちですが、『亜愛一郎』にはそんなハズレがありません。あれも面白いこれも面白いと思ううちに三冊するっと呑み込んでしまいました。
 こうして読み返すと、特に好きな作品は二冊目『亜愛一郎の転倒』に多いことがわかります。逆説ミステリとはどんなものですかと尋ねられれば黙って差し出す「珠洲子の装い」、豪快な家屋消失ミステリにエンターテイメントをたっぷり振りかけた「砂蛾家の消失」、そうかと膝を打つと同時に作者のほくそ笑む顔が見えてくる「意外な遺骸」。抱腹絶倒のユーモラスな書き出しからシリーズ屈指の不可解状況に繋がる「病人に刃物」。一方の『狼狽』には「一日二行」の伝説で知られる暗号ミステリ「掘出された童話」があり、なによりシリーズを代表する傑作「ホロボの神」があります。「掌上の黄金仮面」の、驚き、納得し、そしてくすりと笑う真相もたいへん愉快でした。『逃亡』には「歯痛の思い出」、「球形の楽園」……。ああ、全部挙げた方が選ぶ手間がないぐらいです。
 ですがこれは始まりに過ぎませんでした。これはと思い、次に手に取ったのが、同じく創元推理文庫の『煙の殺意』です。これこそ傑作短篇集です。これに匹敵するものは、一冊か二冊、首を傾げながら指を折れるだけです。それこそ全部いいので余分なことを言うつもりはありませんが、「椛山訪雪図」は私のミステリの読み方を変えました。こんな美しいミステリは見たことがなかった。美しさがミステリになるとは思っていなかった。蒙を啓かれた思いでした。実際、これを読んでから『亜愛一郎』に戻ると、初読では面白いとだけ思っていた「藁の猫」や「赤の賛歌」が、まばゆいような輝きをもって見えたものでした。これこそ、「読み方が変わった」ということでしょう。いまでは、人に「『亜愛一郎』で何が好きですか」と問われたら「藁の猫」だと答えています。
 そうして私は、泡坂妻夫の世界にのめり込んでいきました。
 まず手を伸ばしたのは、当然ではありますが、創元推理文庫に入っていたものでした。現在と過去、そしてそれだけでなく色々なものが入れ替わり立ち替わる、ゆらめきのような『湖底のまつり』。余人には書き得ないショートショートをさらに長篇ミステリでパッケージングした『11枚のとらんぷ』は、マジシャン厚川昌男ならではの逸品でした。読書をガイドしてくれる知り合いなど一人もいない中、真打ちを最後に読むことができたのは、やはり幸運だったと言うべきでしょう。『乱れからくり』、本当に贅沢な小説でした。大切な証人を追う女探偵(中年を過ぎ、太っています)。目の前まで追いついた証人に、突然の死が訪れる。――空から落ちてきた隕石によって。空前絶後の開幕です。「おもちゃ」「からくり」が横溢するこの作品の章題もまた、すべて「おもちゃ」「からくり」。立て続けの殺人の真相を追い、どうやら存在しているらしい隠し財宝を追い、愛した女を追い、からくりの歴史を石川県まで、そして江戸時代まで追っていく。隠し通路も、迷宮も、密室殺人も! そんな遊び心に満ちた作りでありながら、泡坂妻夫の筆はいささかもおちゃらけることがありません。隙がない。これは日本推理作家協会賞の受賞作なのですが、そりゃあそうだ、と思ったことを憶えています。
 隙がないというだけでは言葉が足りません。泡坂作品は、下品にならないのです。気張ったところはない、むしろ自然に力が抜けている。でも気品は失わない。濃密なエロスを扱った作品でも下卑たものに堕すおそれがまったくない。たとえば『黒き舞楽』です(扶桑社の「昭和ミステリ秘宝」のおかげで、『斜光』『黒き舞楽』がいっぺんに読め、「かげろう飛車」という記録的な作品まで読めました。思いがけないご褒美をもらったような気分でした)。遊びに興じ、ふざけることもあるかもしれませんが、決してだらしなくはならない。綺麗に遊ぶという感じがします。これが粋というものなのかなと、山だしの私は漠然と感じていました。それはたぶん、当たっていたのです。
 泡坂妻夫は推理作家協会賞受賞作家で、直木賞受賞作家でもあります。厚川昌男はマジシャンとして「厚川昌男賞」があるほどの人物であり、同時に紋章上絵師という職人でもあります。凄い人です。直木賞受賞作は短篇「蔭桔梗」で、同じ題名の短篇集に入っています。これを読むと、泡坂妻夫の作品に満ちる気品の出所がわかる気がします。よく優れた作家に対し「職人」と言うことがあります。「本当の職人」「名工」という言い方もします。が、泡坂妻夫は本当に、本当の職人なのです。呉服に家紋を入れる仕事をなさっていました。だから泡坂作品は職人気質なのだ、などと短絡的なことを言う気はありません。しかし、だから泡坂作品は粋なのだ、と、ある日すとんと腑に落ちたことはありました。この『蔭桔梗』にはそれを感じさせる作品が多く含まれています。「簪」では柄にもなく落涙しましたが、この短篇集にも「竜田川」のような作品が含まれているのが、油断ならないところです。
 長くなりましたが、まだ到底書き足りていません。『ヨギ・ガンジー』シリーズにも『喜劇悲喜劇』にも、『奇術探偵 曾我佳城全集』にも、こよなく愛する『妖女のねむり』にも、まだ触れていない。しかしそれらについては、後日にしましょう。お会いする機会があったにもかかわらず、つまらない義理立てでその機を逸した無念についても。
 いまはただ、先生のご冥福をお祈りするのが先だと、そう思うのです。
 私は泡坂先生のおかげで、こうして仕事を覚えることができました。まだまずいものではありますが、先生の作品に学び、いっそう勉強していきます。
 泡坂先生。ありがとうございました。


(追記)
 お送りしてきました。
 いつまでも晒しておく類の文章ではないように思いますので、消すことにします。
 いきなり消しては驚く方もいらっしゃるでしょうから、月曜日一杯までは載せておきます。

 ここに公開すべきものなのかわかりません。これで書き上がったという気もしていません。ただじっとはしていられず、アップロードしました。
 ですので後ほど加筆すると思いますし、消してしまうような気もしています。ご了承ください。
posted by 米澤穂信 at 17:32| 近況報告