広島市街地に残る被爆建物「広島大旧理学部1号館」の保存計画が暗礁に乗り上げている。教育施設として活用する予定だったが、世界的な不況の影響で、東広島市に移転した広島大本部キャンパス跡地の再開発を手がける業者が相次いで撤退したためだ。建物は老朽化が深刻で、市民団体などは「行政が平和の拠点としての整備を」と訴えている。【宇城昇、井上梢】
旧1号館は鉄筋コンクリート3階建て延べ約8300平方メートルで、被爆建物では最大規模。1931年、大理石の玄関などはネオルネサンス様式を採用し、旧広島文理科大学本館として完成。爆心地の南東約1・4キロにあり、外壁を残して全焼したが、応急補修で46年秋に使用を再開した。
被爆後に手探りで逃げる負傷者が付けた血痕の残る壁面が58年に切り取って広島大理学部に保存されるなど、戦後の歴史と広島の復興を見守ってきた。
国立大学財務・経営センターが所有する跡地約4・7ヘクタールの中にあり、一帯は「知の拠点」をコンセプトに人材育成センターや高層住宅棟などを建設し、旧1号館は外観を残して補強し、教育機関を誘致する予定だった。
ところが、計画の中心だった広島市の不動産会社「アーバンコーポレイション」が昨年8月、民事再生法適用を申請して経営破綻(はたん)。名乗りを上げた別の業者も同12月、「受注できる経済環境にない」と撤退を決めた。
広島市は跡地利用について「土地取得も含めて再検討する」としているが、めどは立っていない。49年に広島文理科大に入学し、旧1号館の一室で被爆した子どもの体験記集「原爆の子」の編集に携わった「原爆遺跡保存運動懇談会」副座長の楠忠之さん(84)は「建物は復興した広島の学問の拠点。景気に左右される民間業者主導ではなく、公的機関の責任による保存が望ましい」と話している。
2009年1月13日