2009年2月4日(水)
鏡の向こう
このブログの主題は2009年1月29日の【花風社 浅見淳子】にあります。お仲間に是非こんな話があると電話を入れて下さい。
私の妻は、今は目が悪くなったが、目はずっと1.5だったらしい。
しかし、その行動、様子を観察していて、
実は子供の頃から「立体視」をしていなかったんじゃないかという結論に達した。
人は、二つの目玉が正面を向き、そのおかげで、物の立体が分かるというのが定説である。
にもかかわらず、車との距離感が掴めず危険だったり、テーブルの上の物をひっくり返したり、注意欠陥だけで割り切れない行動が多いのだ。
立体視が出来なければ、現実の立体の世界と、鏡に写った平面の世界の区別はそれ程大きい物では無い。
妻は鏡が大好きだそうだ。
向こうを覗くと必ずこちらを向く何かが居る。その何かは非常に懐かしい感じで、いつもこちらを向いている。
妻にとって友達は、鏡の向こうでいつもこちらを向いている、懐かしい存在だけだったのかなぁと述懐するのだ。
んーー と思った人も思わない人もリンクの最後の行をポチットね。
息子も視力は良いのですが、机の上においてあるものを探せなかったり、どういう見え方してるの?って思うことがあります。
レストランの壁の絵を迷路に見立てて、あそこがスタートでゴールはここと言ったり。くるくる回転するものを見ながら、何度も瞬きをして、止まって見えると言ったり、私とは違う形で見てる、見るを楽しむ?でも普通に見えやすいものは見てない、見え方の不思議を思います。
聞こえ方もそうですね、机の上から缶のペンケースが落ちても気がつかなかったり、かと思えばすごく小さい音が聞こえてたり、どうなってるの〜って思います。
私もいつも机の上にあるはずの道具が消えるので本当に困る。
さらに、引き出しに入るとそれが倍増する。
詳しくは2007年3/24日ブログに。今度は年号を間違わないぞ。
大変興味深いです。
アルツハイマーなどの認知症では、視覚の奥行き知覚が浅くなることが知られていて、
このことを利用した早期発見への研究が進められているそうです。
現実の三次元(立体)像→網膜上の輝度と色彩による二次元像→脳内での三次元(立体)像の再構築
結局は脳の中で起こっています。
自閉症の脳における認知不全により立体視が出来なくなっていることは推察出来ると考えます。
事務所の仕事と自分の仕事が大変な時、腰や背中が痛かったので
カイロプラクティックにいっていたのですがその時にみつかった
のが「盲点が異常に大きい」でした。人間の目と目はある程度
離れてついているので二つの視線が重ならない部分というのが
必ずあるそうです。
私がよくモノにぶつかったり、手から離したモノが一瞬で
消えたりする理由が解りました。
盲点の存在はなかなか意識出来ないが、私は釣りをしているときに突然浮きが消えることで、盲点の存在を意識出来た。
その不思議な感覚は、魚が釣れる事と共に、浮きが突然消える感覚も楽しみの一つになった。
物陰に隠れた物を見つけだす事が出来ない、物をどけてみるという行動に繋がらないと、物を見つけだす事が出来ない。
さらに盲点の存在があると、目が同じ所を右往左往すると、当然同じ所に盲点があるのだから、物が盲点にぴったりはまりこんで見えなくなると言う話は、
非常に頷ける話だ。面白い。
私も今は視力が低いですが、子供の頃は2.0ありました。
子供の頃からよく物をなくします。
さっきまでそこにあったはずのものが突然消えてしまうように感じます。
自分にも盲点があるのかもしれません。
息子もよく、目の前にある物を「ない」と探すことがあります。
なぜかはわかりませんが、線より曲線が優先的に目に飛び込んでくるので、遠近感がとらえにくいです。
壁より壁の木目や模様が浮いて見えるので、物としての境目が沈んでしまい、ぶつからずに歩くのにかなり集中力がいります。
人に対しても同じくで、相手の服の模様やしわが優先的に目に飛び込んでしまい、全身を把握するのが難しくなることがあります。
巻き髪などは最たるもので、頭では失礼だとわかっていても、目が外せなくなります。
壁の模様で迷路、よくやってました。
今でも待ちの場面になると壁や床の模様ばかり見ている気がします。
鏡について、答えをありがとうございます。
答えやすい質問を考えていて、分からなくなったことがあります。
「本当の話」とは?字義通りに考えようとして分からなくなりました。
私は「定型者にとって本当の話」は書けません。
なぜなら円柱を見て「円だ」と言ったり「長方形だ」と言ったり見方によって違うものになるからです。
事象ではなく人や心の上ではなおさら、立場や環境で「どちらも正しい」はありえます。
(例:家庭人にとって家事・家族を優先するのが良しとされ、仕事人にとって仕事を優先するのが良しとされる)
なぜ「Chipさんにとって本当の話」ではなく「アスペルガー症候群 これが本当の話」なのでしょうか?
<続きます>
後、SAMもはっきり理解してない上での質問で申し訳ないんですが、SAMと擬似SAMの違いは何ですか?
低年齢のうちから他者に「自分の状態をモニターされる」ことを通して自分の状態を知ったとして、
無意識なほど低年齢で取得した高度な擬似SAMとSAMの違いってどこにあるんでしょうか?
(例:定型の人でも使う「人から言われて初めて気付いた」は擬似SAM?)
鏡においての書き込みを読んでいて、「他者からの指摘」が気づきのきっかけになっているケースが多いように感じました。
2007年の6月のブログと、都通研の講演(ホームページ)を先に良く読んでおいて下さい。
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