悠仁親王(ひさひとしんのう、ひさひとのみこ、2006年(平成18年)9月6日 - )は、日本の皇族。秋篠宮文仁親王・同妃紀子の第3子で長男。今上天皇の孫。眞子内親王・佳子内親王の弟。現在、皇位継承順第3位であり、今上天皇の孫の世代では唯一の皇位継承権者である。
身位は親王。お印は高野槇。皇室典範における敬称は殿下。宮家の所生であるため「○宮」の称号はない報道などでは「秋篠宮悠仁」の表記も見られるが、公式には宮家の当主ではないため「秋篠宮」の宮号は冠せず「悠仁親王」と称するのが正しい。宮家の嫡男を呼ぶ際のかつての慣例にしたがえば「秋篠若宮悠仁親王」と称される(若宮を参照)ことになるが、現在では皇室制度に詳しい人々の間でもこの呼称はほとんど用いられない。。
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悠仁親王は日本の皇族としては初めて帝王切開により誕生した。秋篠宮家にとっては佳子内親王以来12年ぶりの子女の誕生、皇室にとっては父である秋篠宮文仁親王以来実に41年ぶりの男子誕生となった。
誕生の前年である2005年(平成17年)には皇族男子の不足から皇位継承問題が発生していたこともあり、親王の誕生は国民的な奉祝をもって迎えられた。各地で提灯行列、明治神宮をはじめとする各地の神社での神輿の奉納など祝賀行事が行われた。一宮家の所生であるため、宮内庁は誕生を祝うための記帳所などは設けなかった。だが、地方自治体や寺社などでは独自に記帳所を設けたところも存在し、多くの国民が記帳を行った。
また、誕生のニュースは海外のメディアも速報で伝えた。誕生時には、インドネシアのユドヨノ大統領など21か国の元首から天皇・皇后へ、31か国の元首から天皇へ、それぞれ皇孫誕生の祝電が寄せられた官報本紙皇室事項欄(平成18年(2006年)11月10日付及び同年12月13日付)なお、官報の皇室事項欄で「皇孫殿下御誕生につき御祝電云々」とあるので、ここは「親王」でなく「皇孫」が正確である。。
愛育病院からの退院時には沿道に約300人が集まり、日の丸の小旗を振る、ペットボトルをリサイクルして作った手製の提灯を振るなどして、紀子妃と悠仁親王の退院を祝った。警視庁は9月15日午前から機動隊など計1,200人態勢で警備に当たった産経新聞平成18年(2006年)9月10日号。また、青森の地方新聞社である東奥日報によると、沿道の観衆は1800人であったとする説もある東奥日報平成18年(2006年)9月15日付「皇室特集」。
「悠仁」という名前には、「ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んでいくように」との願いが込められている宮内庁発表。父である文仁親王など家族からは「悠ちゃん(ゆうちゃん)」「ユージン」の愛称で呼ばれているという。
お印が高野槇と決まった後、高野槇を市の花とする岐阜県中津川市の中津川観光協会が高野槇の写真入のパンフレット用紙袋を製作した。また、高野槇の名の由来でもある高野山のアクセス手段である南海電気鉄道では、記念として難波駅で高野槇1000本を無料配布した。
この他、さいたま市、四国中央市などの市町村や、出雲大社、北野天満宮、善光寺など全国各地の寺社でも記帳所が設けられた。
cite news
| title = Japan princess gives birth to boy
| work = BBCニュース
| date = 2006年9月6日
| url = http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/5316266.stm
| accessdate = 2007年8月25日
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