2009年02月05日

フィルター制度の導入を

私は日本のブログに疎く、2チャンネル(?)があるということも知りませんでした。今でも不可解なことが多いのですが、「ブログの炎上」や「自作自演」という現象があることも学びました。

今回のような悪質なデマ(tennisnakamaがコメントの自作自演をして、意見を操作する)を吹聴する行為は、 覆面をしていて正体が知れないのですから、まさに言論テロリストです。

このような行為が許される背景に、「言論の自由」の基本原則の欠如があると思います。この問題は、私のスポーツブログのコアの問題でもありますので素通りできないのです。

コメント者の名前は、選択が自由で、管理者がIDを求めないことから、コメント者のネームを無断使用することもできます。例えばAさんのコメント者の意見が気にいらなかったとします。Aの名前で「最近の私は、借金に追われて少しノイローゼ気味なのです。」とデマを書くこともできるのです。管理者としては、どのAが本当のAであるのか分かりません。事実、私のブログで多くの「通りすがり」さんが登場し、混乱してしまいました。

ではこの現象は果たして海外でも起こっているのでしょうか?(ここで「海外」というのは、英語圏のブログを指します。)

私のブログの記事の準備は、まず海外の情報を得るために、毎日約20~30くらいのメディアから情報を選ぶことから始まります。全部の記事は読めませんので、まずヘッドラインから選んでいきます。そこで5記事くらいに絞りじっくり読みます。それに加えて、影響力のある個人のブログを約10くらい目を通します。それから書きたいテーマを決めてリサーチにかかります。(これだけで相当の時間がかかるので、日本のブログまでなかなか目がとどいておりません。)

記事に寄せられるコメントもできるだけ読むようにしています。ときどきtennisnakamaの名で投稿もしています。特に錦織選手に関するテーマであれば、できるだけ彼を理解してもらえるようコメントを残すようにしています。特に興味深い問題に関しては、さらに多くの記事を読み、そこに寄せられるコメントに目を通します。例えば全豪の暴力事件に関する選手の発言については、通常の記事の数倍以上の時間を費やしてリサーチします。今回はジョコヴィッチの公式ブログのメンバーとなって、自分の意見を発表しました。

このように海外のいろんなスポーツブログのコメントを読みコメントも残しているわけですが、言論テロリスの行為は耳にしたことがありません。激しい議論や感情論はありますが、私のブログにくるような、悪質な嫌がらせのコメントや、事実無根のデマを広めるようなコメントは見たことがありません。実際あるのかもしれませんが、社会問題にまで発展することは(2チャンネルで発生するような)スポーツブログでは耳にしません。(ただしマイスペースなどのソーシャルネットワークでは、そのような事件が起こり、自殺者を生んだことはありますが。)

社会が「言論の自由」を享受するためには、「発言には責任が伴うという根本的な原則」が前提となります。

(1)ブログ管理者の判断で不適当と思われるコメントを削除する権利と責任。
これは日本のブログもやっています。

(2)登録制を取り入れ、コメント者を管理する責任。
海外ではメジャーなブログは会員にならなければコメントできないところがほとんどです。会員になるためには、氏名、コメント名、メールアドレスなどを記入する必要があります。登録制をとらないブログでもメールアドレスを記入しなければコメントは残せないようになっています。私の閲覧するブログのなかで、メールアドレスなしでコメントを投稿できるブログはありません。しかし投稿者のメールアドレスは一般に公開されるのではなく、ブログ管理者のみが把握する情報として管理されます。

このフィルター制度によって、自分の正体がバレてしまうので、テロ行為はかなり防ぐことができます。この制度のおかげで、ブログ社会はテロのアタックを恐れることなく発言ができるのです。

日本の主なブログをリサーチしてみましたが、ほとんどのブログはメールアドレスを必要とせず、コメント者は言いたい放題が許されています。その理由は?

ここで2チャンネルの西村氏の見解を、Japan Media Reviewが掲載しています。英語版ですので要約してみました。
http://www.ojr.org/japan/internet/1061505583.php

「ニュースを伝えるにはリスクをともなう。真の討論ができるのは、お互い相手を知らないという無記名の条件が必要だ。もし記事が退屈な内容であれば、退屈だといえるのは無記名でしかありえない。この無記名のシステムによって情報は平等に扱われ、正確な議論が機能を果たすことになる。」

西村氏は論点は「言論の自由」をはきちがえています。正確な情報であるかデマであるのか、どこでチェックできるのでしょう? 無記名で書き逃げができ、言いたい放題が許される討論は、それが真の討論と呼べるでしょうか。ここに欠如するのはaccountability つまり自分の発言には責任が伴うという大原則です。

ブログは一つのコミュニティーです。健全なコミュニティーを促進するために、治安を脅かす悪質な行動には、敢然と戦っていく姿勢が必要だと思います。自由に責任ある発言ができる環境をつくるためには、まずコメントシステムの早急な対策が必要だと思います。

とりあえず、私はこの問題についてtennis365とスポーツナビに、フィルターを設けるシステム改善を提案してみたいと思っています。

by tennisnakama

posted by tennisnakama |00:21 | テニスの話 | コメント(3) | トラックバック(0)
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フィルター制度の導入を

テキニタ親父さんが誰のことを言ってるのか推測しかできいないし、正確なことは分からないけど
あなたの名前を出してるわけではないし、それを言論テロって大袈裟すぎません?

それ以外にも、誤解してそうな部分があるので突っ込みますが
ブログと2ちゃんねる(掲示板)は全然違いますよ
2ちゃんねるで、書き逃げができるとか、真偽が正確ではないとか、発言に責任が無いとか、みんな知ってることですし、それを前提に参加してますし
別にそんな場所があってもいいんじゃないですか?
正確には、ログインしないといけないので酷い場合は通報できるし、情報の真偽とかは個人的に調べられるし
って言うか今回のことと関係あるの?
西村の発言も関係ないし、それを日本の一般的なブログの管理人の見識のように書くのも違うでしょ?

それに情報の真偽は不明ななことや書き逃げができるのは、ブログ(管理人)も同じだし

ブログに関しては、個人的に色々とやれる事をやればいいんじゃないですか?
個人情報が無くても書けるようにしてる人が多いけど、それは本人の自由なんですし
それが嫌な人はメールアドレスなどを記載しないと書けないところでブログを書くとか
日本のどのブログを見てきたのか知らないけど、日本でも個人情報を記載しないと参加できないところは多いですよ




posted by おーい | 2009-02-05 02:07

フィルター制度の導入を

失礼ながら「言論の自由」と「健全な議論が行われるための条件」の区別が曖昧なためご指摘いたします。
「言論の自由」とは自身の考えを何の検閲や圧力を受けることなく表明する自由のことです。
これは人権であり民主主義国家の誰もが持っている、何を言ってもいい権利です。もちろん誹謗中傷も含まれます。
それを制御できる(1)の権利の所在は「言論の自由」の原則とはかけ離れたことです。

tennisnakama様が求めていらっしゃるのは「健全な議論が行われるための条件」のほうだと思います。
これには貴方の仰るとおり「発言には責任が伴うこと」による個人の理性、すなわちマナーが必要です。
発言内容が個人に帰属するので発言には慎重にならざるを得ません。
ただし、こちらのほうでも(1)のような権利を持てばtennisnakama様自身は他の方とは平等ではなくなるのです。

ブログである以上(1)の機能を有するのは必然のこと。
結論としてブログの形での自由な議論、というのは幻想に過ぎないと思います。

posted by エルク | 2009-02-05 02:10

フィルター制度の導入を

大事なことを言い忘れていました。

(1)の権利を有する人が存在する中での議論において「言論の自由」を行使できるのはただ1人、その権利の持ち主だけです。
理由は先ほど述べましたように他の方は検閲を受け、tennisnakama様のみがそれを逃れられるからです。

tennisnakama様ご自身がそのような恣意的な使用をしないと誓われても、
恣意的な使用が行われたかどうかを証明する手段がない以上100%信用することは誰もできないでしょう。

(1)の権利を必須と仰りつつ「言論の自由」を訴えることは
自分のみ言論の自由が保障された中での議論がしたいのかと悪意を持って捉えられかねません。
お気をつけください。

posted by エルク | 2009-02-05 02:23

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