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【断 藤本憲一】自転車「哀しきフラヌール」

2009.2.4 03:12
このニュースのトピックスコラム・断

 疋田智『自転車の安全鉄則』(朝日新書)を読み、交通警察や道路行政の構造的欠陥を指摘する、氏の「自転車哲学」に共感した。

 ただ、日本独自の「自転車文化」本質論議については、同意できなかった。車に代わって高速・長距離移動可能なエコロジー・メディアたるべき自転車が、歩道をノロノロ蛇行する現状を嘆く氏の理想論だけでは、百年河清を俟(ま)つはめになる。

 その是非はともあれ、ズバリ、日本の自転車は、本質的に「モバイル・スツール(移動式の止まり木)」であり、「路上スクワッティング(居座り・占拠)装置」なのだから。

 自分の居場所を探し求めて、あらゆる公共空間に無理やり尖(とが)った鼻先を突っ込み、わずかに隙(すき)間をこじあけるや車体を梃子(てこ)にして、ただちに周囲に縄張・結界を築く、まさに「テリトリー・マシン(居場所機械)」。その点でケータイと等価な存在だ。それどころか、ケータイ・中食(おにぎりなどの携帯食)・自転車が組み合わさると、文字通り三位一体、最強(最凶?)の「人車ケータイ」ユニットが出来上がる。幸か不幸か、朝の通勤・通学をのぞけば、このユニットは、目的地へ急ぐより、家・学校・会社を結ぶ途上に「たたずむ」機能を果たしているのだ。

 かつてベンヤミンは、19世紀パリの都市遊歩者を「フラヌール」と呼んで、その文化価値を称揚した。が、現代日本の「遊歩自転車」は、常に路上を漂いつつも、心ここにあらず。魂が抜けたようにフラフラと、家・学校・会社の間を、あてなく遊弋(ゆうよく)・徘徊(はいかい)する宿命の「哀しきフラヌール」の末裔(まつえい)である。(メディア研究)

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