このブログは桜井淳水戸事務所と桜井淳カリフォルニア事務所の(1)業務内容(2)桜井淳個人情報(3)米国での活動内容(4)専門家養成のための学術セミナー開催案内等を掲載するHP代わりの硬いブログです。スタッフが交替で最新情報の更新や新項の追加をしています。 各項を順序よく読むと(a)事務所業務内容紹介(b)桜井所長学歴(c)哲学(d)著書(e)学術セミナー(f)米国での活動内容等、情報の価値が分かります。ここに記載した情報の信頼性は、他のいかなる組織・団体・文献・電子情報よりも、格段に高く、すべての判断基準になります。情報の信頼性については両事務所のスタッフがすべて責任を負います。著作権・情報のオリジナリティを確保するため、本ブログの内容のコピー・事実関係の引用・電子媒体へのリンク等は、すべて禁止します。不正行為を確認した場合には米国感覚で法的手続きを行います。事務所への連絡・メッセージは、各項の欄外のメールマークをクリックすれば、わかるように、アメーバ会員に手続きすれば、誰でも、自由にできます。ただし、送信者の身元は、サイバーエージェントによって管理されています。
私が神学について考えるようになったのは数年前からのことです。それまでは、単なる教養として、新約聖書の英語版や日本語版、それらの解説書を通読する程度でした(本欄バックナンバー参照)。特に、強い関心があったわけではなく、また、強い違和感や拒否感があったわけでもなく、ただ、仕事との関係で、他の専門分野を優先しただけです。しかし、いまになって、やっと、時間に余裕ができてきたため、必然的に、やり残した分野に目を向けただけです。作家の五木寛之先生は、一時期、執筆活動を中断し、龍谷大学に入学して、仏教の勉強をしましたが、執筆再開後から今日まで、特に、最近、寺院や仏教について、深く考察した内容の対談や著書を発表してきました。それらは、一般読者を相手にしている啓蒙書であるため、特に、難解な理論や哲学を展開しているわけではありません。しかし、それは、意識してのことであり、対談『神の発見』(本欄バックナンバー参照)を読むと、深い考察の中で得たいくつかの本質的な結論について、実に、ていねいに、分かりやすく、諭しています。それを読んで批判的に検討することは、誰にでもできますが、認識を著書としてまとめ、世の中に公表することは、なかなか、勇気がいり、困難に遭遇するものです。五木先生について言えることは、作品にもその精神が流れていますが、大変誠実で、真面目て、思慮深く、他人への思いやりが深く、社会への関心が高く、まさに、道徳や倫理の教科書のような人間のように思えます。私もやがて神学で著書がまとめられるように研究に励みたいと考えています。歴史を考察してみて、それは、現代社会に限ってもよいのですが、社会の構造や現象をどのような"座標軸"で整理できるかと言えば、その項目として、政治、経済、理学、工学、社会科学、哲学、神学(仏教も含む)・・・・・・等が考えられますが、神学をとおして社会を見ると、これまでの"光景"(社会認識と解してください)と異なった"光景"を目にすることができるようになります。そのように考えると、内村鑑三先生の「宗教とは人生に対するそのひと自身の解釈」という言葉は、実に、深い考察に基づくものであり、重く受け止めねばなりません。
このブログは、無味乾燥な業務中心のことばかりで、何の面白みもありませんが、それでも、毎日、わずかばかりのアクセスがあり、最近の記事更新は、"水戸"のスタッフ2名とボランティア外部協力者1名、"カリフォルニア"のスタッフ2名とボランティア外部協力者1名によってなされており、特に、"水戸"のボランティア外部協力者1名の貢献が大きく、桜井淳所長とスタッフ一同、感謝しており、特に、際立った貢献は、昔、桜井所長が大学・研究機関・原子力学会で実施した仕事内容やそれにからむエピソード等を正確にまとめていることで、桜井所長本人の視点や価値観ではなく、まったく異なった第三者に近い視点であるため、桜井所長は、辛辣な指摘に、ただただ、恐縮するばかりです。
R先生
私は、これまで、日本でも代表的な大学(東大)や研究機関(原研)の研究室に籍を置くか、あるいは、社会科学・科学史・哲学・神学(本欄バックナンバー参照)の研究室に必要に応じて立ち入ることがありましたが、その大部分は、理学の研究室か工学の研究室であって、社会科学、科学史、哲学、神学の研究室に出入りするようになったのは、還暦近くになってからであり(米国まで含めるともう10年早くなります)、社会科学の研究室の雰囲気は、理学や工学の研究室の雰囲気とは、大きく異なり、その原因は、部屋の配置と書籍の配置・整理法・大きさ・デザイン色彩にあることに気付き、社会科学、科学史、哲学、神学の中で、特に、これまで経験したことのない雰囲気は、東大の神学の研究室であり、大変重いものを感じ(多分に、研究者のセンスもあるでしょうが、書籍の大きさやデザイン色彩も大きな要因なように思えました)、身の引き締まる思いでしたが、その分野の原著論文等に目をとおして感じることは、問題提起や先行研究や結論の記載に特有の表現法を用いており、これまでの社会科学の研究にない不思議な重さを感じたものです。
桜井淳