「あとがき」のようなもの


『神は沈黙せず』批判 総合メニュー
『神は沈黙せず』批判(まえがき)
(1)南京論争登場
(2)否定論を理解しているか?
(3)本当に処刑されたのか?
(4)捕虜ハセヌ方針(東中野説)
(5)捕虜ハセヌ方針(南京戦史)
(6)トンデモ国際法
(7)便衣兵摘発の状況
(8)形勢不利なのはどっち?
(9)石射史料に虐殺の記述なし
(10)なぜ数が問題になるのか
(11)虚構の上に論を重ねた虐殺説
「あとがき」のようなもの


 『神は沈黙せず』山本弘著 角川書店
 P58−P64(順次抜粋)

 権威が失墜するのを見るのは楽しいものである。六〇歳の直木賞作家がこてん
ぱんに叩きのめされたのを見て、観戦していたネットウォッチヤーたちは大いに喜び、
「あくはと」に賞賛のメッセージを送った。

  しかし、本当のセンセーションはその後だった。バトルをウォッチしていた一人が
「自分が生まれる半世紀も前の事件」という箇所に疑問を抱き、「あくはと」に年齢と職
業を訊ねたのだ。彼が誇らしげにこう筈えた時、衝撃がネットを駆け抜けた。
 「私は1989年生まれ。19歳。中卒。職業は天地人さんと同じく、小説家です」

 六〇歳の先輩作家をやっつけた一九歳の少年「あくはと」が、加古沢黎という名であ
ることは、すぐに知れわたった。
 職業が小説蒙というのも本当だった。
(中略)
 まさに「天才」と呼ぶにふさわしい人物だった。


 とまぁ、南京に関連する部分はここのあたりで終わりです。
 山本ワールドの中で「あくはと」君は「天才と呼ぶにふさわしい人物」ということです。本稿を読み進めてくれた方はまた別の感想をもつことと思いますが、みなさまは「あくはと」君をどのように評価されたのでしょうか?



「あとがき」のようなもの

 
 
 


山本さんの手法
 インターネットの時代になって情報の共有化が進んだことは私があらためて論じるまでもなく、このページを読んでいるみなさまも感じていることでしょう。『神は沈黙せず』で描かれた南京論争において山本さんが使用した手法は、情報が入手し難い一昔前なら通用したのかもしれませんが、情報の共有化が進んだネットの時代には通用しなくなったものと言えます。
 今回山本さんが南京論争の部分で使用した手法は、都合の悪い情報は隠蔽し、自説に都合のよい情報だけを並べるというものです。具体的には否定論・真田を無知な人物に設定することで、否定論の正しい主張を隠蔽し、虐殺あった論に都合のいい史料だけを並べて、現実世界の否定論を論破したように見せかけたのです。
 こういった情報操作に対しては、隠蔽した情報を提示することで事足ります。ですから本稿は現実世界に存在する否定論の提示と、資料提示が主になっています。
 公正に否定論を紹介すると、「あくはと」君の主張では通用しないことを山本さんはおそらく知っていたのではないでしょうか。つまり、分かっていてあえて不公正な手法を用いたとのではないかと推測されるわけです。いち作家としてならなら許される手法ですが、「トンデモ認定」を商売として行っている「と学会」の会長として、トリックを駆使して誤情報を正しいものとして導くのは問題があるといえるのではないでしょうか?
 
 

ミステリー系直木賞作家ってどうよ?
 山本さんの設定では、否定論・真田はミステリー系直木賞作家ということです。60歳ということですからボケる年でもないでしょう。
 直木賞作家には司馬遼太郎みたいな大歴史作家もいますが、直木賞そのものは歴史論文・歴史文学に対して与えられる賞ではありません。直木賞はエンターテイメント小説、芥川賞は純文学を対象とした賞です。両賞とも本来は新人賞です(ただし直木賞は中堅も対象となっている)。どういった作家が直木賞を受賞しているのか、独断と偏見でわりと有名そうな方を抜粋してみました。

 井上ひさし(日本ペンクラブ会長)、志茂田景樹(昔は普通だった)、青島幸男(意地悪ばぁさん)、つかこうへい(劇団が有名)、高橋克彦(炎立つ、大河ドラマ原作)、伊集院静(前妻は夏目雅子)、なかにし礼(音楽活動のほうが有名)、大沢在昌(新宿鮫で一発逆転)、浅田次郎(元○○○)、宮部みゆき(売れすぎ)、桐野夏生(『OUT』がエドガー賞に日本人として初のノミネート)、京極夏彦(妖怪博士)、江國香織(平成15年下半期受賞)などなどです。


 受賞者にはミステリー系作家も多く、公募新人賞の最高峰と言われる江戸川乱歩賞→直木賞、あるいは日本推理作家協会賞→直木賞という超実力派黄金ルートも見かけます。もちろん江戸川乱歩賞→日本推理作家協会賞→直木賞という三冠ルートもありますが、直木賞は最初に候補になってから受賞までの道のりが長いのでなかなか取れません(協会賞も直木賞も応募形式ではなく主催団体が候補作をノミネートして審査する形式の賞です)。
 福井晴敏(『亡国のイージス』)、東野圭吾(『秘密』広末涼子主演で映画化)、真保裕一(『ホワイトアウト』織田祐二主演で映画化)といった作家の名前やら作品名を聞いたことがある方も多いでしょう。これらの作家は乱歩賞出身で直木賞の候にはなっていますが、まだ受賞はしていない方々です。

 井上ひさしは『吉里吉里人』で第二回日本SF大賞を受賞していますし、宮部みゆきは『蒲生邸事件』で第十八回日本SF大賞を受賞しています。その他の直木賞作も、作家を本業にしている方は複数の文学賞を受賞している方が多いです。私が調べた範囲では山本さんはSF作家ということですが、直木賞も日本SF大賞も受賞されていないようです。
 直木賞は、山本さんが設定したような否定論・真田というキャラクターのように、史料を調べることもせず、ネットで検索することもしないようなレベルの方がお気楽に受賞できるような賞ではないと言えます。自己完結型の純文学ならともかくミステリー作品には緻密な構成と論理的な思考能力が要求されるのです。
 無知でトンデモで史料検索もろくにできないようなミステリー系直木賞作家が存在して欲しいというのは山本さんの願望なのかもしれませんが、歴代直木賞作家のミステリー作品をある程度読んだことのある大人からすると、単なる設定ミスとしか見えないと思います。
 というよりも、山本さんも作家ならばこのあたりの事情は十分に理解されていることと思いますが、『神は沈黙せず』を読むと、なにかミステリー作家や直木賞作家にコンプレックスでもあるのではないかと感じてしまいます。



権威の失墜?
 以上のように、直木賞は確かに「権威ある賞」ですが、その権威は「小説」というジャンルにおける権威であって、作家の歴史観とは関係ありません。特定の思想を持つ作家に与えられる賞ではないのです。例えば、つかこうへい、井上ひさし、といった著名な左派思想の作家も受賞しています。
 ぶっちゃけ、直木賞作家の中にも「南京大虐殺あった派」がいるかと思いますが、そういった方を(仮にですが)私が論破したとしても、そのことで作家の権威が失墜するとは思いませんし、勝ったとも思いません。一般の方は南京関連の専門知識がないのが普通ですから、専門知識のない素人を捻ってもなんの自慢にもならないのです。プロ野球のホームラン王とテニスで勝負し完勝したとしても、テニスの腕がプロ級という証明にはなりませんし、プロ野球でホームラン王になれるわけでもないのです。これが世間一般に通用する大人の考え方です。
 直木賞作家を新人作家が歴史問題で論破しても、新人作家が直木賞レベルの実力を持っている証明にはなりません。アニメや漫画の知識について、中学生が直木賞作家の知識の間違いを指摘したとしても、その中学生に直木賞レベルの小説が書けるということにはなりません。直木賞作家より人格的に優れているということにもならないわけです。しかも山本さんの設定では、直木賞作家ではあるが「無知な人物」ということになっています。無知な素人を論破した程度では、歴史的知識が正しいかどうかも判断できません。相手が無知ゆえに間違いを指摘できない可能性があるからです。
 つまり作品中に一般レベルの否定論が登場しない以上、あくはと君の歴史知識のレベルは未知数であるという評価しかできないわけです。これに周囲が拍手喝采を浴びせるというのは、トンデモというよりも「子どもの論理」ということになるでしょう。大人が登場しない子供の世界を見ているような印象を受けます。
 


偏向している参考資料
 『神は沈黙せず』に登場した南京論争その他山本さんの記述を見る限り、山本さんが南京論争の争点を理解しているとは思えませんでした。これが私の率直な感想です。論点や争点を理解していない以上、関連書籍を30冊読もうが100冊読もうがあまり変わりはありません。
 いずれにしても、山本さんの自己申告で関連書籍を30冊以上読んだということであり、否定論をトンデモ扱いしていますので、専門知識があると豪語していることになるでしょう。私がざっと数えたところ日本語の南京関連書籍の主なものは20冊程度です。30冊も読めば肯定論からまぼろし説までかなり特殊なものも一通り読んだことになると思います。
 『神は沈黙せず』で参考資料にあげられているのものを整理してみます。
(1)一次資料、『ドイツ外交官の見た南京事件』、『南京事件の日々(ボートリン日記)』、『南京戦史(本編・資料集)三冊組』、『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち(幕府山事件史料集)』の6冊です。
(2)虐殺あった側研究、『南京難民区の百日(研究書)』、『目撃者の南京事件(研究書)』、『南京大虐殺否定論13のウソ(研究書)』、『新版 南京大虐殺(研究書)』、『新装版 天皇の軍隊と南京事件(研究書)』、『南京虐殺と日本軍(研究書)』の6冊です。
(3)否定論側研究、『南京戦史(本編)』、『「ザ・レイプ・オブ南京」の研究(研究書)』の2冊です。


 一応合計すると13冊になりますが、30冊には及びません。他の資料にも一応目を通しているが、参考資料にはあげなかったという可能性もありますが、それでも大きな問題があります。否定論側の研究書がほとんどないことです。
 『「ザ・レイプ・オブ南京」の研究』は、アイリスチャンが書いたトンデモ本に反論する研究書ですから、必要な部分にだけ反論している形になっています。つまり否定論全体の研究書としては不十分な内容となっているのです。すると、実質的に否定論側研究と呼べるのは『南京戦史』本編だけとなります。この状態では内容が偏向するのは当然と言えるでしょう。
 また、参考にした一次資料をみても重要な基礎資料が抜け落ちています。『南京事件資料集・アメリカ関係資料編』や、『日中戦争史資料集・英文関係資料』などです。本稿ではこの二つの資料集からいくつかの資料を掲載しています。史料そのものが作品中に示された山本さんの言説に対する反論となりうるからです。山本さんがこれらの基礎資料を意図的に見なかったことにしたのでしょうか。



「と学会」という鎖
 以上私の結論として言わせてもらえば、作品中であくはと君が名をあげるきっかけとして南京論争を持ち出したのは失敗だったと思います。現実世界の議論を無視して、否定論側の言説を隠蔽して、レベルの低い論争をでっち上げた時点ですでに失敗は確定していたと言えるでしょう。
 ひと昔前であれば、そして子供向け小説であれば、大人の目に触れることは少なく批判をされることもなく読者を騙すのは簡単でしたが、現在は小中学生でもインターネットに接続できる環境にある家庭が増えています。つまりウソや情報操作をしてもすぐにバレるのです。
 作家として作品の中で情報を操作して読者を洗脳するのは作者の自由ですが、しかしながら山本さんは、正しい知識を啓蒙する「と学会」という組織を商業化したことにより、そういったインチキができない状態に自らを追い込んでしまったわけです。
 「と学会」、あるいは山本さんも、オカルト的なものを批判対象としているうちはよかったと思いますが、政治的問題に関連する歴史問題について、トンデモ説を広められると、なまじ青少年に影響力があるだけに実害があると私は思いました。きっちりと史料を提示して批判するべきところは批判するというのが本稿の目的です。



『小説としての評価』
 内容とか題材はひとまず置いておくとして、ストーリー全体が子供の理屈で進行しているような印象をうけました。大人が最後まで読むのはちょっとキツイかなと思います。一般的な文学賞はもとより、日本SF大賞の過去の受賞作(小説)と比較しても、ちょっと受賞できるレベルにはないことはあきらかだと思いますが、そもそも客観的な評価を受けるのが目的ではなく、トンデモ本ファンに送る読者サービス的なオカルト・トンデモ・ダイジェストとしては成功しているのかも知れません。同人誌的な内輪受けする小説、ということができると思います。



この小説はいろいろな意味で山本弘先生の
モニュメントになると思います。

(了)



トップへ
トップへ
戻る
戻る