(8)形勢不利なのはどっち?


『神は沈黙せず』批判 総合メニュー
『神は沈黙せず』批判(まえがき)
(1)南京論争登場
(2)否定論を理解しているか?
(3)本当に処刑されたのか?
(4)捕虜ハセヌ方針(東中野説)
(5)捕虜ハセヌ方針(南京戦史)
(6)トンデモ国際法
(7)便衣兵摘発の状況
(8)形勢不利なのはどっち?
(9)石射史料に虐殺の記述なし
(10)なぜ数が問題になるのか
(11)虚構の上に論を重ねた虐殺説
「あとがき」のようなもの


 『神は沈黙せず』山本弘著 角川書店
 P58−P64(順次抜粋)

 形勢不利になった真田は話題をそらそうとした。議論の流れを無視し、教科問題、従軍慰安婦問題などを論じはじめたのだ。「あくはと」はそれには応じず、そんな話題は当面の議論とは関係がない、と一蹴した。真田は「議論から逃げるのか」と相手を非難したが、逃げているのは真田の方であるのは明らかだった。
 
 真田は捕虜の虐殺は認めたものの、日本兵が掠奪や暴行を繰り広げたというのはデマだ、と主張した。彼の信じるところ(例によって誰かの説の受け売りだったが)によれば、当時の南京市内で起きた殺人事件はたった三件だという。

 「あくはと」はただちに、日本兵の日記、証言、日本軍内部資料の中から、日本兵による放火・掠奪・強姦・一般市民殺害の例を大量にアップしてみせた。先の中島中将の日記にも、一二月一九日の箇所に、日本兵による掠奪行為の横行がはっきり記載されている。真田がそれでも信じようとしないので、「あくはと」はさらに、当時の南京に居合わせた連合キリスト教伝道団ミニ−・ヴォートリンの生々しい日記や、南京ドイツ大使館書記官ゲオルク・ローゼン、金陵大学教授マイナー・S・ベイツ、アメリカ人宣教師ジョン・G・マギー牧師らの報告もアップして、追い討ちをかけた(真田はヴォートリンの名すら知らなかった)。


 真田はそれでも頑固に、そんな報告はどれも信用できない、と主張した。だいたい兵士の犯罪行為は憲兵が取り締まるはずではないか。ごく一部の兵士が凶行に走っ
た可能性はあるが、例外中の例外であり、規律正しい天皇の軍隊が暴行や掠奪をするはずがない・・・・・・。
 しかし「あくはと」は、南京陥落時、前線に憲兵は一人もおらず、一二月一七目にようやく一七名が入城しただけだと指摘した。当然、兵士の規律を守る役には立たなかった。それどころか、一般兵士の間だけでなく、上級将校の中にさえ、掠奪や強姦を当たり前とする風潮があったことは、多くの証言から明らかだ。


  相変わらず否定論(真田)に低レベルのトンデモ発言をさせて、それを論破するという形式を重ねています。

 普通の感覚で考えると、殺人が三件あれば、その他の犯罪はもっと多かったと考えるでしょう。しかしそれでは論破することができなくなるので、「犯罪行為はそんなになかったはずだ」という意味のトンデモ論を真田に言わせているようです。

 兵士の犯罪行為として多くの一般市民を殺害したという日本側史料がそんなに沢山あるとは思えませんが、一体どの史料のことをさしているのでしょう。例示した殺人三件に反論する大事な資料ですから隠す必要は無いと思いますが・・・。史料を出せない理由でもあるのでしょうか?
 


 とまぁ、山本さんが設定した低レベルのトンデモ否定論に拘ってもしょうがないので、現実レベルの否定論から、日本軍の犯罪について言及した部分をいくつかピックアップしてみます。『ザ・レイプ・オブ・南京の研究』は山本さんも参考資料にあげているので、内容はご存知のはずです。
  


南京における日本軍の犯罪について
『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究 P150 
藤岡信勝・東中野修道著 祥伝社

 軍旗を破る不良兵士の悪行

 しかしそれでも個々の悪行は起こった。
 第十六師団後方参謀の木佐木少佐は強姦の現場を取り押さえ、厳罰を要求している。一九三八年(昭和十三年)二月九日、『シカゴ・デイリーニューズ』も一〇名以上の日本軍将兵が軍規紊乱の廉で「重刑」に処せられたと伝えている。逆に言えばこの記事は、南京の日本軍による強姦のおおよその実態を物語っているのである。
 南京陥落の昭和十二年十二月から翌年八月まで南京に在勤した上海派遣軍法務部の塚本浩次部長は、東京裁判において、南京在勤中に何件の事件を扱ったかと質問されて、「一〇件内外であった」と答えた。そしてそれは「主として略奪・強姦」で、殺人はニ、三件であったと付言した。処罰は余りにも厳しかったので、日本軍部隊から法務部を非難する声があがったほどであった。
 
 この塚本法務部長の証言は、国際委員会の公式記録である『南京安全地帯の記録』が日本軍に通報された強姦を七件と記し、現場に死体のあった殺人を三伝えていることと、ぴったり対応しているのである。
 こうしてみると一〇件内外の悪行はあったのである。


http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/7154/12-2.html
●講演録●
南京大虐殺の徹底検証
20世紀最大の嘘南京大虐殺の徹底検証(前編)
(東中野教授の公演)


 この「南京安全地帯の記録」すなわち「ドキュメント・オブ・ザ・ナンキン・セイフティ・ゾーン」というのは、南京市民の被害届けの総特集です。
 この本の中に何件が書いてあるかと言いますと、殺人事件は26件です。
 被害者は52人です
 ところがそのほとんどが伝聞、つまり他人から聞いたという噂に過ぎませんでした。
 殺人の瞬間を目撃したというのは2件です。
 しかも2件とも合法です。
 目撃はしなかったが死体が確認されたという事件が3件で、死体は6体でした。
 これが南京の市民に関する被害の全体像です。


『日中戦争史料8 南京事件T』(東京裁判史料集)P103 
河出書房新社 洞富雄編

○ブルックス弁護人
 「マギー」証人、それでは只今のお話になった不法行為もしくは殺人行為と云うものの現行犯を、あなた御自身幾ら位御覧になりましたか。

○マギー証人
 私は自分の証言の中ではっきりと申してあると思いますが、唯僅か一人の事件だけは自分で目撃致しました。

(漢字カナ使いは現代語に改めました)


 さていかがでしょう?
 現実世界の否定論は、山本さんがあげたような外国人の記録を無視しているのではありません。ベイツ、マギー牧師ら外国人たちで構成されていた国際安全区委員会の『南京安全地帯の記録』に記載された信憑性のある事件数と、塚本法務部長が裁いた事件数(東京裁判証言)が規模的に概ね一致することを根拠にしているのです。
 
 山本さんは外国人の記録をいくつかあげていますが、外国人の記録した殺人事件その他は、ほとんどが「伝聞」や「噂」であって、外国人が自分の目で(死体などを)確認したものは非常にすくないのです。





 外国人が殺人事件として死体を確認した例は数件で、日本軍が殺人で処罰した例も数件である。この事実を踏まえて当時南京で国際委員会との窓口をつとめた福田氏の証言を見てみましょう。


『南京事件の総括』P171 田中正明著 展転社

 こうした要望や告発の日本側窓口は、当時外交官補の福田篤秦氏である。福田氏はのちに吉田首相の秘書官をつとめ、代議士となり、防衛庁長官、行政管理庁長官、郵政大臣を歴任した信望のある政治家で、筆者とも昵懇の間柄である(東京千代田区在住)。福田氏は当時を回顧してこう語っている。

 「当時ぼくは役目がら毎日のように、外人が組織した国際委員会の事務所へ出かけた。出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。
 『いまどこどこで日本の兵隊が十五、六の女の子を輪姦している』。あるいは『太平路何号で日本軍が集団でおし入り物をかっぱらっている』等々。その訴えをマギー神父とかフイッチなど三、四人が、ぼくの目の前で、どんどんタイプしているのだ。
 『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして抗議されても困る』と幾度も注意した。時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何もない。住んでいる者もいない。そんな形跡もない。そういうこともいくどかあった。
 ある朝、アメリカの副領事館から私に抗議があった。『下関にある米国所有の木材を、日本軍がトラックで盗み出しているという情報が入った。何とかしてくれ』という。それはいかん、君も立ち会え!というので、司令部に電話して、本郷(忠夫)参謀にも同行をお願いし、副領事と三人で、雪の降る中を下関へ駆けつけた。朝の九時頃である。現場についてみると、人の子一人もおらず、倉庫は鍵がかかっており、盗難の形跡もない。『困るね、こういうことでは!』とぼくもきびしく注意したが、とにかく、こんな訴えが、連日山のように来た。

 

 委員会に報告があった事件は、現場検証をされていないものであっても記録に残したようです。検証の結果、上記のように明らかに捏造とされる事件は記録から削除されたものと思われますが、検証されていないものは削除する理由がないので真偽不明のまま『南京安全地帯の記録』に残されたと考えられます。

 証拠がない、つまり証言だけを記録した殺人事件は数十件あるが、証拠がある殺人事件は数件だったということになるでしょう。犯人が判明したものは処罰されたということで資料は一致するようです。






殺人事件や強姦事件の数
 理論上は被害者が死亡し目撃者が存在しない殺人事件が存在する可能性はあります。ですから殺人事件は数件しかなかったと断定することはできません。しかしこの場合は外国人も事件の発生を認知できませんから、外国人の記録にも残りません。
 事件が多かったという12月中、住民の多くは安全区に密集しています。この状況で殺人や強姦などが何百件とか何千、何万という単位で発生するとは考えられません。阪神大震災の時にも「強姦事件が多発」という噂が流れましたが、現在ではほとんどがデマだったということが判明しています。情勢が不安定なときには根拠のない「噂」が一人歩きするというのはよく知られたことです。



略奪事件について
 略奪について考察すると、南京城内は安全区を除きほぼ無人の状態であり、家財道具その他は住居や商店に放置されていた場合も多かったようです。こういう状況ですから略奪は目撃される事も少なく、表ざたにならなかった例もかなりあるものと思われます。安全区に避難した難民も商店や民家から略奪を行いそれを路上で売っていました。ミニ−・ヴォートリンの日記一月九日にはこのように記されています。

 いまや道路の両側に何百人もの物売りが露天を出し始めている。残念ながら、彼らが売っている品物はほとんどが商店からの盗品だ。わたしたちの使用人も誘惑に負けて、そうした品を買い始めている。

『南京事件の日々』P106 ミニ−・ヴォートリンの日記 大月書店

 ミニ−・ヴォートリンの使用人も盗品を購入しており、それを咎める様子はありません。平時とは状況が違いますからヴォートリンも大目に見ていたようです。南京では住民不在の為に何件の略奪があったかは不明であり、避難民による略奪も横行していたので兵士による略奪が何件あったのかは不明と言えます。
 しかしながら略奪や強姦が一〇数件程度であっても不名誉な事であることは事実ですから、松井大将は「皇軍の声価を(略)破壊する」と嘆いたわけです。


 略奪や強姦が当たり前なら、そもそも取り締まりの対象になるわけはないのです。
 



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