『神は沈黙せず』山本弘著 角川書店 P58−P64(順次抜粋)
形勢不利になった真田は話題をそらそうとした。議論の流れを無視し、教科問題、従軍慰安婦問題などを論じはじめたのだ。「あくはと」はそれには応じず、そんな話題は当面の議論とは関係がない、と一蹴した。真田は「議論から逃げるのか」と相手を非難したが、逃げているのは真田の方であるのは明らかだった。
真田は捕虜の虐殺は認めたものの、日本兵が掠奪や暴行を繰り広げたというのはデマだ、と主張した。彼の信じるところ(例によって誰かの説の受け売りだったが)によれば、当時の南京市内で起きた殺人事件はたった三件だという。
「あくはと」はただちに、日本兵の日記、証言、日本軍内部資料の中から、日本兵による放火・掠奪・強姦・一般市民殺害の例を大量にアップしてみせた。先の中島中将の日記にも、一二月一九日の箇所に、日本兵による掠奪行為の横行がはっきり記載されている。真田がそれでも信じようとしないので、「あくはと」はさらに、当時の南京に居合わせた連合キリスト教伝道団ミニ−・ヴォートリンの生々しい日記や、南京ドイツ大使館書記官ゲオルク・ローゼン、金陵大学教授マイナー・S・ベイツ、アメリカ人宣教師ジョン・G・マギー牧師らの報告もアップして、追い討ちをかけた(真田はヴォートリンの名すら知らなかった)。
真田はそれでも頑固に、そんな報告はどれも信用できない、と主張した。だいたい兵士の犯罪行為は憲兵が取り締まるはずではないか。ごく一部の兵士が凶行に走っ
た可能性はあるが、例外中の例外であり、規律正しい天皇の軍隊が暴行や掠奪をするはずがない・・・・・・。
しかし「あくはと」は、南京陥落時、前線に憲兵は一人もおらず、一二月一七目にようやく一七名が入城しただけだと指摘した。当然、兵士の規律を守る役には立たなかった。それどころか、一般兵士の間だけでなく、上級将校の中にさえ、掠奪や強姦を当たり前とする風潮があったことは、多くの証言から明らかだ。
|