(2)否定論を理解しているか?


『神は沈黙せず』批判 総合メニュー
『神は沈黙せず』批判(まえがき)
(1)南京論争登場
(2)否定論を理解しているか?
(3)本当に処刑されたのか?
(4)捕虜ハセヌ方針(東中野説)
(5)捕虜ハセヌ方針(南京戦史)
(6)トンデモ国際法
(7)便衣兵摘発の状況
(8)形勢不利なのはどっち?
(9)石射史料に虐殺の記述なし
(10)なぜ数が問題になるのか
(11)虚構の上に論を重ねた虐殺説
「あとがき」のようなもの


 『神は沈黙せず』山本弘著 角川書店
 P58−P64(順次抜粋)

 真田が、「そもそも南京大虐殺を見た者など一人もいない」と発言すると、「あくはと」はここぞとばかりに大量の証言をアップしてきた。

 たとえば日本軍の南京入城式のあった一九三七年一二月一七目だけでも、当時の日本兵の日記の中にこれだけの証言がある。

「その夜は敵のほりょ二万人ばかり揚子江岸にて銃殺した」
(歩兵第六五連隊第一中隊・伊藤喜八上等兵。
      
「夕方漸く帰り直ちに捕虜兵の処分に加はり出発す、二万以上の事とて終に大失態に会ひ友軍にも多数死傷者を出してしまった」
(歩兵第六五連隊第四中隊・宮本省吾少尉)

「夜捕虜残余一万余処刑ノ為兵五名差出ス」
(歩兵第六五連隊第八八中隊・遠藤高明少尉)

「中隊ノ半数ハ入城式へ半分ハ銃殺二行ク、今日一万五名、午后十一時マデカ、ル」(歩兵第六五連隊第九中隊・本間正勝二等兵)

「捕虜残部一万数千ヲ銃殺二附ス」
(歩兵第六五連隊連隊砲中隊・菅野嘉雄一等兵)

「午後五時敵兵約一万三千名ヲ銃殺ノ使役二行ク、二日間ニテ山田部隊二万人近ク銃殺ス、各部隊ノ捕慮[虜]ハ全部銃殺スルモノ、如ス[シ]
(山砲兵第一九連隊第三大隊・目黒福治伍長)

 犠牲者の数字はおそらく目測によるため食い違っているが、これらの証言が同一の事件について述べているのは確かである。しかもこれはたった一日の出来事である。目黒福治の文にあるように、この前日の一二月一六日にも多数の捕虜虐殺があったし、その後もあったのである。
 たとえば一二月一六日。「揚子江付近に此の敗残兵三百三十五名を連れて他の兵が射殺に行った」(歩兵第七連隊第二中隊・井家又一上等兵)
「市民と認められる者は直ぐ帰して、三六名を銃殺する。皆必死に泣いて助命を乞うが致し方もない」(歩兵第七連隊第一中隊・水谷荘一等兵)

 真田はまったく動じず、せせら笑った。そんな下級兵士の証言など信用できない。どうせ左翼文化人のでっちあげに違いない。たとえば第一六師団長の中島今朝吾中
将の日記には、虐殺行為などまったく記されていない。それどころか、「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ」とあって、当時の日本軍が中国兵を捕虜にせず、武装解除して解放していたことが分かる・・・・・・。

 

 
 「あくはと」君が引用した史料は、上段部分が幕府山事件にもので、後段は便衣兵摘発処刑についてのものです。

 現実社会の南京論争において、この二つの事件が「無かった」と言っている研究者はおりません。

 便衣兵の摘発処刑や幕府山事件が実際に発生した事については異論なく認知されています。発生が疑いのない事件について「ほらあったじゃないか!」と言われても困っちゃいますね。これが山本さんの作品中では「完璧な論理」として扱われているわけです。



 現実社会の否定論では、便衣兵処刑に関しては「国際法違反かどうか」が争点となっています。また幕府山事件については、処刑された捕虜の規模(数千人〜2万人)と、解放途中の事故か、最初から処刑目的だったのか。という点が争点となっています。平成元年に編纂された『南京戦史』以降は、二つの事件が発生しなかった、という主張をしている研究書は発行されていません。

 山本さんの設定(山本ワールド)で否定論を代表している「真田」は史料を全く読んだことがないトンデモさんであるという設定になっています。また不思議な事に掲示板の論争を見守っている方々も史料どころか「現実世界レベルの否定論」自体を目にしたことが無い方が揃っているようです。

 不思議ですね。

 山本さんが設定した近未来では言論弾圧などがあって、ネット上に「現実世界レベルの否定論」は存在しないのでしょうか?。それとも「現代思想関係」の掲示板に集まってくる方は、あくはと君も含めて「ネットで検索する」という行為ができない方が揃っているという設定なのでしょうか?。いずれにしても作品中に現実社会の否定論が登場しないということは、山本さん自身が(南京関連の本を30冊以上読んでいるにも関わらず)否定論を知らないのではないか?。という疑念さえ浮かんでくるわけです。



 


山本さんと否定論

(1)山本さんは否定論を理解しているか!?
 山本さんもご存知のはずの否定論の研究書籍としては『南京虐殺の徹底検証』東中野修道著という研究書があります。山本さんは『と学会年鑑2001』及び『トンデモ本の世界R』で内容を批判しています。 当然ながら『南京虐殺の徹底検証』でも幕府山事件や便衣兵摘発処刑について「なかった」とはしていません。国際法の解釈や解放途中の自衛発砲説が争点となっています。

 読んでもないのに批判をされた?。ということはないと思いますから、山本さんは否定論が「事件の存在は否定していない」という事は知っていたことになります。つまり事実を隠蔽してトンデモ否定論(真田)を設定したことになります。




(2)『南京虐殺の徹底検証』は参考資料に記載せず
 山本さんは『南京虐殺の徹底検証』を読んでいるはずですが、どういうわけか『神は沈黙せず』の参考資料として記載がありません。山本さんの過去作においてインチキと批判した否定論ですから作品中でも容易に論破可能だと思われますが、どういうわけか否定論のモデルとして参考にされず、変わりに低レベルなトンデモ否定論(真田)が登場しています。不思議ですね。
 





 (3)山本さんの「東中野批判」
『トンデモ本の世界R』P346

 たとえば東中野教授がしばしば引用する『南京戦史』(偕行社)や『南京大虐殺殺を記録した皇軍兵士たち』(大月書店)に収録された、南京戦参加者の日記の数々、あるいはミニ−・ヴォートリンの日記を収録した『南京事件の日々』(大月書店)、マギー牧師の日記を収録した『目撃者の南京事件』(三交社)といった本を読まれたことはあるのだろうか。

 僕はこれらの資料にひと通り日を通している(南京大虐殺関連の本はもう三〇冊以上読んだ)だからこそ、東中野教授がどんなデタラメな手法を用いているかが分かる。些細な矛盾点を針小棒大に取り上げて証言全体を否定しようとしたり、文章を引用する際、歪曲して正反対の意味にしてしまったり、都合の悪い記述は無視する一方、信憑性の低い資料を重視したり、まさに「好き勝手」としか,いいようがないのだ。南京大虐殺の犠牲者数については、「三〇万人」と「ゼロ」という両極端のトンデモ説が火花を散らしているが、東中野教授の著書はその中でも特にインチキだらけのひどい代物なのである。

 ボロクソに批判していますね。
 その割には小説の中では東中野説に対する反論らしき部分はほとんどなく、むしろ東中野説を避けてトンデモ否定論(真田)を登場させたりしています。

 東中野説を「インチキだらけ」と論破するだけの力量があると自負された山本さんですから作品中でも東中野説を論破するのは容易なはずです。しかし現実は現実に存在する否定論に対する反論はされていません。山本さんが独自に設定した、現実世界から遊離した低レベルのトンデモ否定論(真田)を論破しているに留まっています。
 この辺りは10代を対象にしたSF娯楽作品なので現実世界で通用する理論は必要はないという判断があるのかも知れません。そもそも山本さんは『神は沈黙せず』という小説において、正しい知識(現実世界に存在するレベルの否定論)を記述するという考えはないのかも知れません。


 現実世界でありえないレベルのトンデモ否定論を設定して、それを論破する行為をもって「正しい議論のお手本」とか、「完璧な論理」といってのけるのは山本さんの「体を張ったギャグ」なのかも知れません。



 


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