(1)南京論争登場


『神は沈黙せず』批判 総合メニュー
『神は沈黙せず』批判(まえがき)
(1)南京論争登場
(2)否定論を理解しているか?
(3)本当に処刑されたのか?
(4)捕虜ハセヌ方針(東中野説)
(5)捕虜ハセヌ方針(南京戦史)
(6)トンデモ国際法
(7)便衣兵摘発の状況
(8)形勢不利なのはどっち?
(9)石射史料に虐殺の記述なし
(10)なぜ数が問題になるのか
(11)虚構の上に論を重ねた虐殺説
「あとがき」のようなもの


 『神は沈黙せず』山本弘著 角川書店
 P58−P64(順次抜粋)

 彼の名を高めるきっかけになったのは、現代思想関係の掲示板でのバトルだった。そこではかねてから、「天地人」というハンドルネームの人物が、「南京大虐殺は東京裁判の際に連合国がでっちあげたもの」という説を主張しており、会議室の他のメンバーを相手に、どちらかと言えばだらだらした議論を繰り広げていた。二〇〇八年九月、そこに「あくはと」という人物が参入し、「天地人」の主張に真っ向から噛みついた。議論は一気にヒートアップし、約三か月、計一〇〇〇発言を超える激しいバトルが展開されたのだ。
 そのバトルは開始当初から、ネットウォッチャーたちの注目を集めていた。「天地人」の正体が、右翼的言動で知られるミステリー小説家の真田佑介であることは、以前から知られていたからだ。だが、彼に無謀にも挑戦した「あくはと」とは何者だ?

 私はリアルタイムでそのバトルは見ておらず、後でログに目を通したのだが、「あくはと」の発言はまさに正しい議論とはこうあるべきというお手本と思えた。完璧な論理で着実に相手をねじ伏せていった。はたから見ていると、その力量の差は圧倒的だった。


 山本さんの作品他、引用史料についてはOCRで起こした後に修正していますので、トンデモない誤植を発見された場合にはBBSに連絡していただけると幸いです。改行・一行開け、太字強調については原本と違う場合もあります。原本に準じる場合はその旨を明記してあります。



 山本さんは「南京関係の書籍を30冊以上読んでいる」ということですから、肯定論・否定論双方の論点を理解されている事でしょう。その上で「完璧な論理」が作品世界で披露される、つまり完璧な虐殺肯定論が展開されることになるようです。期待して読み進めてみました。






 『神は沈黙せず』山本弘著 角川書店
 P58−P64(順次抜粋)

 最初、真田は話題を呼んだアイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』の例を持ち出し、南京大虐殺を肯定する者の主張はどれもこれもデタラメだらけだ、と主張した。それに対し「あくはと」は冷静に切り返した。
 私も『ザ・レイプ・オブ・南京』がひどい本だということは知っているが、それはこの論の本質ではない。たとえば、広島への原爆投下について間違いがたくさん書かれた本が何冊かあったからと言って、原爆投下がなかったと言えるだろうか?

  真田が、「そもそも南京大虐殺を見た者など一人もいない」と発言すると、「あくはと」はここぞとばかりに大量の証言をアップしてきた。

 んーどうでしょう?
 いきなり消化不良というか、肩透かしというか、不発というかすっきりしませんね。その理由は何かと言うと、この部分のやりとりは「議論」ではなく言わば「問題提起」なんですね。ちょっと論点を整理してみましょう。








論点の整理(1)

原爆のレトリック
「広島への原爆投下について間違いがたくさん書かれた本が何冊かあったからと言って、原爆投下がなかったと言えるだろうか?」by あくはと


 これは完璧な論理というよりはすり替えの論理ですね。これを原爆のレトリックと呼ぶことにして、後に解説することにします。




 あくはと君の質問に対する回答
(1)原爆投下について間違いが書かれた本が多数あっても、
(2)信頼できる史料があれば、原爆投下の事実は覆りません。
(3)しかしながら、信頼できる史料がなければ歴史的事実と断定されるとは限りません。具体的な可能性としては「投下された爆弾が原爆ではなかった」という場合や、「爆撃の事実はなかった、別の事件(地震とか爆発事故とか)だった」という場合が考えられます。

 原爆投下については、原爆投下が事実と考えうる史料が多数あるので、原爆投下はあったと言えます。

 


事実と考えうる史料の存在が問題

 真田の主張は、虐殺肯定論はデタラメなものが多いというもので、一つの例として『レイプオブ南京』を挙げています。
 あくはと君の主張は、『レイプオブ南京』が記述に間違いが多い酷い本だったとしても、南京大虐殺に関する研究書はそれだけではない、という事を原爆のレトリックを利用して主張したかったのだと思われます。
 すると議論の行方としては、信頼できる「虐殺肯定論」(歴史研究書)とはどういうものがあるのか?を、あくはと君が示さねばなりません。「アイリスチャンの『レイプオブ南京』は論外だが、○○○○という研究書は概ね信頼できる。」という風に反論が続かなければなりません。個々の史料提示だけでは南京大虐殺の全体像がわからないので、大虐殺があったという以上は全体像について論じた研究書なり論文の提示が必要になります。 
 作品中ではこういった形で議論がされずに、他に信頼できる研究書があるんだよ、ということを匂わす程度で終わっています。結果として消化不良な感じは否めませんね。





論点の整理(2)


原爆のレトリック(1)
 原爆のレトリックを南京に置き換えて考えて見ましょう。
(1)南京大虐殺に関しては、十万人規模で市民が殺害されたと確かに認定できる学術的な史料は一つもありません。目撃証言はそれを補強する何らかの物証がない限りは史料として不十分と言えます。例えば、誰それさんが「5万人殺害されるのを見た」と言うだけでは、殺害が事実であるかどうか、本当に5万人だったのかどうかは分かりませんね。

(2)そこで5万人殺害を証明するには補強史料が必要になります。5万人はどこにいたのか。どういう方法で集められたのか。どのような方法で殺害されたのか。死体はどのように処理されたのか。などの検証が必要になります。南京事件は考古学の分野ではなく、たかだか60年ほど前の事件であり、外国人のものを含めて多数の記録が残っています。

(3)以上のような検証を行った結果最近の日本側研究では、中国側が30万虐殺を主張する範囲において、何十万人もの市民が殺害されたと主張している研究者はいなくなりました。つまり、「十万単位の市民殺害があったとは言えない」ということで決着がついています。


※ 日本の「虐殺説」は笠原十九司教授に代表されますが、笠原教授は市民5−6万人が殺害されたと考えているようです。しかしこの説も5万人がどこに居住していたのか、死体はどのように処理されたのかなど殺害が事実であるとすると各種資料と矛盾するのですが詳細な説明はされていません。また笠原説では南京陥落時パニックを起こした避難民が揚子江に集合し、そこで日本軍に掃蕩されたというトンデモな説を述べていますが、陥落時揚子江に通じる下関門(ゆう江門)は土嚢で封鎖されていたので何万と言う市民が揚子江に出るのは不可能であったと考えられます。(詳細は、(11)虚構の上に論を重ねた虐殺説を参照)


結論(A)
大規模な市民殺害については信頼できる史料がない。





原爆のレトリック(2)
(4)個々の殺人事件を何万件も集めて証明するのは事実上不可能なので、死体の数、つまり埋葬数が事件規模を示す有力な証拠となります。

(5)中国側の埋葬史料でこれまでに捏造と判明した大きなものとしては太田供述調書の十数万埋葬があります。これは戦犯収容所での供述であり、日時が合わないことや埋葬を補強する史料が他に存在しないことから日本側研究(例えば『南京大虐殺否定論13のウソ』などでも)触れられることはなく、史料価値はかなり低く見られています。

(6)東京裁判に提出された「崇善堂」による約11万埋葬も、10万もの死体存在を裏付ける補強史料が存在せず、外国人らの記録にも日本側の記録にも死体の存在や、崇善堂埋葬活動について記述されたものがないので、11万という埋葬数については捏造と考えられています。
 日本国内の虐殺派の主張でも、崇前堂が埋葬活動を行ったのは事実であるが、埋葬数11万については慎重な取り扱いが必要としています。特務機関所属の丸山氏によれば埋葬は紅卍字会(約4万埋葬)に一括して頼んだということなので、崇善堂が活動をしていたとしても紅卍字会の下請けだった可能性が高いと言えます。


結論B
 埋葬史料については全てがウソとは言えないが、信頼性に問題がある資料が多い。日本側、中国側、第三国史料に登場する大規模な埋葬は紅卍字会の約4万埋葬しかない。




原爆のレトリック(3)
 以上を踏まえて原爆のレトリックを南京に当てはめるとこうなります。


(1)南京大虐殺について間違いが書かれた本が多数あっても、
(2)信頼できる史料があれば、南京大虐殺の事実は覆りません。
(3)しかしながら、信頼できる史料がなければ歴史的事実と断定されるとは限りません。具体的な可能性としては数の誤認の可能性や「便衣(私服)に着替えた兵士の死体を民間人と誤認」した場合など想定されます。


 中国側が主張する南京大虐殺30万については、大規模な市民虐殺が事実と考えうる史料がほとんどないので、南京大虐殺は東京裁判で創作された虚構であるという結論になります。


 南京大虐殺について中国側は軍民30万、市民だけで20数万人が殺害されたと主張されていますが(1)大規模な市民殺害について信頼できる史料がなく(2)事件規模を示す埋葬記録には捏造されたものや不審なものが多い。総埋葬数が約4万であれば、ほとんどが中国兵の遺体と推定されるわけです。これが数の議論の本質となります。(詳細は (10)なぜ数が問題なるのかのページで解説)



○信頼できる史料について
 日本軍がゲリラ狩りを行い、摘発した中国兵を処刑したのは日本側の公的資料に残っています。捕虜の殺害についてもある程度記録が一致しています。中国軍の死亡者総数ははっきりしませんが、日本側、あるいは外国人の記録によれば総埋葬数が約4万です。これには戦死、病死、あるいは改葬も含まれると考えられるので、詳細な処刑数は不明ながら1万−3万程度と推定されます。すなわち、これが南京事件の規模と言うことができます。

(※ 中国側は、日本側史料にも外国人史料に出てこない埋葬記録を根拠にして、30万−40万という主張をしている)



○南京大虐殺は否定されるか
 「証言による南京戦史」のまとめで虐殺数を数千−二万人(ほとんどが中国兵)と結論した研究について、中国側は『北京日報』で「三十万大虐殺の事実をガンとして否定している」と論評しています。1-2万説(小虐殺説)は、南京大虐殺を否定するものだというのが中国側の態度です。
 南京大虐殺の基準は30万(あるいは30万規模)であるという中国の意思表示なので、4万−6万程度の中間説も「否定論」に分類されることになります。言い換えると、外国人史料により南京大虐殺は否定されているということになるのです。
 「南京大虐殺」とは30万という規模を含んだ固有名詞ですから、二万人規模では南京大虐殺にはならないということができます。







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