『神は沈黙せず』批判(まえがき)

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『神は沈黙せず』批判(まえがき)
(1)南京論争登場
(2)否定論を理解しているか?
(3)本当に処刑されたのか?
(4)捕虜ハセヌ方針(東中野説)
(5)捕虜ハセヌ方針(南京戦史)
(6)トンデモ国際法
(7)便衣兵摘発の状況
(8)形勢不利なのはどっち?
(9)石射史料に虐殺の記述なし
(10)なぜ数が問題になるのか
(11)虚構の上に論を重ねた虐殺説
「あとがき」のようなもの


 山本弘さん(と学会会長)入魂の新作、『神は沈黙せず』が角川書店か
ら発売されました。帯はこんな感じになってます。


 UFOも、怪奇現象も、超能力も、すべて「神」からのメッセージだった!

 現代人の「神」の概念を根底から覆す長編書き下ろしエンタテインメント一三〇〇枚!

 空飛ぶ戦車+七角形のボルト+UFO+ロボット型異星人・空から降ってくる魚介類+落下する巨大な氷塊・銀の十字架が落ちてくる+石ころの雨・走りまわるインドゾウ+野生の少女・フクロオオカミの出現+ビックフットの出没+肉食獣ムングワ・吸血怪物チュパカブラス+怪獣ネッシー・ボルトの雨+四人の異形の天使・空の戦闘+空の軍隊・血まみれの剣をもった白装束の軍人+怪蛇バジリスク・空飛ぶ帆船+幽霊飛行船・幽霊ロケット+エイリアン・コンタクト・エイリアン・アブダクション+MIB・修道僧のようなローブをまとった巨人+蛾人間・大きな耳と三本の牙が生えた怪人+頭に三つのコブを持つ男・トカゲ人間+狼少女・空から落ちてきた何百匹ものカエル+家の壁にしみだす油・家の中に降る雨+深夜に行進する幻の兵士・スプーン曲げ+透視・テレパシー+ポルタ―ガイスト・空から落ちてくる子供たち+コインの雨・空飛ぶオートバイ+空をわたる雄牛・血の涙を流すマリア+月に浮かぶ顔・幽霊タクシー+幽霊ジュークボックス・幽霊列車+光亀・ビックフット+翼長一メートルの青い蝶・幽霊人工衛星+人の顔をした雲・位置をかえる星々+・+・+・+・+・+・+・+・+

・・・・・・これら「神」のメッセージが、意味するものとは?





南京論争の登場部分
 「南京論争」は物語の主軸ではなく、主要登場人物(加古沢黎 19歳小説家)が、先輩直
木賞作家を論破する題材として使われています。




時代設定
 作品中、掲示板で南京論争が行われたのは2008年です。近未来です。現実社会に準じ
た世界観のようです。





批評するにあたって


(1)SF小説というジャンル
 こういった小説、つまり十代向けのSF小説やら、ファンタジー小説やらの娯楽小説に対して細かい設定を批判するのはあまり意味がありません。もともとフィクションですから、トンデモな事やウソが書いてあっても問題ないと言えばないわけです。また、作家とて全知全能ではないので専門知識のない部分を想像で補ったり、適当に誤魔化して書いたりすることはあるでしょう。エンテーテイメントですから作品が面白ければそういう誤魔化しは許容されるべきだと思います。
 しかしながら山本さんの場合は、と学会の会長として南京虐殺否定論にトンデモのレッテルを貼って商売していますから、その点についておかしな点があれば批判の対象になると考えました。
 

(2)山本さんのスタンス
 南京大虐殺における否定論側の論客としての有名なのが東中野教授です。現在では日本「南京学会」会長を務めており、学会の年報を『南京「虐殺」の研究最前線』としてまとめています。現在平成14年版と平成15年版が現在出版されています。ちなみに中間派の秦郁彦教授も同学会で講演しており、その論稿は同書の他『現代史の対決』秦郁彦著作にも収録されています。(後述しますが、中間説も否定論に分類されます)

 一方で、「と学会」会長を務めている山本弘さんですが、東中野教授とその著作について以下のように論評しています。


山本さんの東中野論評

■注16 東中野修道(ひがしなかの・おさみち)
 1947年生。亜細亜大学教授(社会思想史)。南京大虐殺「なかった」派の最右翼で、代表作は『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社・98年)。自説に都合の悪い資料は無視したり歪曲したりと、好き勝手なことをやっているが、肩書きに騙されて信じてしまう人も多いようだ。この人の説がどれほどトンデモないかを知りたい方には、南京事件調査研究会編『南京大虐殺否定論13のウソ』(柏書房・99年)がおすすめ。【山本弘】

『と学会年間2001』P241 太田出版


 たとえば東中野教授がしばしば引用する『南京戦史』(偕行社)や『南京大虐殺殺を記録した皇軍兵士たち』(大月書店)に収録された、南京戦参加者の日記の数々、あるいはミニ−・ヴォートリンの日記を収録した『南京事件の日々』(大月書店)、マギー牧師の日記を収録した『目撃者の南京事件』(三交社)といった本を読まれたことはあるのだろうか。

 僕はこれらの資料にひと通り日を通している(南京大虐殺関連の本はもう三〇冊以上読んだ)だからこそ、東中野教授がどんなデタラメな手法を用いているかが分かる。些細な矛盾点を針小棒大に取り上げて証言全体を否定しようとしたり、文章を引用する際、歪曲して正反対の意味にしてしまったり、都合の悪い記述は無視する一方、信憑性の低い資料を重視したり、まさに「好き勝手」としか,いいようがないのだ。南京大虐殺の犠牲者数については、「三〇万人」と「ゼロ」という両極端のトンデモ説が火花を散らしているが、東中野教授の著書はその中でも特にインチキだらけのひどい代物なのである。

『トンデモ本の世界R』P346 太田出版

 山本さんの自己申告ではありますが、南京大虐殺関連の本を三十冊以上も読まれており、「南京関連の専門知識はある」と豪語して、否定論側の研究をインチキとしています。凄い自信ですが、その専門知識が怪しいことを指摘するのが本稿の目的です。
 




(3)山本さんの歴史観
 山本さんがある南京事件について(1)それなりに専門的な知識があると明言しており、(2)作品中が現実世界に準じた世界観であり、(3)参考資料として実在の文献があげられており、(4)実在の史料が引用され、(5)これが真実だ!、と解釈されていますから、『神は沈黙せず』で示された南京事件に関する認識は、山本さんの歴史観として解釈してもよいものと思われます。このあたりのニュアンスは『神は沈黙せず』の引用文を読んでいただいたうえで各自判断下さい。 
 


 


(4)南京事件の常識
 山本さんは『「三〇万人」と「ゼロ」という両極端のトンデモ説が火花を散らしている』としていますが、これは厳密に言うと正しくありません。
 中国側主張は軍民併せて30万−40万人です。一方で火花を散らしている「否定論」に分類されるのは中間説からまぼろし説まで幅広く存在します。「中間説(4万−6万)」と「小虐殺説・事件派(南京戦史など1万−2万)」と、「まぼろし説(1万以下)」は基本的な史料の解釈に共通部分が多く、大規模な民間人虐殺を否定しているという点でともに「否定論」に分類されます。
 中間説〜まぼろし説の共通点は、南京にあった死体はほとんどが中国兵であるという点です。処刑規模については若干の差異がありますが、一番の相違点は国際法の解釈です。中間説は処刑のほとんどを違法と考えます。小虐殺説・南京事件派は、違法と合法が混在したと考えます。まぼろし派は大部分が合法だったと考えます。これが否定論における「数の違い」の要因となっています。







(4)0人説について
 『「三〇万人」と「ゼロ」という両極端のトンデモ説が火花を散らしている』とした山本さんですが、0人説を勘違いしているようなのでちょっと資料をみてみましょう。

 「南京虐殺」は、四等史料と五等史料によって成り立っている。南京で「何人虐殺」と認定せる記録は一つもないのである。ない限り、「南京虐殺」はグローバルな共同幻想に止まるのである。
 否、そうではない、と言うのであれば、その論者は日本軍戦時国際法違反(即ち南京虐殺)と認定せる確実な論拠を提示すべきである。
『南京虐殺の徹底検証』P362 展転社 

 0人説というのは以上の東中野説に代表される考え方だと思われますが、これは「南京で中国兵の処刑が一件も行われなかった」という事ではありません。処刑は行われたが、それが戦時国際法に違反するものだったという確実な史料は存在しない、という主張です。ですから国際法の解釈を変更すると、0人説は小虐殺説や中間説にもなりうるわけです。

 いうなれば0人説は「虐殺の定義」を問題としているのであって、史実として実際に発生した事件の規模については、中間派もまぼろし派も0人説もそんなに大きな差はないという事です。東中野説では、アトローシティーズ、スローター、マサカーについて以下のように分類しています(下記参照)。その上で「虐殺(マサカー)」については、無防備な市民を武装集団が殺戮することと定義しています。そういう意味で「虐殺」の範囲が狭くなり、結果的に0人説になるという事であって、南京で誰も殺されなかったという説ではありません。どうも山本さんはこのあたりも勘違いされているように見受けられます。本当に『徹底検証』を読まれた上での批判されたのかどうか、ちょっと不安が残ります。

 




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0人説の参考資料
アトローシティーズ、スローター、マサカーについて
『南京虐殺の徹底検証』P218−220 東中野修道著 展転社

英国領事の日本軍批判
(略)
 これが一月下旬に書かれた報告書であった。もし正規兵処刑が戦時国際法違反であったならば、それが最大の不法行為になった。
 ところが、日本軍戦時国際法違反の主要なものは、英国領事の見るところ、日本軍の「掠奪」であった。そして、南京で「残虐行為(アトローシティーズ)」が生じたとのみ、記録されたのである。
 この点では、一九三九年(昭和十四年)の『南京救済国際委員会報告書』も同じであった。べイツ教授が委員長として刊行したこの報告書は、十二月中旬の日本軍の掃蕩戦を批判して、「十二月中旬の大殺戮」the general slaughter of mid-December と記録した。つまり、日本軍の「虐殺」とは記録されなかったのである。
      



残虐行為(アトローシティース)とは何か
 そこで、「虐殺」と「残虐行為」の違いが、次に問題となってくる。
 「使い方が分る辞典」として高い評価を得ている『コウビルド英英辞典』は「残虐行為とは大変冷酷かっショッキングな行動である」(傍点筆者)と解説する。
 その「冷酷かっショッキングな行動」に該当するのは、戦時国際法に反する捕虜虐待や掠奪、兵士の婦女強姦であろう。ジェッフリィ英国領事は、残虐行為の具体例として、掠奪の事例を指摘するのみであった。




殺戮(スローター)とは何か
 次に、殺戮(さつりく)を、『コウビルド英英辞典』は、「もし大勢の人々や動物が殺戮されたのであれば、冷酷、不当、不必要に殺されたのである」(傍点筆者)と解説する。そして、現実に使われた次の用例を紹介する。
 《三十四名の人々が、並んで投票を待っているときに、殺戮された。Thirty four people were slaughtered while queuing up to cast their votes.》
 大勢の人々が「冷酷、不当、不必要」に殺される時、それが「殺戮」に該当する。従って『南京救済国際委員会報告書』が「十二月中旬の大殺戮」 the general slaughter of rnid-Decemher」と言う時、国際委員会は日本軍の正規兵処刑を「不当」と判断していたことを示す。
 従って、問題は、それが戦時国際法上「不当」であったか否かであろう。不当であったのであれば、端的に、戦時国際法上の不当な殺戮、即ち虐殺と言ってよかった。ところが、そうは明言されなかった。
      

虐殺(マサカー)とは何か
 最後に、虐殺は「人々が虐殺されたとすれば、たくさんの人々が攻撃されて暴力かつ冷酷な方法で殺害されたのである」(傍点筆者)と解説される。そして、現実に使われた次の用例が紹介される。

 《市民三百人が反乱に虐殺されたと信じられている。・・・・・・部隊無防備の住民を無差別に虐殺した。  300 civilians are believed to have been massacred by the rebels. Troops indiscriminately massacred the defenceless population.》(傍点筆者)

 無防備の市民や捕虜を、武装集団が攻撃して殺害する時、暴力性と冷酷性が頂占だ達する。従って、それが虐殺となる。
 しかし、戦争は、敵を殺さなければこちらが殺されるという、生命をかけた、戦闘の連続である。南京では、支那軍の組織的な降伏はなかった。城内も、城外も、依然として戦闘員と戦闘員の戦う戦場であった。それがいかに暴力的かつ冷酷な殺害であっても、それは、藤岡信勝『近現代史教育の改革』が言うように、戦闘行為であった。 


 

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