ここは、国際親善の広場「HBC大韓民国広場」です。日本と韓国は、1965年に基本関係条約を締結し、国交を正常化しました。その後、1998年10月には金大中大統領の訪日、1999年3月には小渕首相の訪韓もあり、21世紀に向けたパートナーシップを構築していくための具体的な交流が進められました。政府間では、様々な機会に首脳会談や閣僚懇談等ハイレベルの政治対話が間断なく行われ、緊密な関係が維持されています。2008年2月には福田首相が李明博(イ・ミョンバク)大統領就任式に出席し、首脳会談で「シャトル首脳外交」「日韓両国経済関係強化」「若者交流を含む人的交流の拡充」などが重要であるとの認識で一致しました。2009年は、「日韓文化交流10年」が大きな契機となって首脳間で策定された「共同宣言」及び「行動計画」に基づく協力関係年にあたります。こうしたことから、第60回の記念すべき年の雪まつりに、広場を「HBC大韓民国広場」とし、ソウル市内に建つ「崇礼門(すうれいもん):略称・南大門」を大雪像にしました。
崇礼門は、1398年にソウルの都城を取り囲んでいた城郭の正門として建立され、朝鮮の首都、漢陽(ハニャン、現在のソウル)に入るための門の役割を果たしてきました。当初、門のまわりは民家が密集していましたが、1907年、城郭が壊され、道路が建設されました。朝鮮戦争(1950−53)により破損はありましたが、1961年から復元工事がなされ、62年に国宝第1号に指定されます。縦に描かれた「崇礼門」の文字、城門の扁額(へんがく、門に掲げられた額)は普通横書きなのに対し、崇礼門は縦書きになっています。これは当時、崇礼門から見える冠岳山の姿が炎の形に似ているため「門から火の気が入ってくる」と恐れられていたところ、風水学により文字を縦に長く書いて城門の下をふさげば良いとされたからです。そして、その言葉通り南大門の周辺は大きく栄え、現在の南大門市場へと発展したのです。しかし、2008年2月、誰も予想しなかった放火という惨事に見舞われ焼失してしまいました。国宝第1号の崇礼門は韓国国民のみならず多くの観光客に親しまれてきた名所であっただけに、国内外に大きな衝撃をもたらしました。ソウル市民とともに歩んできた600年以上の歴史を持つ崇礼門を雪像で表現しています。(2009.2.2改訂)
企 画 HBC北海道放送
製 作 陸上自衛隊北部方面通信群 第101中枢交換通信隊
協 力 ANA・大韓民国大使館
大雪像「崇礼門(すうれいもん)略称・南大門」 | 中雪像「滑り台」 | |
高さ | 15m | 3.5m |
横幅 | 27m | 3.5m |
奥行き | 20m | 3.5m |
縮尺 | 約4/5 | |
雪の量 | 3,000m3 | |
使用車両数 | (5tトラック)のべ518台 | |
製作人員数 | 3,400人 |