元、「歴史板」のみなさーんお元気ですか~~♪
なんら脅威のないダラダラとした平和な翻訳掲示板ライフを満喫してらっしゃいますぅ?
これぞ日本によってもたらされた平和!
pax JAPONICAですよ~
暇杉なので曝しage。w ごめんね♪李泰鎮
「日韓併合はそもそも成立していない」・・・という願望
日韓併合不成立論・・・ソウル大学李泰鎮教授のケース
純宗皇帝は一九二六年四月二六日に崩御する直前に、自身の傍らを見守っていた宮内大臣趙鼎九に、口述で次の様な遺詔を残し、その遺詔は二ヶ月余り後で、米国サンフランシスコの韓国僑民が発行している『新韓民報』一九二六年七月八日付紙面に報道された。
一命僅かの朕は併合の認准を破棄すべき事を詔す去る日の併合認准は強隣(日本をさす:筆者)と逆臣(李完用などをさす:筆者)の輩が之を為し之を宣布した朕の為した所にあらざるなり惟 我を幽閉し我を脅制して明白に言ふを得さらしめざるに由るものにして決して朕の為したる所に非ず(中略) 趙鼎九 詔付
これが、李泰鎮仮説。 いわゆる「純宗遺詔」・・・
[1]純宗は反対だった[2]それでも無理矢理だった[3]死の直前1926/4/26 純宗の意志が詔に![4]それを忠臣趙鼎九が書きとめた[5]1926/7/8、アメリカで新聞に掲載された
該当スレ[日本語/韓国語] 投稿者 itnetkorea ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 事前承認をしてくれた主体は韓国皇帝従順(純宗)だ. ところで彼が '併合条約'が強制されたということを直接明らかにした事実が最近確認された. 従順は 1926年 4月 26日ふな(崩御)夏期直前に自分のそばを守っていた宮内代わり(宮内大臣) 調整区(趙鼎九)に口述として自分は併合を承認してくれた事がないという内容の油槽(遺詔)を残したし, それは 2ヶ月後アメリカサンフランシスコ韓国僑民たちが発行する新韓民報(新韓民報) 1926年 7月 8日付けに報道された.
以上、この内容で、宜しいですか?純宗は併合に反対していた。死の直前、大韓皇帝の詔として書きとめさせた。書いたのは、趙鼎九。書いたのは、趙鼎九。書いたのは、趙鼎九。書かれた年月日は1926/4/26。書かれた年月日は1926/4/26。書かれた年月日は1926/4/26。ご理解いただけましたか?ご理解いただけましたね?・・・・・・ では。韓国人諸君に頼みです~。w 下の赤い文字で書かれている内容を参照の上、李泰鎮仮説「純宗遺詔」について、何か説明・解釈・言い訳をしてください。可能な限り「合理的」にお願いしますね♪
趙鼎九は1926年3月30日に死亡している・・・。
( ゚Д゚)ハァ?
李泰鎮教授、趙鼎九の”標的捜査”はしましたか?w (参照スレ日本語|韓国語)・・・これがソウル大学教授の実力ですか?
おまけ hitkot的 李泰鎮仮説の解釈:李泰鎮MMR