青組の電波で赤組の探求心に火がつき、青組そっちのけでスレが加速するのはよくあること。
( ´H`)y-~~ 今回は、ウリも乗っかってみたよ。
描かれている方違神社(ホウチガまたはカタタガイ)、大山陵および反正陵の位置が
納得のいきにくい関係である事から、
「絵師がデタラメ描きしましたね!」と言われてきた『和泉名所図会』。
( ´H`)y-~~改竄利用を防ぐため、デジタル透かしを施しています。w
ウリも、商業誌にはありえることニダ< `∀´>と思ってきたわけですが、今回!
yujukinokimi 氏の
『スッポンが理解できない「仁徳陵」の話 』スレの要点
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=101342
気になるのは、図の「仁徳陵」と方違神社が一本道でつながっている点です。
にヒントを受けました。( ´H`)y-~~なるほど、ご慧眼。
確かに、この描き方だと、方違さんと近接している反正陵に対して、間違って仁徳陵と
解説を付けてしまったのでは?という気がします。
そこで、和泉名所図会の俯瞰絵に登場する他の地名を、現在の地図ではなく、
当時の地図から拾ってみる事にしました。
参考にさせて頂いたのは、
omosiro氏の
『和泉名所図会 仁徳稜の絵は結構正確だった。』スレの中で
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=101184
oomononushi氏が紹介されていました
嘉永改正堺大絵図(嘉永4年(1851年)御免開版)
こちらの図は、当時の堺市街を中心とした絵図で、堺の周辺には街道側の事物が描かれています。
( ´H`)y-~~ まぁ、街道その他は当然デフォルメされてるわけですが、この中央下を拡大すると
( ´H`)y-~~ 関係者全員集合。そして一目瞭然。w
角度で言えば赤放射線から見て描いたんじゃないですかねー。
(ちなみに当地はなだらかな平坦地ですが、牛頭天王までの見通しは効くレベルですし、
実際にこの距離ならあの絵図のように見えると思いますよ。原住民からの報告です♪)
ということで、また一つ新たな仮説を提唱。
・絵図は見たものを元に、それなりに正確に俯瞰図化して描かれた
・絵師は現地に行ったんじゃねーの?
・遠景の山のようなのは、王子ヶ上じゃない。たぶん牛頭神社。
・キャプションが間違えてるよね。
×大山陵 ○反正陵
×楯井陵 ○スズ山
×王子ヶ飢 ○牛頭天王
( ´H`)y-~~ そして、このスレに、青IDは要らない。www