ホン・ユンギの歴史紀行 日本中の韓流を捜して 第23回
(http://j2k.naver.com/j2k_frame.php/japan/www.segye.com/Articles/News/Inquiry/Article.asp?aid=20070116001266&ctg1=03&ctg2=00&cid=0101090300000&dataid=200701161410000144)
↑この中でホン・ユンギ先生は「大和の支配者が新羅人であり、日本学者たちも文献を通じて主張した」と説明なさっております。
その日本学者の名前として故・吉田東伍氏をあげられています。
日本の ‘国(奈良, なら)’という 地 名前を 初めで 作った 人も ‘大和’の 支配者 新羅人たちだ. かつて 日本 学者たちも 文献を 通じて 自認める 事実だ. 1900年 日本の 歴史 地理学者 Yoshida トゴ(吉田東伍・1864~1918) 博士は 自分の 著書で 次と 一緒に 主張した.
“国(奈良)増えた 国家という 意味だ. ‘国’は 大和 地方の 昔 タングイルムで, 上古時代に これ 故障を 占領した 韓国 出身 出雲族の 地 名前と 思う(‘大日本地名辞書’)
では本当にそう書いてあるのでしょうか?
吉田東伍氏の大日本地名辞書の奈良の項目を調べてみます。
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………あれ、無いですよ?
「韓国出身出雲族」は一体どこに書いてあるのでしょう?
他の項目にも見当たりません。
私の捜し方が悪いのでしょうか?
あ、でも吉田氏が奈良の地名の由来らしきものを話しているのを那羅山の項目で発見しましたよ。
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那羅山
添上郡奈良佐保及び生駒郡(旧添下)都跡村の北なる丘嶺の総名なり、中にも奈良市の北を奈良坂と云ひ、佐保村の北を佐保山と云ひ、都跡村の北を歌姫越と云ふ。
日本書紀伝、崇神天皇之時、武埴安彦叛、遣大彦与彦国葺撃之、官軍進登那羅山而軍、時軍人屯聚而蹢跙草木、因号其山曰那羅山。
神皇正統記云、嵯峨の御世に(弘仁元年)奈良坂の戦ありて後は、朝に兵事といふ事なかりしに、保元より乱れ初めぬも、時運のくだりぬる姿とぞ覚え待る。那羅は古書に乃楽又諾楽寧楽に作る事あり、然れども蹢跙と云うより起因すと云ふは信ずべからず、地名に因りて旧事を伝ふるが故に古人往々此種の語あり、惟ふに那羅は樹名楢に出でたるか、万葉集に「ふるころもき馴の山」とよみ楢の事を充てたる所あり。又ならの冠辞をば多く青丹吉と云へり、青丹は土の名なるべし、又平山(ナラヤマ)に造るは平均(ナラシ)の訓を仮たるのみ。
…吉田氏に言わせると、那羅(ナラ)の地名は、木の名前の楢から出たのではないか、と。
ナラ
ナラ(楢)とは、ブナ科 Fagaceae コナラ属 Quercus の木のうち、落葉性の広葉樹の総称。古くはハハソ(柞)とも。
…全然違いませんか?
先生、本当に大日本地名辞書をお読みになりましたか?
fmdoll89