半島と鬱陵島と竹島の位置関係
竹島の形状
鬱陵島の形状
以上より、形状及び地理的位置の特徴を整理すると、以下のとおりである。
- 鬱陵島と竹島は、90km程度(鬱陵島の東西の幅の10倍程度)の距離がある。
- 鬱陵島には、3km程度(鬱陵島の東西の幅の1/3程度)離れたChukdo-islandがある。
- 竹島は西島と東島の2つの主島から構成される。
上記をよく頭に入れて、朝鮮及び大韓帝国が作成した鬱陵島及び于山島(韓国が竹島と主張)の地図を見てみよう!!
1673年 朝鮮八道古今総覧図
于山島が鬱陵島の上(北)に位置しており、実際の位置関係と異なる。形状も竹島とは異なる。
18世紀初頭 天下??一覧誌図
于山島が鬱陵島の左(西)に位置しており、実際の位置関係と反対。形状も竹島とは異なる。
18世紀後半 朝鮮全図
于山島が鬱陵島のすぐ横(鬱陵島の東西の幅の1/4程度)に位置している。形状も竹島と異なり、現chukdoに比定するのが適切
18世紀後半 輿地図
于山島が鬱陵島のすぐ横(鬱陵島の東西の幅の1/8程度)に位置している。形状も竹島と異なり、現chukdoに比定するのが適切
19世紀前半 地図名不明
于山島が鬱陵島のすぐ横(鬱陵島の東西の幅の1/8程度)に位置している。形状も竹島と異なり、現chukdoに比定するのが適切
19世紀 朝鮮全図
于山島が鬱陵島のすぐ横(鬱陵島の東西の幅の1/8程度)に位置している。形状も竹島と異なり、現chukdoに比定するのが適切
19世紀前半 東国全図
于山島が鬱陵島のすぐ横(鬱陵島の東西の幅の1/3程度)に位置している。形状も竹島と異なり、現chukdoに比定するのが適切
1822年 海左全図
于山島が鬱陵島のすぐ横(鬱陵島の東西の幅の1/10程度)に位置している。形状も竹島と異なり、現chukdoに比定するのが適切
1899年大韓帝国 学部編集局作成 大韓全図
于山島が鬱陵島のすぐ横(鬱陵島の東西の幅の1/4程度)に位置している。形状も竹島と異なり、現chukdoに比定するのが適切
以上より、
朝鮮及び大韓帝国の地図で、竹島に比定可能な島が描かれたことはない。
一方、日本側の地図を見てみよう。
1724年の竹島松島之図
竹島の2つの島の構成(当時の名称は松島)や鬱陵島におけるchukdoや観音島の描画(当時の名称は竹島)も正確である。
あと、韓国人がよく「日本が竹島を朝鮮領と認定した」として提示する林子平の地図の拡大図を示す。
1785年 林子平 三国輿地路程全図
(拡大図)
左の大きな島は鬱陵島(当時の名称は竹島)であり、右上の小さな島は、位置及び大きさからchukdoに比定することが適切である。よって、韓国側の「竹島を朝鮮領と認定した」との指摘はあたらない。