シナリオ作家の今後について
少々過激な物言い



CardWirthは以前のような盛り上がりに欠け、衰退期と言われている。
筆者もそう思う。
この文章はその衰退期の原因を究明し、覆しちゃおうという文章である。
所々過激で、極端で、硬い文章があるが、一番伝わりやすい書き方をしたつもりだ。
このコラムがCardWirthを活性化させるのに役立てたら、それ以上の喜びはない。




概要

・シナリオ作者が楽しんで作れなくなった、その訳
・外野のあり方
・作者が楽しんで作るにはこれからどうするべきか
・終わりに




○シナリオ作者が楽しんで作れなくなった、その訳


概要を読んで頂くと良く分かるが、このコラムでは
「シナリオ作者が楽しんでシナリオを作る」事を主題としている。
筆者は、今はそれが難しくなっていると思う。
そしてその事自体が、CardWirthの衰退期を招いた原因じゃないかと思っている。


CardWirthをある程度知っているものは、
このコミュニティーが殺伐としていることに気が付いているだろう。

完成度の低いシナリオはこき落とす。
人気のある作家は理不尽な叩きに遭う。
初心者に平気で罵倒する。

そんな場所で、楽しんで創作が出来るか?答えは勿論「否」だろう。


では、なぜこんなに殺伐とした雰囲気が出来上がってしまったのか?
これについての意見はMUSANさんのコラムに詳しいが、簡単に説明するとこうだ。

「シナリオの敷居上げ」が有ったからである。


以前、CardWirthが爆発的な人気を誇り、コンピューター雑誌でも
バンバン取り上げられていた頃、シナリオの精度は一部を除いて無茶苦茶低かった。
自分でテストプレーさえせず、バグが沢山残っているシナリオが
平気でつぎつぎと投稿されていたのだ。
折角ダウンロードしても内容が楽しめる物でなく、時間を無駄にしてしまう。
プレイヤーは皆、辟易へきえきしていた。

そこで、「精度の低いものは投稿しにくくしてしまおう」と言う流れが起こった。
感想サイトやプレイヤーは、辛辣なことを平気で言うようになった。
制作技術に長けていないものは軽視されるようになった。
バランスについて暗黙の了解ができた。
精度の低いシナリオを作る作者を追い出しに掛かったのである。
いわば、強攻策だ。

強攻策には、当然弊害が生まれる。
この流れが作った物は何かを考えてみると、
・精度の高い物のみを排出するごく一握りのシナリオ作家。
・大多数を楽しませるシナリオ以外は投稿しないと言う風潮。
・一部のベテランの間で認識されている「バランス・常識」を押しつける風潮。
と、この様な物だろう。

素晴らしい作家を生み出した以外には、
以前の和気あいあいとした雰囲気を消し去り、
殺伐とした厳しい雰囲気を作り上げるための風潮しか残っていない様に思う。


これが、今なお続いている「楽しんで作れない」雰囲気の元凶だと思う。




○外野のあり方


ここでいう外野とはシナリオ作者に意見を言う人間全般を指す。
シナリオ作者に意見する人間のあり方、としても良い。


ある大御所感想サイトがやり出してからどんどん増えてきたように思うが、
シナリオを捕まえて単にこき下ろしたり詰まらない点を上げて終わりの意見が目立つ。
フリーゲームなんて、本人の収入になる訳でもないのだから、
人に楽しんで貰いたくて作るいわば「善意のかたまり」だ。

いつから人が真剣に作った物、善意で作った物を
平気で「詰まらない、クソだ」と言って良くなったのか?

そして、そんなことを言われて、その作者が本気で
「ありがたい、次から頑張ろう」と感じると思うのだろうか?
きっと「ここでは努力が正当に評価されない」と感じるに決まっている。
CardWirthの人口を減らしているのは、そういう人間なのだと思う。


詰まらないから罵倒したり忠告したりするのは
前々から「違う」んじゃないかと思っていた。
罵倒がいけないのは分かるが、忠告もいけないのかと疑問に思われる方もいるだろう。
忠告の仕方にもよると思うが、筆者は忠告も罵倒も
「相手に意見を押しつける」という意味で同じだと考える。
(相手を尊重し、真心を込めた忠告はその限りではない事を付け加えておく。)


「よりよい作品を作るためにはトゲのある言葉はしょうがない」と言う意見もあるが、
作品の精度を望んでいるのは、本当に作者なのか?
どうも筆者には一部のプレイヤーが望んでいるだけに思える。
さらに言えばその精度と言う言葉も、個人の価値観を押しつけているように思える。

楽しんで作った物を見て貰いたい、そして一緒に楽しんで欲しいと言うのが作者だろう。
人から押しつけられた物を作っている時点でそれは作業になる。
しかもそれで万人が満足するという訳ではないのだから、なおさら馬鹿らしい。
一番気を付けなければいけない「言われた相手が満足するか」と言うことすら忘れて
得意げに「作者のために言ってやった」というのを見ると、憤りすら感じる。


では、どうすればいいか?
「一切の評価をしない」ことがベストに思える。

わざわざ罵倒する必要はない。
凝ったもの、面白いものは取り上げる。出来の悪い物には触れない。
作者というのは敏感だから、そうなると評価されない事自体に意味を感じる。
これで十分なのだ。
淘汰を個人の力でしようとすると偏りが出るので危険だと気付かなければならない。




○作者が楽しんで作るにはこれからどうするべきか


1 テストプレー依頼について

過激な意見だが、初めて作ったシナリオはテストプレーも募らず、
投稿もしない方が良いんじゃないかと思う。

なぜなら初めて作ったシナリオは、大抵バランスが取れていないからだ。
それは、バランスについてどこにも明記されていないことが原因だと思う。
groupASK自体も数値を明記していないんだから仕方がない。

バランスをリューンやモンスター図鑑から分析すれば、明確な数字として意識することができるだろう。
だが、それはもの凄く疲れる。

とりあえずは、「作る喜び」を感じたまま、いくつか作る。
バランスを細かく調整するのは、それからでも良いと思う。
もちろん、調整したら投稿するのもOKだと思うし、ぜひ、そうしてほしい。
きっとそれは共感を生み、感想のメールなど、具体的な喜びに変わるだろう。

ベテランにバランスのことをまくし立てられて、シナリオ作りを降りた人も多い。
良い物を作ろうという意思とか根性が足りないと言うかも知れないが、
一円の得にもならないフリーゲームに、普通根性は使いたくないのだ。
よって、処女作からバランスについて厳しく言われることは、マイナスにしかならないと思う。

2 プレイヤーの存在をどう捉えるかについて

簡単に言ってしまうと、「プレイヤーは意識する。だが、気にしない。」と楽に作れると思う。
これは、プレイヤーを気にしすぎて自分の世界観をつぶしてはいけないよ、と言う意味だ。

上でも述べたが、人の意見を気にしすぎると、楽しい創作行為が単なる作業になってしまう。
「取り入れるべき意見は自分で決める。いらないものはいらない。」という
確固たるスタンスで臨むと、肩に力が入らなくて結構楽だぞ。

3 匿名の意見を気にしない

2ちゃんねるやCardWirthシナリオ匿名式 感想・雑談 掲示板など、
匿名で発言できる場所がある。
シナリオを投稿した作者はとにかく反応が欲しいから、
こういう匿名でバンバン意見の出る場所に足を運んでしまいがちだ。

はっきり言うと、ダメージを受けるだけなので、そういう場には行ってはいけない。

「匿名」というのは、「自分の発言に責任を持たないでいい」という意味だ。
つまり、どういうことか?
「無責任な発言をしても良い」と言うことなのである。

試しに、上のリンクから匿名掲示板に言ってみると良い。(自分のシナリオの評価を見てはいけない。)
ただ単にこき下ろしているだけの、愛のない意見のなんと多いことか。
これが平気で許容されているのだから恐ろしい。
大人が居ないのである。
人を傷つけるだけの下らない罵倒を訂正できる大人が居ないのである。
なぜか?
大人は皆、自分の発言に責任を持っている。匿名で物を言ったりはしないのだ。

「『糞だ』という一言だけの意見も、そう思った人間がいる事を表すから参考になりうる」という
無責任な発言までまかり通っているが、これには大々的に反論したい。
匿名でする単なる罵倒に、「意味」や「見解」はない。
本当に真意まで読み取れるプレイヤーに、そんな内容のない意見を参考にする物など居ない。
シナリオ作家がその意見を見て、「なるほど、参考になるな」などと本気で感じると思うのだろうか?
よって、「○○だから、即F9を押した」だとか「つまらん。クソだ」などの意見は、
個人の好みを披露しているに過ぎない、意味のない意見だと思う。

しかし、こういった心ない意見も、反応を渇望しているシナリオ作者には
大きなダメージになる。
感想を求めてこういった場に足を踏み入れることは、命取りになると言っても過言ではない。




終わりに

以上が、最近「シナリオ作者 Djinn(ジン)」の考えていることである。
勿論これは個人的な意見であるし、事実と違うこともあるかも知れない。
だが、作家のみんなが少しでも楽にシナリオが作れるようにと工夫したつもりだ。
これからシナリオを作りたい作家さんが、その努力に正当な評価をうけ、
「CardWirthやってて、良かったな」と思うことが出来る環境になることを、切に願っている。
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