【強制連行】韓国の近代史研究者の資質を問う
朝鮮_人慰安婦は「日本の官憲に奴隷狩りのように連れて行かれた」と いう話し、これは元々「徴用の際、奴隷狩のように連れて行かれた」という話が慰安婦にまで拡大され、元慰安婦側もこれに合わせる形で証言を変えたことにより 現在、韓国では慰安婦募集時に日本の官憲が奴隷狩のように強制連行したとするデマが定説のようになってしまった。
さて、今回は、慰安婦の話ではない。
この元々の 「徴用の際、奴隷狩のように連れて行かれた」との説の流布についてである。
この説が最初に流れたのは「朴 慶植 著 朝鮮_人強制連行の記録」であることは有名で、現在この本から子引き孫引きされ、韓国では「日帝は徴用の際、朝鮮_人を奴隷狩のように連れて行った」が定説となっている。
さて、「朝鮮_人強制連行の記録」に徴用の際の情景としてどのように書かれているのだろうか?197ページに出ているので、抜き出してみてみよう。
憲兵と共に釜山に上陸し、トラックを持って町を歩いている者、田圃で仕事をしている者など手当たり次第、役に立ちそうな人は片っぱしからそのままトラックに乗せて船まで送り、日本に連れてきた。ですから着替えも何もない、着たきり雀です。 |
この記述を見ると日本人の官憲が手当たり次第に奴隷狩のように朝鮮_人を連行したと読み取れる。
さて、このような徴用方法は事実としてあったのだろうか。
私は、あくまで個人的見解であるが、「一部事実とは違っている面はあるが、全体として これに近い形での徴用があった可能性が高い」と考えている。
もちろん、朝鮮全土でこのような徴用があったとすれば、すぐに反乱が発生してしまう。こういった徴用は、終戦間際に それも、ごく一部の地域に限ってあった可能性が高いと考えている。
さて、話を戻そう。
「朝鮮_人強制連行の記録」に書かれている「手当たり次第、役に立ちそうな人は片っぱしからそのままトラックに乗せて」というこの奴隷狩りのような行為についてである。
この内容を見ると、「日帝は酷いニダ!」と思うのも頷けるところである。
さて、実はこの本に書かれた「手当たり次第、役に立ちそうな人は片っぱしからそのままトラックに乗せて」という記述も元となった本がある。
それがこの本、「朝鮮新話」という本である。
この本、終戦直後に書かれた本なのだが、当時は日本のしてきたことがすべて悪いこととされていた時代だったので、その部分は割り引いてみる必要がある。反面 当時の事を記憶している人が多い中で書かれており、信用できる面も多いと考えらる。
さて、ここの記述を見てみましょう。
納得の上で応募させていたのでは、その予定数にはなかなか達しない。そこで郡とか面(村)とかの労務係が深夜早暁、突如男子のいる家の寝込みを襲い、あるいは田畑で働いている最中に、トラックを廻して何気なくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して、北海道や九州の炭鉱に送り込み、その責を果たすという乱暴なことをした。 |
これを見ると、労働人口の少なくなっていた終戦間際には、かなり際どい方法で徴用していた可能性があることがわかる。
また、韓国人の徴用のイメージの元となっている「朝鮮_人強制連行の記録」の記述もあながち嘘でないことがわかる。
しかし!
この後の記述を見落としてはいない。この記述の直後に 下のように書かれている。
ただ総監がそれまで強行せよと命じたわけではないが、上司の鼻息を窺う朝鮮出身の末端官史がやってのけたのである。 |
「朝鮮_人強制連行の記録」の著者 朴 慶植氏は、この部分を意図的にか省略し引用することにより、いかにも総督府全体で組織的に奴隷狩りを行ったように印象操作しているのである。そして、この記述を更に子引き孫引きし、日本が組織的に奴隷狩りを行ったことが定説となっていったのである。
果たしてこのような引用の仕方は正しいのであろうか。
朴 慶植氏は、こうした朝鮮出身の末端官史の行動が事実であったのか確認の後、朝鮮出身の末端官史を統制できなかった日本の責任を問うべきである。
朴 慶植氏の日本人官憲が行ったと印象操作を行うのは研究者として間違った姿勢である。
また、更に、子引き孫引きする場合、元の記述を確認するのが研究者の責務である。
上記のようなことは、研究者の基本の基本である。
日本人による奴隷狩のような強制連行を提唱する研究者は、研究者の基本が出来ていないと断定しても間違いではないであろう。