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南大門雪像図案

ここは、国際親善の広場「HBC大韓民国広場」です。韓日両国は、1965年12月に基本関係条約を締結し、国交正常化されました。その後の両国関係強化も、独島(日本名=竹島)や過去の問題等のため必ずしも平坦な道のりではなかったですが、1998年10月の金大中大統領の訪日及び1999年3月の小渕総理の訪韓は、両国が過去に区切りをつけ、21世紀に向けたパートナーシップを構築していく強化のための具体的な交流が進められました。政府間では、様々な機会に首脳会談、日韓閣僚懇談会、外相等閣僚級の個別会談を行う等ハイレベルの政治対話が間断なく行われ、緊密な関係が維持され、2009年は「日韓文化交流10年」での大きな契機となり、首脳間で策定された「共同宣言」及び「行動計画」に基づき、協力関係年の年にあたります。また、2008年2月福田総理大臣が李明博(イ・ミョンバク)大統領就任式に出席。首脳会談し「シャトル首脳外交」「日韓両国経済関係強化」、交流では、若者交流を含む人的交流を一層拡充することが重要であると認識で一致しました。HBC広場となってからまだ一度も韓国を取り上げたことがないことから、第60回の記念すべき年の雪まつりに、広場を「HBC大韓民国広場」ソウル市内に建つ「崇礼門(すうれいもん)略称・南大門」を大雪像にしました。
崇礼門は、1398年にソウルの都城を取り囲んでいた城郭の正門として建立され、朝鮮の首都、漢陽(ハニャン、現在のソウル)に入るための門の役割を果たしてきました。当初、門のまわりは民家が密集していましたが、1907年、城郭が壊され、道路が建設されました。朝鮮戦争(1950−53)により破損はありましたが、1961年から63年までに復元工事がなされ、62年に国宝第1号に指定されます。そして復元後、火災までその姿を維持することになります。縦に描かれた「崇礼門」の文字、城門の扁額(へんがく、門に掲げられた額)は普通横書きなのに対し、崇礼門は縦書きになっています。これは当時、崇礼門から見える冠岳山の姿が炎の形に似ているため「門から火の気が入ってくる」と恐れられていましたが、風水学により文字を縦に長く書いて城門の下をふさげば良いとされたからです。そして、その言葉通り南大門の周辺は大きく栄え、現在の南大門市場へと発展したのですが、2008年、誰も予想しなかった惨事に見舞われ崩壊してしまった国宝第一号の崇礼門は韓国人のみならず多くの観光客に親しまれてきた名所であっただけに、国内外に大きな衝撃をもたらしました。
崇礼門がソウル市民とともに歩んできた、600年以上の歴史を雪像で表現しています。

企  画    HBC北海道放送
製  作    陸上自衛隊北部方面通信群 第101中枢交換通信隊
協  力    ANA・大韓民国大使館

  大雪像「崇礼門(すうれいもん)略称・南大門」 中雪像「滑り台」
高さ 15m 3.5m
横幅 27m 3.5m
奥行き 20m 3.5m
縮尺 約4/5  
雪の量 3,000m3  
使用車両数 (5tトラック)のべ518台  
製作人員数 3,400人