もう一つの狂信的テロ!
私が思想運動上の師である瀬戸弘幸と出会い、上京したのは平成7年(1995年)3月23日のことだった。
この当時、東京は言うに及ばず世間はオウム事件に揺れている真っ只中だった。地下鉄サリンという猛毒ガスを用いた未曾有の無差別テロ事件に日本中が震撼させられたことを思い出す。
特にこの平成7年は「オウムに明け、オウムに暮れた年」と評されたものだ。
しかし、この一方でオウムより遥かに強大で狂信性を秘めた宗教団体によるテロ謀殺事件があったことを世間の大方は知る由もなかったのではないか。
東村山市議会で創価学会問題を徹底追及していた朝木明代市議(写真左)がビルの6階から転落死!
朝木市議はその直前、東村山駅付近の洋服店から万引きをしたとして警視庁東村山警察署にその罪を問われ、一貫してこれを否認していたものの、同署はこの事件を苦にしての「自殺である」と断定。
だが、この万引き事件には不可解な点が多く、不確かな目撃証言を基にしており指紋採取も行なわれない杜撰な捜査であったことや、事件があったとされる当日の同時刻、朝木市議は別の場所で会食をしていたとの事実がある。
こうしたことから故朝木明代市議の転落死は何者かによる謀殺で、万引き事件は自殺を演出するための「でっち上げ」であったと思われる。
それから13年後、瀬戸弘幸BLOG「日本よ何処へ」や『主権回復を目指す会』を中心とする「行動する保守」勢力は東村山駅前で故朝木市議の謀殺そして自殺に至ったとされる洋服店での万引き事件の真相究明に向けた街頭行動を行なったものだが、その過程で元東村山警察署副署長の千葉英司氏(以下敬称略)に対する「名誉毀損」があったとされ、一連の行動を主導していた西村修平氏が民事で訴えられた。
その第一回裁判が平成20年11月13日に東京地裁八王子支部で行なわれたものだが、この程度で怯むわけにはいかない!
当日、JR八王子駅前で創価によると思われる故朝木市議の謀殺や万引き事件のでっち上げを究明するべきとの街頭行動を展開したものだ!
13日早朝、『主権回復を目指す会』の西村修平代表宅(千葉県柏市)の2階ベランダに人糞と思しき汚物が置かれているのが発見された!
すぐさま、警察に通報!
明くる14日の朝、またしても同様の手口で人糞が置かれていた!
2日連続の住居不法侵入事件であり嫌がらせ行為であるにも関わらず、原因が「創価学会問題への追及である」としたせいか、千葉県警柏署の腰は重い。
これより以前、都内に住む三十代の既婚女性が近隣住民による犬の放し飼いを注意したところ、相手の男が暴力行為をちらつかせる暴言を吐いたため、相談を受けた西村代表がこの女性を伴って警察に赴くなどして徹底した対処を求めたという。
この時、「警察の動きは早かった。きちんと近所への聞き込みを開始して、相手の男への対処など素早い対応で女性の安全が守られたものだ」と西村代表が話す。
それに比べて、創価絡みとなると警察特に上層部の対応も何かを恐れて鈍くなるのだろう。
西村代表と瀬戸弘幸、私の3人で柏警察署を訪れ、早期の対応と捜査への着手を求めた。これに対して同署生活安全課の刑事は「本日、赴きます」としたものの、それから1時間半を経ても現場検証にさえ来ない…。
西村代表が柏署に電話を入れたところ、ようやっと刑事と鑑識班が訪れるという有り様だった。
「今まで同様の被害を受けた創価学会元信者らは、おそらく警察のこうした対応によって泣き寝入りで済まされてきたんだろう。
とにかく騒がなきゃダメ! こっちが警察署まで行くなりして警察の上層部まで動かさないと。
これまで多くの人が創価による被害で泣き寝入りしてきたと思うが、ここで毅然と戦える奴がいるということを示さないと、ますます連中を増長させるだけだ」
自身がその第一人者として体を張る決意を西村代表は改めて示した。
写真左:西村代表宅の2階ベランダに置かれた人糞が乾燥、変色することを防ぐため新聞紙を覆い被せたが、警察が遅々として来ない中、被害者が自ら証拠保全と状況検分に務めるとはどういうことだ!?
写真下:ようやく警察による証拠撮影や指紋採取など現場検証が開始された
一連の成り行きを見守り、ともに警察側に申し入れを行なった瀬戸弘幸が自身の創価学会にまつわる回想を話した。
まだ自分が幼かった頃の昭和三十年代前半…、当時、全国各地で狂信的な布教活動を推進していた創価学会信者2人が近隣の家々をまわっては「神仏を拝むな」だの「仏壇を焼き払え」などという罰当たりな布教活動を展開していたという。
仏様となったご先祖、そして神々への感謝と畏怖の念に重きをなしていた農村の住民らは怒り心頭に。
「うちのオヤジも怒って、うちに来た2人の創価学会員に『出て行け!』と怒鳴ったんだよ」(瀬戸弘幸)
やがて大雨が降ってきた最中、何と、さんざん罰当たりな布教活動をしていた2人の創価学会信者が近くの神社で雨宿りをしていたという。
それを見た農村の人々が「さっきまで神棚を捨てろと言っておいて、神社で雨宿りか!」と怒りに怒って、大雨の中を傘もなく、神社で雨宿りをしていた創価学会信者2人を大勢で取り囲み、掴みかかって引きずり出し、大雨の中へ放り出したという。
「手荒なことをして2人の創価学会信者を追い立てたが、近所の農村の人々は普段はごく普通の温厚な人ばかりだった。
その温厚な人々でさえ、布教をしに来た創価学会信者に対しては怒り狂った。
あの光景は幼心に覚えいているが、近所の人々の怒りは凄まじかった」(瀬戸弘幸)
話を聞いていた西村代表が言う。
「その当時の日本人には普通の人でも、まだそれくらいの気骨があったんだよな。
今は日本人からそういう気骨が失せてしまったからカルト宗教のやりたい放題になっている」
カルト宗教とそれらによる増長を招いた原因は、ちょっとした嫌がらせに人々が怯んでしまった、そしてそうすることが当然になってしまったことにもあると西村代表宅を襲った「事件」は物語ってもいるようだ。
そして、その前日の裁判に話を戻そう。
証拠など必要書類の提出のみで閉廷した第一回目公判で、グレーのスーツ、シャツ、ネクタイという出で立ちで出廷した原告側の千葉英司は終始、西村代表と目を合わせようとはしなかった。
時折、深く息を吸い込むなどして平静を装う姿勢が虚勢に思えた。
開廷前、ドアを開ける直前の千葉英司は明らかに顔面蒼白だったという。
何せ、裁判所の廊下にいたのは西村代表の支持者ばかりだ。これまで創価学会のシンパとして、また地元警察署の副署長としての権威を振りかざしてきた頃と状況が異なることに焦りを感じているのだろうか。
今、創価というカルト集団に、ごく普通の日本人が総力を挙げて反撃すべき時に来ていると思う。
八王子駅前での街頭演説が終了後、たちまち通行人から拍手が沸き上がったことも、時代の変化を象徴しているように思えた。
終了後、裁判所敷地内にて西村代表の弁護を引き受けた弁護士・田中平八先生が五十人近くに上る支持者らを前に述べた。
「私は西村さんが追及したこと(創価と千葉英司の関係、故朝木による万引き事件が創価による『でっち上げ』であるとした見解)は事実であると確信しております。
たとえ、それが事実ではなかったとしても、事実であると考えるに至る客観的な事由はあったと確信しております。
創価学会による数々の悪行は私も聞き及びました。
今後、私どもの事務所に対しても、様々な嫌がらせや妨害があるやも知れません。
それでも、如何なる立場からも創価学会による悪行を満天下に曝け出さなければならないのです。
西村さんが追及されたことを裏付けるべく、亡き朝木市議による万引きが仕組まれたものであることを何としても究明していきます」
カルト創価との戦いの火ぶたは切って落とされたのだ。
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◆創価学会の全てを知る第一人者が語る驚愕の真実!
「政治と宗教を考えるシンポジウム」第三弾
題名:「朝木明代さん事件の全貌を語る」
講師:ジャーナリスト・乙骨正生
http://www.forum21.jp/index.html
日時:11月16日(日) 午後6時会場 6時半開始
場所:文京区民センター 2A会議室
(注意 シビックホールではありません)
03−3814−6731
都営地下鉄三田線・大江戸線 春日駅 徒歩1分 、東京メトロ丸の内線 後楽園駅 徒歩3分 JR水道橋駅 徒歩7分
創価学会が深く関与したのではないかと大きな疑惑を呼んだ東村山女性市議・朝木明代さんの転落死事件は、今も「東村山の闇」として人々の記憶に残っている!
それは事件直後から、創価学会関係者らによる「朝木明代議員は万引きを苦にして自殺した」との流布である!
中でも最たる疑惑は、東村山警察署が関わった「転落死」捜査過程の杜撰さと共に、千葉英司元副署長が捜査に深く関わった「万引き事件」が限りなくでっち上げに近いことを証明する数々の証言と証拠である!
「万引き事件」がでっち上げだとすれば、転落死は「自殺」ではなく何者かによる他殺でしかあり得ない!
【呼び掛け】
主権回復を目指す会、せと弘幸Blog『日本よ何処へ』、NPO外国人犯罪追放運動、在日特権を許さない市民の会、外国人参政権に反対する市民の会・東京
【連絡】
西村(090−2756−8794)
有門(090−4439−6570)