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本書には、見慣れない専門用語がいくつか出てきますので、ここに、改めてノートしておきます。( )内はページ。
(1)ミシュナMishnah(p.ⅰ) 法伝承の集成。
(2)タルムード(p.ⅰ) 学習を意味するヘブライ語。
(3)ラビ(p.ⅰ) 賢者の意。
(4)トーラーTorah(p.ⅲ) 律法。
(5)シャハリート(p.6) 朝の礼拝
(6)ハラハーHalakhah(p.9) 中世のユダヤ人社会
(7)ディアスポラ(p.12) 離散の意。
(8)ミツヴォー(p.14)ト 戒律。
(9)アガダー(40) 逸話。
【講演要旨】日本の原子力開発には、その歴史的なミクロ分析をしてみると、いたるところに、行政側による"奇妙な仕掛け"がしてあり、ひとつは、表面的には、自主技術を掲げているものの、行政側にその気がまったくなく、官僚的で形式的な組織と人材配置は、なされているだけで、まったく形骸化された政策・組織・業務が遂行されてきており、普通に業務をこなせば、たとえ、どのような不祥事が生じたとしても、日本独自の技術で構成される商業炉に結び付くような動力炉の技術的な信頼性が証明できても当然と受け止められるものと推察されますが、現実は、それとは大きな隔たりがあり、その反面、米国からの導入技術に全面的な信頼と改良による経済性・信頼性向上計画を推進し、さらに、もうひとつの"奇妙な仕掛け"として、日本を代表するふたつの公的原子力機関の取り扱いについては、ふたつの組織(日本原子力研究所(原研と略)と核燃料サイクル開発機構(サイクル機構と略、それは、国産動力炉開発を目的に特殊法人原子燃料公社を改組して動力炉・核燃料開発事業団(動燃と略)とし、さらに、1997年に発生した核燃料再処理施設附属施設の火災・爆発事故の社会的責任のひとつとして核燃料サイクル開発機構となりましたが、後者の一連の組織名には、行政的に大きな意味が意図され、隠されており、それは、組織名に決して「研究」という名称を掲げさせなかったことであり、それが許されたのは原研のみで、これまでの通算産業省やそれを引き継いだ経済産業省の業務にも、決して、研究という名称は、絶対に許されておらず、「整備」とか「実証試験」というような曖昧な名称が当てられていました))の創設日からちょうど半世紀経った日をふたつの組織を統合した独立行政法人日本原子力研究開発機構(原子力機構と略)の創設日とし、その政治的目的は、すでに1990年代半ばには、曲がりなりにもその創設目的を達して(ウラン精錬関連施設、ウラン濃縮遠心分離器試験実証施設、核燃料再処理施設、新型転換炉原型炉「ふげん」、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(まだ、不要になったわけではないが、近い将来、廃炉も視野に入れた明確な方針は、示す必要があります))、行政側ですら後片付けという取り扱いに困っていた動燃の20-30年をかけての施設解体(核燃料再処理施設や「ふげん」については、被ばくを少なくして、作業をしやすくするために、少なくとも約10年放射能減衰させ、そのほかの原子力施設についても、同様の判断をしなければなりません)・人員整理等に置かれていること、すなわち、新規業務の拡大ではなく、不必要になった施設の処分を確実にタイムスケジュールに乗せることくらいは、関係者にとっては、当然過ぎるほど当然な解釈の仕方であり、結論です。
私(桜井淳)は、これまで、英文の聖書や日本語の聖書の解説書を読んだことはあるものの、決して一般的ではない「ユダヤ教」(世界宗教ではなくて、いまのイスラエル地域に限定して発展した宗教であり、モーセは、イスラエルの民をエジプトからイスラエルに導き、旧約聖書の時代を経て、キリスト教誕生の母胎となっていました)の論文集や解説書を読んだことは、一度もなく、すべて、初めてずくしの連続であり、そうなった原因は、2009年1月15日、神学の研究を志して、東大本郷キャンパス法文二号館の中にある東大大学院人文社会科学系研究科のH先生を訪問した時から始まり、本書を読んだことは、ついに、研究の具体的な第一歩を記すことになったに等しく、大変感激すると共に、見慣れない用語が出現し、難解ではあるものの、絶望的なほど分からなくはなく、それどころか、ユダヤ教の特徴と体系、歴史的発展と停滞、研究の着目点と研究の基本的手法が手に取るようによく分かり、求めていたこれほどよい的確な教科書が早い段階に手に入り、一気に読み進み、今後の方針を定めることができたことは、まさに、奇跡的な出来事であって、いま、深い癒しと安心感に浸っていますが、本書の内容と目的は、以下のように示すことができ、
目次
はじめに
イスラエル・パレスチナ地図
地中海周辺地図
序「我らのラビ・モーセ」に倣いて
第1章ユダヤ教の正統性
第2章タルムードと自治社会
第3章自由と戒律
第4章偶像崇拝との闘い
第5章神への愛
第6章罪と赦し
第7章神秘の力
第8章自治の終焉
第9章聖書解釈の行方
第10章聖書と現代
おわりに
初出一覧
「本書の目的は、キリスト教出現以後に発展するユダヤ教の、とりわけ、ミシュナ、タルムード(普通名詞としては学習の意、引用者)という法律議論を聖典の中心にすえたユダヤ人の精神構造と思惟方法の研究である」(p.4)、ここに収録してある10編の論文は、市川先生が、イスラエルのエルサレムにあるヘブライ大学大学院に3年間留学(東大大学院人文社会科学系研究科博士課程休学期間)していた頃の研究への視点であって、論点は広範囲に及び、単にユダヤ教の体系や歴史のみならず、キリスト教や法華経等の他の宗教との比較をとおし、ユダヤ教の特徴と本質に導き入れており、また、各部に挿入された写真から、イスラエルの今昔の歴史的遺跡によって、生活の中に入り込んでいる宗教の深さが理解できるように感じ、ただ、一度だけでなく、何度も繰り返し熟読吟味することにより、確実に何かをつかめそうに感じています。