このブログは桜井淳水戸事務所と桜井淳カリフォルニア事務所の(1)業務内容(2)桜井淳個人情報(3)米国での活動内容(4)専門家養成のための学術セミナー開催案内等を掲載するHP代わりの硬いブログです。スタッフが交替で最新情報の更新や新項の追加をしています。 各項を順序よく読むと(a)事務所業務内容紹介(b)桜井所長学歴(c)哲学(d)著書(e)学術セミナー(f)米国での活動内容等、情報の価値が分かります。ここに記載した情報の信頼性は、他のいかなる組織・団体・文献・電子情報よりも、格段に高く、すべての判断基準になります。情報の信頼性については両事務所のスタッフがすべて責任を負います。著作権・情報のオリジナリティを確保するため、本ブログの内容のコピー・事実関係の引用・電子媒体へのリンク等は、すべて禁止します。不正行為を確認した場合には米国感覚で法的手続きを行います。事務所への連絡・メッセージは、各項の欄外のメールマークをクリックすれば、わかるように、アメーバ会員に手続きすれば、誰でも、自由にできます。ただし、送信者の身元は、サイバーエージェントによって管理されています。
私(桜井淳)は、これまで、英文の聖書や日本語の聖書の解説書を読んだことはあるものの、決して一般的ではない「ユダヤ教」(世界宗教ではなくて、いまのイスラエル地域に限定して発展した宗教であり、モーセは、イスラエルの民をエジプトからイスラエルに導き、旧約聖書の時代を経て、キリスト教誕生の母胎となっていました)の論文集や解説書を読んだことは、一度もなく、すべて、初めてずくしの連続であり、そうなった原因は、2009年1月15日、神学の研究を志して、東大本郷キャンパス法文二号館の中にある東大大学院人文社会科学系研究科のH先生を訪問した時から始まり、本書を読んだことは、ついに、研究の具体的な第一歩を記すことになったに等しく、大変感激すると共に、見慣れない用語が出現し、難解ではあるものの、絶望的なほど分からなくはなく、それどころか、ユダヤ教の特徴と体系、歴史的発展と停滞、研究の着目点と研究の基本的手法が手に取るようによく分かり、求めていたこれほどよい的確な教科書が早い段階に手に入り、一気に読み進み、今後の方針を定めることができたことは、まさに、奇跡的な出来事であって、いま、深い癒しと安心感に浸っていますが、本書の内容と目的は、以下のように示すことができ、
目次
はじめに
イスラエル・パレスチナ地図
地中海周辺地図
序「我らのラビ・モーセ」に倣いて
第1章ユダヤ教の正統性
第2章タルムードと自治社会
第3章自由と戒律
第4章偶像崇拝との闘い
第5章神への愛
第6章罪と赦し
第7章神秘の力
第8章自治の終焉
第9章聖書解釈の行方
第10章聖書と現代
おわりに
初出一覧
「本書の目的は、キリスト教出現以後に発展するユダヤ教の、とりわけ、ミシュナ、タルムード(普通名詞としては学習の意、引用者)という法律議論を聖典の中心にすえたユダヤ人の精神構造と思惟方法の研究である」(p.4)、ここに収録してある10編の論文は、市川先生が、イスラエルのエルサレムにあるヘブライ大学大学院に3年間留学(東大大学院人文社会科学系研究科博士課程休学期間)していた頃の研究への視点であって、論点は広範囲に及び、単にユダヤ教の体系や歴史のみならず、キリスト教や法華経等の他の宗教との比較をとおし、ユダヤ教の特徴と本質に導き入れており、また、各部に挿入された写真から、イスラエルの今昔の歴史的遺跡によって、生活の中に入り込んでいる宗教の深さが理解できるように感じ、ただ、一度だけでなく、何度も繰り返し熟読吟味することにより、確実に何かをつかめそうに感じています。
【講演要旨】日本の科学技術政策研究者の中には、何を勘違いしてか、日本の原子力開発において、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の役割を、殊の外、過大評価している者がおり、開発の中心的役割を果たしたと位置付けていますが、実際には、そのような事実はなく、何もしておらず、あえてその役割を記せば、莫大な国家予算を学界・公的機関・原子力界に分配したにすぎず(いわゆるトンネル機関)、人的資源は、すべて、公的機関や原子力界から出向と言う形で供給され、たとえば、ナショナルプロジェクトによる核燃料サイクル施設の主要技術の開発において、ウラン濃縮遠心分離器・国産動力炉・核燃料再処理施設の開発のうち、前二者のように国内メーカー依存か後者のように輸入技術依存に過ぎず、特に、ナショナルプロジェクトの中心的存在の国産動力炉開発(初期の頃の技術開発を担当した原研でさえ、独自の技術はなく、海外の開発例を参考にして構築した模倣技術にすぎませんでした)においては、実用技術に結び付くような技術の展望は、最初から存在しておらず、新型転換炉原型炉「ふげん」(釈尊(分かりやすく言えばお釈迦様)に使えた救済の賢者としての普賢菩薩)と高速増殖原型炉「もんじゅ」(釈尊に使えた智慧の象徴としての文殊菩薩)のように、40年間も費やしても、開発予算に匹敵する価値のある技術は、何ひとつ残せず、そのような技術しか残せない機関が、果たして、中心的と位置付けられるであろうか(科学技術政策研究者は、誰ひとり、失敗の原因分析すらしていません)、ちょっと考えてみれば、分かるほど初歩的事項のように思えるのですが、日本の原子力界は、特に、動燃は、動力炉開発の精神構造の仏教(紀元前5世紀頃、インドのガンジス川の中流地方において、釈尊によって、人間の苦悩の解決の道として拓かれました)思想さえ生かせないほど、初歩的哲学すら身に付けていなかったのです。