2008/5/14
「はじめに」
厳密に言えば,アダム(正確にはエリドウの守護神であるエア神が創造したアダバが一応正しい)は何か新しいことを覚えるのではなく,自分の裸体を悟り善と悪の区別を意識するのだ。同様に歳をとってゆく人間は知らないことを何か習うのではなく,新しい次元の中で,新しい照明のもと悲しい真理を発見するのだ。
(ウラジミール・ジャン・ケレビッチ「死」)より
ようこそ「OUT OF EDEN」へ。Zecharia Sitchinは神について最初に疑問を持った。聖書はまた疑いようもなく聖書だが,我々は常に神の名の正義に疑問を抱き,それを出発点とするならば人は正しく堕ちきることが出来るだろう。Sitchinでさえ紀元前45万年前から一万三千年前の間に宇宙人がこの地上にやってきて人類を創造したと子どもじみた仮説を打ち立てた拠りどころは銅板に描かれた楔(くさび)形文字であったがそれが正しいかなどは知るよしもない。宇宙人という物語を入れないと本は売れないのである。
なお,本ブログを読まれる方は,並行して,未来社の「開かれた社会とその敵上・下」カール・R・ポパー著を出来るだけお読みください。
坂口安吾という人は「堕落論」でこう言っている。「人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできない。防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き,人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり,生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。........人は正しく堕ちきることが必要なのだ。......堕ちきる道を堕ちきることによって自分自身を発見し,救われなければならない」と。
若くして夭折したRaymond Radiquetは「肉体の悪魔」の中でこう書いている。
「望みをすべて叶えてしまうと(マルクとの愛欲),自分が不当な人間になっていくような気がした。.....人の心に理性にはない道理があるとすれば,それは理性が心ほど思慮深くないからだということを認めなければならない。.....ところが現実には,道徳にさえ背かずにつねに同じ型を追いかけていられるのは,愚かな者達ばかりだ」<松本百合子訳>
世間に最も広く流布されている迷信の一つは,人間というものはそれぞれ固有の性質を持っているものだということである。すなわち、善人とか,悪人とか,愚者とか,精力的な者とか,無気力な者とかに分かれて存在しているという考え方である。
だが,人間とはそのようなものではない。ただわれわれはある個人について,あの男は悪人でいるときよりも善人でいるときのほうが多いとか,馬鹿でいるときよりもかしこいときのほうが多いとか,無気力でいるときより精力的であるときのほうが多いとか,あるいはその逆のことがいえるだけである。
かりにわれわれがある個人について,あれは善人だとか利口だといい,別の個人のことを,あれは悪人だとか馬鹿だとかいうならば,それは誤りである。それなのに,われわれはいつもこんなふうに人間を区別しているが,これは公平を欠くことである。
人間というものは河のようなものであって,どんな河でも水には変りがなく,どこへ行っても同じだが,それぞれの河は狭かったり,流れが速かったり,広かったり,静かだったり,冷たかったり,濁っていたり,暖かだったりするのだ。
人間もそれと全く同じ事であり,各人は人間性のあらゆる萌芽を自分の中に持っているのであるが,あるときはその一部が,またあるときは他の性質が外面に現れることになる。そのために,人々はしばしばまるっきり別人のように見えるけれども,実際には,相変わらず同一人なのである<トルストイ・復活59章>より
「狼が羊を食うとき,どのようにして近ずき,どのようにして襲い,どこに最初に噛み付き,殺したあとどこから食べ始める〜ということは,たいへん正常で,かつ論理的だ。狼にとっては,この正しさと論理性は何の疑問もさしはさむ余地はない。狼にとっては,羊は食べられる運命であり,そのように創造された生物だ。
だが羊の理論は,そうではない。狼の視点から正常かつ論理の一貫した世界は,全部異常かつ非論理的である。.......日本ほど平等な国はないと思っている超高級花嫁学校の正常な生徒たちよ。....超高級花嫁学校に,超高級授業料を払って,ますます正常な人間へと自分を堕落させてゆくことのアホらしさに気ずくだろう。反対に羊の論理にあくまで目をつぶって「見えない人間」の存在を無視するのであれば,もはや「正常」と「異常」とが力関係を逆転されるときまで,すなわちいやでもわからせられるときまで,そのアホらしい,たぶんシアワセな生活を,このままつずけることだ」<本田勝一著:殺す側の論理>より
シュメール最古の町エリドウの祭司王アダバ物語は一介の漁夫が祭司王になったいきさつを一つの「訓話風」に作り伝えているがそのアダバ物語と「エンキとニンフルサグの神話」をヒントに両者を合わせてシュメール叙事詩風にアダムとエバの物語を作ったという。しかしそれだけでは充分でない。弁証法的理性批判をめぐってJ・Pサルトルと論争をしたクロード・ギュスタフ・レビンのように構造主義的考察が必要である。したがってMitochondrial Eve・人類アフリカ単一起源説からGiorgio de SatillanceのHamlet's Mill(ハムレットの水車小屋)で述べられている春分点歳差(Vernal Equinox Precession)などやStephen Oppenheimer氏のOUT OF EDENを原点とした旅をしてみようと思う。私としてはすでに結論が出ているが再確認の意味もある。そうすることによって初めてカルタゴ以来の国際金融資本家たちが時間をかけ神の名の正義のもと宗教神話を巧みに利用して社会を操作・操縦・支配してきた構図がはっきりとしてくるだろう。それはほかでもなくあらゆる犯罪が神の名の正義のもとで正当化される。宗教神話は真実として受け入れられなくてはならないがそれは各人の精神心理の中枢部へ入り込み拡散する。そしてそれがうまく機能することによって真実(神聖詐欺)を知るごく少数の人間達のみがThesis+AntiThesis=a de fact"Synthesis(正・反・合)を巧みに操りながら戦争を仕掛け莫大な富を築きあげ世界を支配している現実がほぼ完璧に理解出来るでしょう。
In the Sumerian epic entitled Enmerkar and the Lord of Aratta, in a speech of Enmerkar, an incantation is pronounced that has a mythical introduction. Kramer's translation is as follows:
Once upon a time there was no snake, there was no scorpion,
There was no hyena, there was no lion,
There was no wild dog, no wolf,
There was no fear, no terror,
Man had no rival.
In those days, the lands of Subur (and) Hamazi,
Harmony-tongued Sumer, the great land of the decrees of princeship,
Uri, the land having all that is appropriate,
The land Martu, resting in security,
The whole universe, the people in unison
To Enlil in one tongue [spoke].
(Then) Enki, the lord of abundance (whose) commands are trustworthy,
The lord of wisdom, who understands the land,
The leader of the gods,
Endowed with wisdom, the lord of Eridu
Changed the speech in their mouths, [brought] contention into it,
Into the speech of man that (until then) had been one.
かつて、蛇も、さそりも
ハイエナも、獅子も、
野生の犬も、狼も存在せず、
恐れも、恐怖もなく、
人間に敵するものはなかった。
かつて、シュブール(Subur)とハマジ(Hamazi)の国には、
王子の法によって治められる偉大なる地、シュメールと、
同じ言葉を話す人々が住んでいた。
また、ウリ(Uri:アッカドをさす)は、すべてがしかるべくあり、
マルトゥ(Martu:アムル人の国)は、安らかであった。
世界全体は、神エンリルのもとでひとつの言葉を話し、
調和のなかにあった。
そのとき、多産・豊穣の主であり、
知性の主であり、地を知悉する者であり、
神々の指導者である神エンキは、
エリドゥの主に知恵を授け、
ひとつの言葉を話す人間たちの
口から出る言葉を変えさせ、争いをもたらした。
シュメール叙事詩「エンメルカルとアラッタ市の領主」より。
Honest people what they what they honestly experienced but not uniformly for the better. A lie can change someone......The following Video had been directed by Elliot Nesch.
このビデオはZeitgeist RefutedでZeitgeist Movieとは異なります・
Three Young Protesters on 1,700 mile trek to "Impeach the President and End
the War" Arrive in Baltimore on Monday, September 3
Three Young Protesters on 1,700 mile trek to "Impeach the President and End
the War" Arrive in Baltimore on Monday, September 3
Three marchers who have walked as far as 1,700 miles in their journey to
Washington, D.C., to demand peace and impeachment, will arrive in Baltimore on
Monday, September 3rd. Mario Penlaver, Gordy Heuer and Elliot Nesch arrived in Hagerstown this past week, and are now walking along Route 144 on schedule to
arrive in Baltimore on Monday. They will then march south on Route 1, with
plans to spend time in Laurel, College Park and in Washington, DC on the Howard University Campus before joining other protesters on Capitol Hill on September
11. They will be speaking at a public event at 2640 St. Paul St. on Monday night. A pot luck supper will begin at 6:00 P.M. The event is at 2640
St. Paul St ., Baltimore, MD. Admission is free, but donations are welcome.
Mario Penalver, a University of Chicago student, is tired of waiting for the
politicians to act to end the war. With a deep belief in the American people,
he started his march in Chicago in April. Encountering some opposition in 'red' states, he says he spoke to them as one midwesterner to another. "Our leaders
tell us that they are waiting for a convenient time to deal with our nation's
injustice," says Penalver. "In reality that is the very reason why we are not
dealing with that injustice at all. We are held hostage by waiting. Until we
realize that injustice is a never-ending shackle of 'tomorrows,' this war in
Iraq and the military complex that supports it will always be with us."
Gordy Heuer of Pittsboro, North Carolina, heard of the march from his father,
John Heuer. Watching his town become devastated by a lack of social services
and abundant unemployment, Gordy decided he needed to take a stand against the
cost of the war at home. Gordy stated, "We are building bombs and war machines
instead of taking care of our own people."
Elliot Nesch, founder of Beit Shalom Ministries, has walked the furthest,starting in Denver, CO, on March 1st, 2007. "As a man of faith, I set out onthis 1,700 mile journey to talk with other Christians." Not understanding howChristians can support war, he is hoping to convince other ministers to start teaching the words of Jesus and not condone the Bush administrations words ofwar.
http://marchofthepeople.org/index.php
※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。