Print this Post Article Lists Back

ピンチにチャンスを見いだす国:海外から穀物を調達する日本(下)

穀物戦争―「恐怖の収集商」全農

◆自国の耕地面積のほぼ3倍を確保している日本

 日本が穀物獲得のため乗り込んだのは、米国だけではない。70年代は不毛の地だったブラジル北東部の熱帯草原地帯セラードがブラジルの大豆の全生産量の半分を占めるようになったのも、日本の力だ。73年に米政府が大豆の輸出を禁止したのにともない、大豆の96%を米国からの輸入に頼っていた日本は大きな打撃を受けた。だが、ピンチはチャンスになった。日本はブラジル政府と手を結び、セラードの農業開発協力事業に着手した。設備・営農資金を現地農家に融資し、農業専門家を派遣した。今はセラード全体が日本の大豆供給基地になっている。

 このように世界各地で日本が開発した食糧基地は1200万ヘクタールに達する。これは、自国の耕地面積470万ヘクタールの約2.6倍に相当する面積だ。日本の海外農業基地進出は、農林水産省傘下の「海外農業開発協会」が陣頭指揮を執る国家事業だ。民間企業が食糧基地を模索する際は、初期調査費の半額を支援する。生産された穀物を日本に運ぶことが支援の条件だ。食糧基地開発が決まると、相手国が輸出を制限できないよう、国家間の了解覚書を締結する。

 日本の成功は昨日今日の話ではない。60年代に伊藤忠や三菱といった日本の各総合商社は、インドネシア・オーストラリアなどに海外農場を苦労して開拓した。しかし、当時は貯蔵・流通網を握っていた世界の穀物メジャーに阻まれ、収穫した穀物を日本に持ち込めないこともあった。その後、日本は農業だけでなく、農産物流通市場を掌握するため、官民が力を合わせた。ソウル大学の金漢鎬(キム・ハンホ)教授(農業経済学)は「日本政府や商社は、短期的な収益のためではなく、長期的な戦略を立てて穀物戦争に備えた。韓国は何十年も遅れを取っている」と話している。

カントリーエレベーター:穀物を「農場→川岸(または鉄道)→輸出港→輸出船舶」という経路で運ぶそれぞれのシステムを指す言葉。このうち一つが途切れても穀物輸入は打撃を受ける。ミシシッピ川周辺のエレベーターシステムのうち、17%は日本が、残りはカーギルやADMなどの穀物メジャーが握っている。

コーンベルト:米国のトウモロコシの70%が生産される6州の中部大草原地帯。ミシシッピ川周辺を挟んでいる。ここで育ったトウモロコシは35-40日間、パナマ運河や太平洋1万1000キロを渡り、韓牛(韓国固有の牛)の飼料になる。

ニューオリンズ(米国)=金正薫(キム・ジョンフン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

このページのトップに戻る