マルハンの戦略~威嚇型から殲滅型への転換~
テーマ:●パチンコ業界動向どーも、ツッコミ担当の吉田でございます。( ̄▽+ ̄*)
いや~昨日は二日酔いで朝から何も口に出来ない状態でした・・。あのウコン力ですら、飲むや否や即リバースでしたw
そこで、Our Bossが(ボスも二日酔いw)、あっさり系が食べたいとのことで、うどんすきを食べに行きました。
勿論、味もさることながら、一口目のダシを飲んだとき、五臓六腑に染みました。染みると思います。
そして、その後にサウナ&マッサージをしてもらい一気に体調が回復!!いや~健康の尊さを体感した出来事でございました。
さてさて、話は変わりますが、今回はマルハンの戦略について、面白い記事がありましたので、紹介します。
長いですので、何回かに分けて紹介させて頂きます。
以下、抜粋でございます。
『マルハンの戦略について考える前に、日本の歴史を少しだけ紐解いてみたい。
天下布武を唱え、武力による天下統一を志した織田信長は、難敵・本願寺との長島攻略戦において、鉄砲を使い、初めて民間兵を大量虐殺した。それまでの鉄砲は敵を殲滅するためのものではなく、相手兵を威嚇し、逃げさせるためのものだった。殺傷兵器である鉄砲で、なぜ威嚇なのか?
元来、日本の戦争は、敵地を焦土化することを目的としていない。
なぜなら、戦後には領国としての経営が待っているため、現地の住民を皆殺しにできないのである。欧米のような、搾取を基本原則とした植民地政策ではなく、あくまでも自国への併合を旨とし、年貢を基にした経営を行った。
税金を払い、国庫を潤してくれる農民を虐殺などできるはずがなかった。
狭い国土ゆえに、虐殺や収奪ができないのである。
それをする領主は簡単に地位を追われた。
ところが本願寺戦においては、信長は農民でもある信徒を鉄砲で殲滅した。
これは戦国史上の一大転機となり、以降、信長・秀吉による天下統一を早めていった。相手国においても、殲滅されるくらいならば臣従し、軍門に下ることで家名と農民を守ったのである。
また、鉄砲の絶対量が少なかったため、前線に置く「部隊」とすることができなかったという面もある。しかし、徐々に保有数を増やした信長は長篠の戦において、3000丁もの鉄砲部隊で武田勝頼率いる騎馬軍団を殲滅した。
マルハンの戦略は、信長の天下取りにおける戦略の変化に通ずるものがある。』
歴史は色々な見解、意見があります。真実がわからないことだからこそ、ロマンがあり、夢があるのだと思います。
ウチのチームで飲んでいる時も、しばしば歴史の話で盛り上がりますしね★
ではでは、本日はこの辺りでヾ(@°▽°@)ノ