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【日本の議論】「派遣村」にいたのは誰か? (4/6ページ)

2009.1.18 18:00
このニュースのトピックス日本の議論
派遣切りや解雇にあった人々に夕飯の年越し蕎麦を配る「年越し派遣村」のスタッフ=東京・日比谷公園=12月31日午後5時30分ごろ(中鉢久美子撮影)派遣切りや解雇にあった人々に夕飯の年越し蕎麦を配る「年越し派遣村」のスタッフ=東京・日比谷公園=12月31日午後5時30分ごろ(中鉢久美子撮影)

 駆けつけたボランティアは実数で1674人。トイレ掃除、炊き出し、食料買い出し、清掃などを一部の村民も混じって行ない、村を支えた。

 「自分は発案者ではなかった。でも、組合系は炊き出しなどをやったことがない。現場経験がある自分が村長の役回りになった」と話す湯浅さん。運営関係者によれば、「さまざまな労働団体とつきあいがあるため、村長という御輿に担ぎ上げられたのではないか」という。

 多くの野宿者らと接してきた経験を持つ湯浅さんは「いったん雇用を失うと、すべり台を落ちるように再貧困にまで転落するのが日本の社会」「日本では自己責任論が幅をきかせすぎている。がんばりすぎる前に、支援事業にアクセスすべきだ」と主張している。

厚労省開放

 運動の1つの山が、2日夜に厚生労働省の講堂が宿泊場所として開放された時だ。実行委員会の用意したテントの宿泊能力は150人分。村には300近い人が集まっていた。

 決断したのは厚労省の大村秀章副大臣(自民)。湯浅事務局長とは労働問題をテーマにしたNHKの番組で名刺交換していた。2日昼過ぎ、湯浅事務局長から入った「テントに入りきらず病人も出ている。受け入れ施設を用意してほしい」という電話に、「直感的にヤバイと思った。あの現場をみたら助けないわけにはいかないだろう」と振り返る。

 開放できる施設がないか、千代田区長にも電話を入れるが断られ、厚労省幹部も危機感を抱いていた。村を訪れた野党政治家らも河村建夫官房長官や舛添要一厚労省に電話を入れ支援を求めたため、午後5時過ぎ、「講堂に暖房を入れろ!」と大村副大臣が指示。9時過ぎには260人の村民が講堂に入った。

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派遣切りや解雇にあった人々に夕飯の年越し蕎麦を配る「年越し派遣村」のスタッフ=東京・日比谷公園=12月31日午後5時30分ごろ(中鉢久美子撮影)
仕事や住居を失った人たちを受け入れている「年越し派遣村」に集まった人たち=3日夕、東京・日比谷公園
国会議事堂までデモ行進を行うため、日比谷公園を出発する元派遣労働者ら=5日、午後0時15分 東京・日比谷公園(撮影・大西史朗)
宿泊場所となる日本青年館へ向かうバスに乗り込む「年越し派遣村」の村民=12日午前11時すぎ、東京都中央区小伝馬町
元派遣社員らの新たな一時受け入れ先が決まったのをうけ厚労省敷地内の講堂で行われた大移動集会。多くの元派遣社員らが集まった=5日、午前10時1分 東京・霞ヶ関(撮影・大西史朗)
日比谷公園の派遣村で失業者を励ます福島瑞穂社民党党首(左)。右は菅直人・民主党代表代行、中央は辻元清美・社民党議員(社民党提供)

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