金正浩 1834.靑邱圖(写本)中の于山島  【竹島 独島】 | 587|共感0
1678602| JAPANglobalexplorer | 2008.01.04 23:50:50
TOP
注意:リンク先の地圖をみるには、ViewerのInstallが必要です。
 
金正浩 1834.靑邱圖(写本)中の于山島(高麗大学蔵)
 
本朝八道州県總目 (表紙、目次のようなもの)

鬱陵島は18層/3版-4版に位置している。


左:鬱陵島の位置:3版18層と4版18層に位置。 右:距離の説明他
 
竹島/独島が書かれているとしたら、0版20層付近だが、
そこには何もかかれていない
 
3版18層に書かれている于山島は皆さんご存知の通り、
竹嶼Chiksyo/竹刀JUKDO
もちろんこれは現在の竹島/独島ではない。
 
参考:于山島と竹嶼の地図の比較
参考:于山島が現竹島/独島でない10の理由
 
スペースの都合上、于山島を鬱陵島の近くに押し込めて記入しているのではない。
 
朝鮮は于山島は、本当の倭の松島である現在の竹島/独島(二島の島)と認識せず、
于山島が現在の竹嶼(一つの島、南北に長細い)と認識していたから
、鬱陵島の東部、倭舡艙が嘗てあった刻石立標近くに書いたのだ。
 
下の図を見てみるとそれが良く判る。
 
 
下の図の右は、18板16層にある小島だが、きちんと省略せずに書き記している。
左側:3版18層の鬱陵島の東側半分./////右側:18版16僧:朝鮮半島西岸部
 
”東”とかいてある岬の形状の場所(島項の付近か?)から于山まで目分量で5-6里(2.~2.4KM)
南東の芋田から于山まで目分量で15里(6KM)くらいか?
 
 
次の図は、蔚珍付近(5版18層)と鬱陵島の西半分(4版18層)
 
上の地図からも判る通り、于山島は竹嶼である
 
 
 
また、是等鬱陵島の附属小六等、
即ち
最も著者である于山島、即ち竹嶼と、
南に有る小5島は、3板18層と4板18層の間に位置。
左:1834.圭章閣蔵 靑邱圖 右:1899.大韓全図「江原道圖」
 
 
これら鬱陵島の詳細図の形式は大韓全図、大韓輿地図にも引き継がれていく
左:1800-1822頃中ノ島図書館蔵、朝鮮図 鬱陵島
(1795-1800.筑波大の東輿圖、の18C後期.海東輿地図と同様の系統の地図で、靑邱圖を書くときに参照したとされる)
 
 右上:1989朝鮮地圖「江原道}(1899.の大韓全図「江原道図」も同一) 右下1899.大韓全図

 

 

 

 

 
IP xxx.88.xxx.115
120080104151841.jpg 28KB)
220080104153917.jpg (12KB)
螟ァ髻灘慍隱・JPG (54KB)
蟆丞・蟲カ.JPG (38KB)
1834.髱偵€€蝨・.jpg (68KB)
11120080104224142.jpg (23KB)
11120080104224210.jpg (21KB)
日本包茎の歴史 [17]
- 金正浩 1834.靑邱圖(写本)中の于山島  【竹島 独島】
ヨーロッパ人たちは.....汽車旅行が好きです....... [12]