まず、鬱陵島とその付属島である竹嶼・観音島
そして
約90km離れたLiancourt rocks(竹島/独島)の位置を確認してください。
韓国側は、
八道総圖や東国勝地勝覧などの地図のように、
欝陵島の西や南西部、北西部に"于山島”が書かれているのは
当時の地図や測量技術の未熟さ、そして于山島の場所がどこにあるのかはっきり判らなかったので
そう書かれていると主張しますが、
しかしながら、17C末期以降、朝鮮王朝は鬱陵島に現地調査員を定期的に派遣するようになります。
そして、以下に掲げる鬱陵島の詳細地図を製作するに至りました。
1711年鬱陵島圖形
于山島に海長竹が生えている。(注意:竹島/独島には竹は生えていません)
1696年の鬱陵島事蹟には、東方五里に竹が生えている島が有ると記載があり、「東方五里許有一小島不甚高大海長竹叢生於一面」この島が于山島であったのだ。安龍福がいうように、北東にあり、船を曳いて渡れる島である。
(注:Liancourt Rocks(竹島/獨島は南東90Km先にある。)
この地図は、以降、何度も模倣・模写され、朝鮮王朝の欝陵島認識を反映する基本になりました。
(この地図から派生した諸地図)
丸型鬱陵島地図 角形鬱陵島地図
また、朝鮮王朝の貴重な記録のひとつでもある
日省録の鬱陵島周辺を調査した役人による一八〇七年の報告書の中に、鬱陵島の北に于山島があり、
周囲は二、三里(韓国里で八百-千二百メートル)、との内容を示す「
北有于山島周回為二三里許」の
記述がある。(
注意:Liancourt rocks(竹島/獨島)は鬱陵島の南東約90km先にある。)
これ以降は、地勢の把握が進み、鬱陵島本島の岬の一部と誤解されてきた観音岬/島項が
鬱陵島とは独立した島としてきちんと認識されるようになる。
観音島は、鬱陵島の
北東部、
石圃洞Seokbo-Dongにあり、
石仏観音の多い島といわれてきた。
周囲には三仙岩、竹岩、亭石浦など
”石”に関係する地名が多い。
韓国中央図書館所蔵 鬱陵島圖形 (1699年製作といわれるが1800-1830年の説もある。)
三陟博物館所蔵 鬱陵島圖形 (1702年製作といわれるが、1800-1830年の説もある。)
1882年製作 鬱陵島外圖
P/S Gif AnimationのDesignにあたって、もっと判りやすく工夫するDesignのアイデアありましたら教えてください。